やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

Jim Hall - You'd Be So Nice To Come Home To

2013-12-16 | 書棚のジャズアルバムから
Jim Hall - You'd Be So Nice To Come Home To


先日、ジム・ホールの死を新聞の死亡欄が小さく伝へてゐた。
80を優に越えた年齢だった、といふ。

ジム・ホールといふギタリストを嫌ひな方も少ないと思はれますが、小生も大のファンであり、彼のアルバムも相当数が棚にあったはずです。

そして、彼名義のアルバムではなく、他の方のセッションを聴いてゐて、”ウム、このギターいいなぁー”と感じると、いつもジム・ホールがそっとそのメンバーに名前を連ねてゐました。

ビル・エヴァンスやロン・カーターとのデュオなんて、まったく宝のやうな演奏で、ギターの詳しい奏法は知りませんが、派手さのない、独特の中音域の音色が、外見的にはすっかりはげ頭になったジムの、でもとてつもない男としての”カッコヨサ”を現してゐます。

偲ぶつもりで、ベスト・セラーになった『アランフェス協奏曲』(ジャケットも秀逸でした)を通勤の道すがら聴いてゐました。メインの『アランフェス』はいふまでもない秀作ですが、LP時A面に収められてゐた小さなセッションがとてつもなく好きで、たしか数十年は経ってゐるのですが、まったく新鮮な音楽です。
”軽い音楽”はすぐに消へてしまひますが、ジムの音楽は”軽みの極地”のやうに、これからも消へることはないと思ふ。

合掌。






変遷

2013-10-07 | 書棚のジャズアルバムから
溜まるばかりのCDに、収納棚はとっくの昔にパンクし、いまは平積みの山が増えつつあります。
それらをじっくり聴く時間も少ないので、通勤の途中で片端から聴いてゐます。

先日、ふと目に留まったコルトレーンの、ニューポート・フェスティヴァルでの演奏を車のなかで聴き始めたら、仕事場の駐車場に着いても身体が動かなくなってしまひました。

どの曲も素晴らしいのですが、身体を縛り付けたのは、やはり、「My Favorite Things 」でした。

長い長い下積みの生活や、すでにスターだったマイルス・ディビスに”下手くそ!”と罵倒されながらの末に、1950年代末、なんとか自らのグループを持てだして数年ー。
コルトレーンの演奏にいきなりギアがはいります。

それらの中の名盤の一枚が『My Favorite Things 』です。
(はるかに昔、結婚前、付き合ってゐた女性と破綻状態になって、それでも最後の話をしたことがありました。色々な事情から、回復不可能になってゐて、逢ふのはこれが最后と思ったとき、女性の話す言葉と声に混ざって、何故かMy Favorite Things のアドリブが冴え冴えと頭のなかに聞こへてきたことがありました、っけー)

『サウンド・オヴ・ミュージック』で爽やかに歌はれたこの曲を、コルトレーンは、残りの短い生涯で繰り返し繰り返し取り上げて、そして、変遷させてゆく。


鳥のさへづりのやうに圧倒的に美しいアドリブの1961年の録音ー。




コルトレーンの全てのMy Favorite Thingsのなかでもっとも素晴らしいといはれてゐる、1963年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでの強く、勁 く前に驀進する演奏ー。




そして、5年の年月とは思へないほどに変貌し、すでに原型を失ひ、ただただ、闇に中へ、混濁の中へ、カオスの中へ突き進まうとする1966年来日時の聞くのもツライ演奏ー。
ライヴとはいへ、10数分だった曲は、一時間の修羅場に近い演奏に変貌してゐる。

ただその、凡庸な小生の理解や共感を拒むやうな変貌ぶりは、ジョン・コルトレーンといふ人間が、いちサックス奏者でもなく、いちジャズ・メンでもなく、紛れもない偉大な芸術家であり、また彼の最晩年の言動のやうに、偉大な活動家であった証左なのかもしれません。



















Cannonball & Coltrane - Quintet in Chicago (Full Album)

2013-03-08 | 書棚のジャズアルバムから

Cannonball & Coltrane - Quintet in Chicago (Full Album)


動画サイトで、懐かしいアルバムを流してゐたので、久しぶりに聴いてみました。

キャノンボ-ル・アダレイのLPやCDはほどほどあったやうな気がしますが、小生決して熱心なファンでもなく、コルトレーンとの関連で集めたやうな記憶があります。

この一枚もそれゆゑのもので、バリバリと吹くアダレイに、コルトレーンも負けじとブリブリと吹く!
確か、マイルス・デヴィスの第一期黄金リズム・セッションをバックに録音されたもので(留守を狙ったとのエピソードもあったー)、そのバックが悪いはずもなく、1960年前の、ある意味”能天気”なほどの元気のある名盤です。


前後して、コルトレーンが1966年来日した時の、神戸での動画を見つけました。
正規の”ライヴ・イン・ジャパン”は、第1集、第2集とも書棚にありますが、余りに痛ましくて、滅多なことでは聴きません。

”神戸での演奏? おそらくプライヴェイトのものだらうー”と思って聴きましたが、果たして、聴衆の背中で録音してゐるやうな、とても状態の悪いものでした。

けれどー、
その劣悪な録音の先から、『イン・シカゴ』の能天気な演奏から、まだ十年も経っては居ないといふのに、すでにコルトレーンの演奏は、フリーを遥かに通り過ぎて、まるで自らを呪縛にかけたやうな、宗教の祈りのやうな、あるひは、密教のお経のやうな、いつ果てるともしれない、サックスでの吐露を続けてゐる姿が浮かびあがる。

すでに、ハーモニーの美しさなどは微塵もなく、この演奏の先には果たして何が待ちうるのだ? と思ふ演奏です。
けれど実際には、この翌年に、まるで彼岸へと旅立つやうな澄み切った演奏集を遺作としてコルトレーンは癌に倒れるのですが、その死後すでに50年近くを数へながら、まるで山谷を駆け抜ける修験者のやうに残した数々の演奏は、この先も決して埋もれることはなく、また小生も、”ウム、辛いなー”と思ひながらも、マンジリもせずに彼の演奏を聴いてゆきたいと改めて思ひます。

John Coltrane Live in 神戸1966 part1


John Coltrane Live in 神戸1966 part2



John Coltrane My Favorite Things (Full Album)

2012-08-12 | 書棚のジャズアルバムから
John Coltrane My Favorite Things (Full Album)


いつもジャズのアルバムをUPしてゐる動画サイトで、コルトレーンの『My Favorite Things』がUPされてゐて、さうかー、と久しぶりに棚からCDをだして聴いた。

余りにも有名なアルバムであり、小生はすべてのジャズのアルバム史上でも10指に入るものだと思ってゐますが、いつ聴いても、その美しさに惚れます。

LP時は、A面分はソプラノ・サックスで吹かれ、その一曲目のMy Favorite Thingsは以降コルトレーンの十八番になりますが、ここではまだ楷書のやうな端正な演奏が、ひと際美しい。

すでにオリジナル・カルテットに近いメンバーのバックも力にみなぎり、でもしかし、やがてこの楷書のやうな演奏スタイルが行書になり、来日時のMy Favorite Thingsの演奏は素人には判別できないほどの草書スタイルになり、抽象的な演奏へと変貌してゆく。

コルトレーン党の小生は、その全てを受け入れて聴いてはゐますが、この録音のときの演奏が余りにも美しいゆゑ、ないものねだりをするときもあります。
しかし、ひとところに立ち止まることを決して自らに許さなかったことこそが、コルトレーンたる所以
であり、自爆をしてゆくやうな彼の演奏スタイルが彼の生き方そのものだったのでせうから、党員としては、その生き様をなぞってゆくしかありません。







albert ayler / spiritual unity

2012-06-13 | 書棚のジャズアルバムから
albert ayler / spiritual unity


来月が、ジョン・コルトレーンの命日月だからといふわけでもないのですが(すでに、彼の没後45年にもなってゐるー。40過ぎで癌で果てた彼の祈りのやうな音楽は、今もって果てることはないー)、彼の1960年以前の悪戦苦闘の時代の演奏と、レギュラー・カルテットの解散前後の演奏を、改めて聴いてゐる。

そして、調べ事をしてゐたら、アルバート・アイラーにぶつかって、久しぶりに『spiritual unity』を聴いた。

アイラーの初期の、絶品作です。

アイラーの初期の作品は、ほとんどがあったはずですが、いち連気軽に聴けるものでもないので、それに、小生がトンガッテゐた頃に集めたものなので、すっかりマルくなってしまった昨今では、聴く機会もなくなってゐました。

コルトレーンが挑み、そして失敗した”フリー・ジャズ”とかの範疇に収まるやうな音楽ではない。
アイラーの持つ天性の音楽は、黒人ながらタキシードに身を固め(させられ)、白人のダンスのバック音楽を勤めたやうなジャズでは、ない。

そんなものは、はるかに突き抜け、奴隷びととしてアメリカの地へ来た先人たちの、アフリカの地を想ひながら、絶望し、その大地を踏んで歌った音楽を思ひだし、けれどその音楽のやうにあくまでアッケラカンとした希望も持ってゐるー。
それを、1本のサックスで、語るやうに吹く。

コルトレーンが、高僧のやうに、常に高みにある、まるで”悟り”のやうな境地を求めてゐるのに対して(それゆゑ、彼のバラッドは、得もいはれない静寂に満ちてゐるのですがー)、アイラーは、自らの足元の大地をほじくり返すやうに、深く深く沈んでゆく。


仕合せな時…

2012-06-01 | 書棚のジャズアルバムから
John Coltrane Coltrane's Sound (Full Album)


小生の棚に、コルトレーンのLPやCDやテープがどれくらゐあるのか、確認したこともありませんが、まあ、相当な数だらう、とは思ひます。

それでも、彼の膨大な(世に出始めて10年くらいゐの間の)ディスクからしたら、海辺の砂のごときものでせう。

そのなかで、『Coltrane's Sound (邦題/夜は千の眼を持つ)』といふアルバムが結構すきです。圧倒的な名盤『マイ・フェイヴァリット・シングス』と同じころの録音ですが、聴いてゐると、この頃の、コルトレーンの、とても仕合せな時を感じる。

すでに『ジャイアント・ステップス』を世に送り、マイルス・ディヴィスから学んだモード奏法を自らの手段として花咲かせ始めたころです。

数年前、せっかくマイルス・ディヴィスのグループに入ること叶ひながら、麻薬から足を抜け出せず、麻薬嫌ひの恩師マイルスに”バカヤロー! お前は何をやってゐるんだ! クビだ!”と殴打され、解雇された(らしい)コルトレーンが、練習につぐ練習で、マイルス・グループに在籍してゐた頃とは、まう、格段の演奏をみせてゐます。
(在籍のころの演奏は、マイルスの、微にいり細にわたるモザイク画のやうな演奏に較べれば、豪快ではあっても、恩師の前で緊張してゐるやうな演奏で、小生はさほど感動はしないー)

ジャズ史上最強ともいへる四重奏団になる前の、すでにマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズはメンバーで、ベースはまだスティーグ・ディヴィスですが、バックも素晴らしく、特にコルトレーンが発掘した若いマッコイ・タイナーのはじけるやうなピアノが素晴らしい。
(むか~し、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズと、ベーシストは失念したけれど、トリオでの、コルトレーンへのトリビュート・コンサートをへ行ったことがあります。チケットは高かったけれど、とても、つまらないコンサートでした。ともに、コルトレーンの過激さについてゆけず、袂を分かったマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズが、”えにし”を売りつけてゐるやうな、厭らしさがステージにあふれてゐました…)

とまれ、このころのアルバムのあと、コルトレーンは、ジャズ世界を塗り替へながら、自らは黒人の人種問題に大きく関はりをもって、そのメッセージとしてのアルバム『至上の愛』を送り出し、フリー・ジャズに投身自殺のやうに入り込み、その失敗のあと、まるで高僧のつぶやきのやうな静寂なアルバムを少しだして、忽然と癌に倒れる。
(『ライブ・イン・ジャパン』の、内臓をさらけ出すやうな演奏は、余りに痛々しくて、一年に一度聴けたらよい方です)

そんな、7年後のことは勿論計り知る由もなく、この『Coltrane's Sound』では、本当に気持ちよく、豪快に、でも、バラッドではしみじみと 歌ってゐる。

寡黙だったといふコルトレーンの、すこしの微笑みが見へるやうな演奏です。


You Must Believe In Spring

2012-04-16 | 書棚のジャズアルバムから
You Must Believe In Spring


以前にも書いたのかもしれませんが、昔は、ビル・エヴァンスなんて、彼のレコードは程ほどあったけれども、好んで聴きもしなかった。

いつも、コルトレーンや、アルバート・アイラーなんかを聴いてゐた。
在京のころ、神奈川の友人と徹夜で飲んだくれると、正統派の彼は、ビル・エヴァンスやMJQをジャズと認め、コルトレーンでも「バラッド」以外は認めなかった。

それが、最近は、まったく歳のせゐでせう、やたらとビル・エヴァンスを聴いてゐる。
それも、色々な媒体を駆使して、そのすべてを聴かうかと思ふほどになってゐる。

膨大な彼の録音ながら、ほとんど駄作がないといはれてゐるその遺産は、どこから聴いても彼の屈折した研ぎ澄まされたリリシズムを感じとれる。

その実力と名声にも関はらず、結局、麻薬からは抜け出れなかった、そして、その生涯で、たほやかな月日はわずかだったといふその彼のディスクのなかで、You Must Believe In Spring といふアルバムがとても好きです。

もちろん、伝説的なトリオのものも素晴らしいですが、1977年に録音されたこのディスクは、いち時期の低迷を振り切った、澄み切った彼の心情が聞こへる。
(けれど、彼の死までは、あと三年しか残されてゐない…)

とくにラストの、ヴェトナム戦争を野次った反戦映画『M*A*S*H』(映画自体も、小生らには同世代の映画で、映画館でひざをたたいて笑ったー)のテーマが、エヴァンスの手にかかると、見事な愛のテーマになって、こころ救はれる。

動画で、アルバムそのものがUPされてゐました。
40分ほどの時間をなげても、後悔はしません。

キース・ジャレット/『生と死の幻想 』

2011-01-09 | 書棚のジャズアルバムから


こころが詰まってくると、時をり、このアルバムを聴きたくなる。

『生と死の幻想 』

『残氓』とともに、70年代のキースのカルテット(+アルファ)の代表的な名作ですが、そんなことよりも、原題の「死と花」よりも日本版タイトルのイメージ通りの甘美な世界が素晴らしい。

久しぶりに聴いたけれど、その鮮度は少しも落ちてゐない。

キースの演奏には、2度出逢ったことがあります。
スタンダーズ・トリオでの演奏と、新日本フィルだかとの競演。

トリオの演奏は言はずもがなの快演でしたが、確かモーツァルトのピアノ協奏曲は「なんで?」といった印象の残演でした。
彼ほどの人が、しゃっちこばったモーツァルトを奏でても、何も面白くはなかった。
そこには、キース・ジャレットも居なければ、モーツァルトも居ない。
小生の棚には、そのたぐいのアルバムはありませんが、2、3度聴いた記憶があるバッハも、「なんで?」といふ印象で、ただただ美音が流れてゐただけでした。

とまれ、若きキースの才能に改めて脱帽しながら、降り続く雪の日の夜を楽しむ。




『モダン・アート』/アート・ファーマー

2010-09-28 | 書棚のジャズアルバムから


アート・ファーマーのLPはかなりの数があったはずです。

ただ、プレイヤーが壊れて以来、時をり彼の音を聴きたいと思っても叶はず、安いプレイヤー・セットで聴いてもつまらないし、とないないづくしの時間でした。(あの膨大なLPは一体いつになったら再び音になるのだらうか…!)

CDで『モダン・アート』を聴きました。久しぶりです。一番好きなのはワン・ホーンの『アート』ですが、このアルバムも嫌ひではありません。

ベニー・ゴルソンのサックスが♪夜霧よ、今夜も有難う♪風なので好きではありませんが、ビル・エヴァンスのピアノが素晴らしくて、余りあります。
1958の録音。天才は、やはり、最初から天才といふ証左でもあります。

そして、アート・ファーマーは、すでに革新性も実験性も斬新さも何もなく、けれど、妙な媚やてらひもなく、その伸びやかな音色を披露してゐる。

後年、フリューゲル・フォーンを多用し、その中にも素敵なアルバムも何枚かありますが、すこし甘すぎる音色になった感じに較べると、この頃のリリックな音色とスタイルの方が今聴いてもやはり新鮮な印象がのこります。

スイート・ベイジル・トリオ

2010-07-22 | 書棚のジャズアルバムから


とても、いい!

クラブ”スイート・ベイジル”に出来た臨時(?)のピアノ・トリオですが、
シダー・ウォルトンってこんなに良かったっけ!? といふ、とても充実の演奏です。
91年のライヴ・セッション。

このピアノ・トリオのリーダーはきっとベースのロン・カーターだと思ふのですが、そのロン・カーターが抜群によい。
いつだって破綻のないバックをするのですが、この演奏では、いやらしいほど前面に出て、でもその斬新なアドリブに感激するほど、です。