やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

道すがら、《エロイカ》を聴く。

2006-07-31 | 音楽を


片道一時間ほどのお客様からの帰路、
オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会の模様がFMで流れてゐました。

今年の7月、名古屋での公演の模様でしたが、
亡くなられた岩城宏之氏の代はりに井上道義氏が振り、
奇しくも追悼コンサートになってしまった演奏会から、
ベートーヴェンの交響曲第3番を放送してゐました。

当日の全体のプログラムは

   武満 徹    :弦楽のためのレクイエム
   モーツァルト  :交響曲 第29番
   ベートーヴェン :交響曲 第3番 「英雄」

といふ、如何にも追悼にふさはしい素敵なプログラムで、
そしてその、車中で聴いたベートーヴェンがとても素晴しい演奏でした。

岩城氏が深く関はったオーケストラであり、それへのメンバーの悔みの気持ちからか、
気持ちのこもった、熱の入った演奏でした。
特に、前半の2楽章が素晴しく、第二楽章のアダージオのオーボエ奏者の何と素敵な音色、
何と、気持ちのこもった演奏だったか!

室内オーケストラとしての力量がいかんなく発揮された演奏で、モダンオーケストラながら、
ピリオド奏法も意識したメリハリの強い演奏で、ある意味、現在聴き得る模範としてもよいやうな、
N○K交響楽団の演奏よりも余程素敵な演奏でした。

改めて、岩城宏之氏が残された仕事の大きさに感じいりました。
合掌。



休日テニス

2006-07-30 | やまがた抄




久しぶりに、知人たちとテニスをしました。
梅雨末期の長雨が続いてゐたのですが、
何とか晴れ間も覗いて、半日ほど身体を動かしました。

白鷹町のパレス松風にあるテニスコート。
山形市から30分ほどのところです。
初めての人もゐたので、ハードコートは避けてここにしました。

近隣の中学校の大会が開催されてゐて、彼らの声援の横の一面で、
オジサンオバサンたちは必死になってボールと遊んでゐました。

たっぷりと汗をかき、翌日の筋肉痛の不安を抱へながら!
それでもコート代はひとり700円余で、まあ、安い贅沢です。














遅ればせながら…。

2006-07-28 | 大岡山界隈








既に、テッセンの季節は過ぎてしまってゐますが、
嬉しいことに、我が家では、仕事場の前の小さな庭で、やっと咲き始めました。

雪の中で、裸同然で春を迎へさせてしまった彼らを植ゑることが出来たのが4月。
今年は、根付いてだけくれればよい、と思ってゐましたが、
日当たりがよいせゐでせう、今も沢山の蕾をつけてゐます。

ただ、咲き始めたそれが、新たな家に持ってきたものだったか、
知人に頂いたものだったか、しかと記憶がはっきりせず、
それでも、好みの色合ひなので、梅雨空に向かって開いた花に感謝しながら写真をとりました。





 

 




 


ロッド・スチュワート、を聴く。

2006-07-27 | 音楽を


ロッド・スチュワートの「グレイト・アメリカン・ソングブック」を聴く。






彼は幾つになったのだらう、と調べてみたら、
1945年生まれ、つまり、昭和20年生まれ!!

何と、還暦を過ぎてゐた!!

それでなほ、否、それだからか、
なんと、色気を残した歌ひ方なのだ!

最近、色々な分野で”スタンダード帰り”現象がありますが、
幾万人もの歌手が歌っただらう曲を歌ふといふのは、それ相応の覚悟と自身がなければトライしないでせうけれど、ましてや、ロッド・スチュワートほどの歌手であれば余計にでせうけれど、
完璧に成功を収めてゐることに、改めて驚いてしまふ。


「ザ・ヴェリー・ソート・オブ・ユウ」なんて甘い曲を、
彼のしゃがれた声で、見事な渋い曲に仕上げてゐる。
他の曲も、すべて彼の為に書き下ろされたやうに、新鮮に響く。
以前、ナタリー・コールが「アンフォゲッタブル」で見せてくれたやうな新鮮さがある。


悲しいかな、日本には、加齢とともに、かういふ渋さを出せる人が少ない、な。




(写真は、CDから)


 


7月半ば

2006-07-26 | やまがた抄





長雨がひと時止んで、
夏への序曲のやうに、蒼空が広がってゐました。

それでも、今年は梅雨明けが遅くなりさうだ、とか。
我が家の野菜畑でも、生育に影響がでてきた、と家人は嘆きます。





アランフェス協奏曲/ジム・ホール

2006-07-25 | 書棚のジャズアルバムから







1975.4.録音。

すっかり、”名盤”になってしまったディスク、です。
四半世紀以上も前の録音ながら、聞くたびに、すべてが新しく聞こへるのは、
メンバーと、この盤を仕掛けたクリード・テイラーのセンスのよさでせう。
ジャケットも、洒落たものでした。

前半の(LPですと、A面)の3曲は、きはめてオーソドックスな、リラックスした演奏で、
後半のアランフェスも同様ですが、どれも参加メンバーの抑制された演奏が美しい。

信じされない程の弱音で出てくるポール・デスモンドのサックス。
甘く、スキャットのやうなチェット・ベイカーのトランペット。
この頃、乗りに乗ってゐたロン・カーターの強いベース。

ジム・ホール(おじさん)の演奏の旨さ、センスのよさ、渋さは勿論ですが、
小生は、このなかのローランド・ハナのピアノが好きでした。
元々正規のピアノを学んだといふ彼のピアノは、その音色も素晴しく、
この後に録音された「プレリュード集」といふアルバムは、心象風景集のやうな素敵なものでした。

CTIといふレーベルのディスクで、当時、一連のヒットしたアルバムを”軟弱もの”と決めつける風潮や批評もあったやうに思ひますが、今にすれば、当時のジャズファン(小生もしかり、でせうが)は、
きはめて気持ちの狭い、凝り固まったファンであったといふことでせう。

確かに、薄暗いジャズ喫茶で、長髪(小生も、さうでした! 今は、昔…!)の青年達が固いソファーに身体をまかせ、時にテーブルを見つめ、時に天井を見ながら黙々と音楽を聴いてゐる図、なんて、今ではやはり笑ってしまひますからー。
そして、その場での音楽は、コルトレーンだったり、A・アイラーだったりするわけで、
この、ディスクのやうな甘く、かろやかな音楽ではある意味、場違ひでもあったのでせうけれどー。



(写真は、LPより)













「座頭市物語」、を見る

2006-07-24 | 映画雑感


GYAOにて、「座頭市物語」を見ました。
とても面白かった。
GYAOさんは、鋭い切込みをすると、感心しきり


遙かに昔、新宿や池袋の映画館に入り浸ってゐた頃、
時にかかってゐたこのシリーズもずゐ分と見た覚えがありますが、
意外に、この第一作目は見てゐなかった、やうなー。

1962年の作品だとのことでしたが、
ストーリー自体は特に驚くほどのものではなかったのですが、
時代映画の”面白さ”を堪能したあと味のよさ、でした。

仕事場に立ち寄った若い知人も偶然に見てゐて、
「最高に面白かった」との感想でしたので、中年オジサンのひとりよがりでもない、やうなー。



何が面白かった、といへば、
やはり、リアリティといふことなのでせうか。

誰も、江戸時代を生きてなほ、現在に至るひとはゐないのですが、
”創られた”時代再現であることを承知の上で、やはり、リアリティを求めてしまふ。

先日でしたか、N○Kのテレビで放送されてゐる、清水の次郎長の話を少しばかり見ましたが、
最初は何の、誰の話なのか、かいもく見当がつかず、中村○敏演ずる人が清水の次郎長だと
理解した時には、仰天してしまひました。

何故って、侠客といへど、いはばヤクザです。
その侠客としての、凄みもなければ、哀しさもない。
長髪がちょんまげになり、ジーパンが尻はしょりの姿になっただけでは、ただの着せ替へ人形です。

そして、最近の時代劇や映画は、その手の”つまらなさ”が目に余るほどです。


そんな昨今でみた、くだんの「座頭市物語」は、役者の格や演技も勿論ですが、
時代劇の姿を借りて”何かを語る”といふ、きはめて本質的なところを見せて呉れてゐたやうな気がします。勿論、この映画で「人生とはー、愛とはー」の大命題を出してゐるわけでもありませんが、
少なくとも、つまらない道を歩かなければならない人の姿は見せてくれてゐたやうに思ひます。




 

 

 


山形市の街を歩く。

2006-07-22 | やまがた抄

春から、月に一度、山形市の街並みを歩く会に参加してゐます。

観光ボランティアへの道も開けるかもしれない? ので時間を調整して2時間の急ぎ足の探索を楽しんでゐます。

蒸し暑い日でしたが、やはり、街は自分の足で(出来ればゆっくりと)歩くのに限ります。
その中の幾枚かをー。



あるお寺さんの、三途の川?にかかる橋。
地蔵が、無事を祈ってくれてゐます。





旧師範学校。
現在は、資料館であり、県立高校の一角になってゐます。






県内随一の県立高校の門飾り。






説明を受けてゐる時に眼にとまった、旧い民家の窓。
ガラスが素敵でした。





歩いてゐる時に眼に入った、とある家の入口。





現在、道路拡張で、姿を変へつつあるところ。
面白さは、やはり、何もない、なあ。









黙阿弥、を読む6-縮屋新助-

2006-07-21 | 本や言葉


『八幡祭小望月賑』
(はちまんまつりよみやのにぎはひ)

万延元年(1860)初演。
黙阿弥45歳。


無骨な越後の縮売り商人新助が、江戸の(舞台は鎌倉に設定されてゐますが)芸者の急場を救ったことからひそかに惚れてしまひ、けれど、結局は愛想尽かしをされ、果てに狂ったやうに殺傷を尽くすラストシーン!


冒頭の、祭りのシーンがとても素敵で、江戸の音が聞こえてくるやうです。
その祭りの雑踏で橋が落ち、沢山の死傷者が出た時に、新助は、奇しくも芸者美代吉を川で救ふ。

そして、
-情人(いろ)になって下さりませ。

と、やっとの思ひで云ふ新助に、数年も待ってくれるなら、と答へる美代吉。


暗く、思ひ詰めたやうな新助の心情が、脚本(台本)から伝はってくる。
特に、同じ越後の商人仲間に美代吉を紹介する場で見事に愛想尽かしをされ、それを聞いた満座の仲間たちに散々に馬鹿にされ、売上の金も使ひ果たし、極まった新助に殺意が芽生えてくるのですが、このあたりの見事な心理(基本的に、黙阿弥は心理描写はしない。歌舞伎全般にさうですが)は、読んでゐてゾクゾクとしてきます。

殺した芸者は、実は、探し続けてゐた妹だった、といふ設定(歌舞伎にきはめてよくあるパターン)は、要らず
もがなの気はしますが、三深切(役者に深切、見物人に深切、座元に深切)をモットーとしてゐたといふ、職人座付作者黙阿弥にとっては、ぜひとも必要な設定だったのかもしれません。