やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

赤福、を食べる

2014-01-29 | やまがた抄


大雪が予想されたシーズンに入ってゐますが、雪が異常に少ない。
降っても数センチ、仕事場でも自宅でも、気合をいれて望む積雪ではないので、あたりは自然と車の轍に変化してゐる。

まあ、日常生活では困ることはありませんが、このまま行けば、夏の冷夏や異常気象が思ひやられ、一寸、嫌な気分になってゐます。





そんな中、仕事場が繁華街にちかい娘は、近くのデパートの物産展で味見ウォークをしてきたとかで、”赤福”を買ってきた。似たやうな和菓子は山形にも沢山ありますが、このふたを開けたときの完璧さは、食するのは初めてでもありませんが老舗の和菓子屋の自信にあふれたドヤ顔がみられて感動いたしました。

いはれ等を書いた小さな栞も、販売日当日付けのもので、特に能書きが書いてあるものでもなく、当地はお伊勢帰りで賑ってをります、見たいなものでした。

”ふーん”と感心してゐる小生に、家人は”何を感心してゐるのよ! 早く食べませう!”となり、極上のあんこに包まれた餅をはうばった。

東京の友人は、確か今年”お伊勢まゐり”に行くやうなことを云ってゐましたが、東北の極貧の小生は、一生かかってもむりかもしれませんー。











惜しくも、すでに80歳だった、かー

2014-01-21 | 音楽を
今朝の新聞で、クラウディオ・アバドの死を大きく取りあげてゐた。

つい、一週間ほど前でしたか、昨年のモーツァルトのレクヰエムの演奏を見てゐて、同フェスティヴァルでのマーラーのティクルスをしてゐたころに較べると数段に顔の力がなくなってゐたのに改めて気づいてゐました。

”ウム、そのときが近いのかしらん”と思ってゐた矢先の訃報、です。

かなり明快なコンセプトをもって音楽界で動いてゐた人で、でも若い頃からスター街道を走ってゐました。


小生は、決して熱心なアバド・ファンでもなく、本当に若いころに録音したメンデルスゾーンの《スコットランド》《イタリア》のLPでその颯爽とした演奏に感激し、

mendelssohn, Symphony No 4 In A Major, Op 90 , Italian, Claudio abbado, all movement


やがて始まる世界の有名オーケストラとのマーラーの録音を新時代の演奏として聴いてゐましたが、やがてその神経質すぎる演奏に飽きがきて、続くベルリン・フィルとのブラームスやヴィーン・フィルとのベートーヴェンにもさほどの感動を覚へなかった。

そして、病を克服してからのルツェルンの活躍で、改めて真の彼のファンになったやうなものです。
痛々しいほどに痩せてしまったアバドの、けれどその身体や指先からでるオーラの力は、2番の最後のシーンでも十二分に伝はり、その死とともに、涙を禁じ得えません。

Mahler symphony No.2 -5M (6/6) C.Abbado Lucerne Festival Orchestra



合掌ー。


櫻並木

2014-01-16 | やまがた抄
県南で知人達と会ひ、用を済ませて帰るときに、高畠ワイナリーで啓翁櫻の並木が見られる、といふ話がでて、帰りがけに見にゆく。

地元のTVが取りあげてゐたのを小生も見てゐて、アナウンサーが”雪の中の櫻並木!”と大げさに報じてゐたので、気になってゐました。






ワイナリーの入口からショップまでの通路に冬の光を浴びて、数十本の結構太い啓翁櫻の幹が列をなしてゐました。

山形名産のこの櫻は切花用に販売されてゐるものなので、消耗品としての哀しさはありますが、それでもあたりは身長ほどに積もった雪に囲まれたワイナリーのなかで、数ヶ月先の春を焦がれるには十二分な美しさ、でした。




初まゐり

2014-01-12 | やまがた抄


荒れた天気が予想されてゐたのですが、山形市では左程でもなく、雪もたいしたことなく、予定通り、やっと初まゐりに行ってきました。





なんだか、年々初まゐりが遅くなるやうな気もいたしますが(もっぱら、小生の仕事の都合のせゐですがー)、まあ落ち着いた気持ちでいいかな、と思ってゐたら、存外に多くの参拝者ー。
いろいろな会社や団体の祈祷のひとが一時は列になってゐたほどで、それらが過ぎて、やっと神殿までー。

今年は娘達も一緒でしたので、四世代でのお参りで、孫娘がひいたクジは”末吉”で不満をもらしてゐましたが、小さな仕合せこそ大切と、願ひをこめて神社に残してきました。







懐かしく…

2014-01-11 | やまがた抄



家人からクレームがついて、最近はレギュラー・コーヒーばかりです。
昔は、レギュラー・コーヒーでしたが、段々と面倒になり、インスタントばかりになってゐたのですが、”せっかく頂き物のカップ用のが沢山あるのだからお父さんはそれにしてー!”とー。

たしかに、ギフト数箱分はあり、シフトが遅い時や休みの日にはそれらをばらして数杯分を小さな魔法瓶に入れて飲んでゐる。

そして、お湯を注いでゐる時に、ふと、むかし原宿にあった平均律といふ珈琲店を思ひだした。

表参道の裏側にあったちいさな店でしたが、とてもよい店で、在京の勤めのころ、原宿にアンテナ・ショップがあったものですから、新宿の本社から、何くれと用向きをつくって出掛けました。

しばらくそのショップの店長代理みたいなこともしてゐたので、もっけの幸ひに足しげく通ひました。
一寸気難しさうなマスターが奥にゐて、店内にはバッハやバロック音楽がとてもよい音量で流れてゐて、確か壁か柱に”静かにしてください”みたいなことが小さく書かれてあって、咳きひとつするにもはばかられるやうな、そんな店でした。

でも、もちろんコーヒーも深みがあって(確か、カップも選べたやうな記憶がありますー)美味しく、その窮屈さにあふれた雰囲気がとても好きで、当時すでに激しいノルマに追はれ始めてゐた小生の、本当に息抜きのできる店でした。

ネットで調べましたら、その後原宿の店は閉店し、学芸大学の近くに再開してゐる、といふー。
まあ、一杯のコーヒーを飲みに学芸大学の店に行くのもオツなものですが、でもしかし、当時すでにバブルの狂乱の足音が聞こへ始めた原宿の、喧騒の大通りの裏の小道の一角のあの静寂さはきっと望むべくもなく、名店に通ってゐたといふよき思ひ出を大切にしてゐた方がよいやうな気もします。


Michel Petrucciani - Live At The Village Vanguard (1985)

2014-01-08 | 音楽を
年明け、始めに聴いた音楽は、グールドのバッハの平均律だった。
年の瀬、ふとしたことで聴きたくなったグールドのゴルドベルグ(最初の録音と、最後の録音を立て続けに聴いた)は、家の装置で聴いても、車の中で聴いても、相変はらずアッパレのひと言だった。

特に、人生五十年で終へた最後の録音は、自らの才能だけをより所に、既成概念に対して正面突破した、そして大きく風穴を開けた、そしてバッハ像の煤を払ひ去った快演奏です。

年明け、グールドの次に聴いたのは、ミシェル・ペトルチアーニの動画の幾つかでした。

Michel Petrucciani - Live At The Village Vanguard (1985)


ペトルチアーニの演奏はそれほど聴いてゐませんが、死期間近の来日の演奏を収めたCDを聴いて以来、その驚異的な天才ぶりに驚いてゐました。

難病のため、身長は1メートルほどだったといふ彼の、けれどその若さにゆだねた圧倒的な爽快感のある演奏は、ヴィレッジ・ヴァンガードにをける動画でも十二分に伝はってきます。

30代後半で亡くなってゐますので、この動画のときはまだ20代ー。
アップ・テンポの曲での疾走感は、有無をいはさないモーツァルトのそれのやうに、聴くもののこころを捕らへて離さないー。





新年会

2014-01-04 | やまがた抄
新年、おめでたう御座ゐます

仕事のシフトのお陰で、大晦日、元旦と、穏やかな(天候もとても穏やかなそれでありましたー)年越しをさせて頂きました。

ただまあ、娘達が里帰りしてゐたので、それはもう、冬の台風のやうな凄まじさでしたがー。


そんななか、恒例の盛り場研究会の新年会+餅つき、も無事に終りました。



今年は、欠席の方が多く、特に女性陣の欠席が多かったので、また、会の女王蜂様が鬼のかく乱で風邪を召してをり、いつもは建築家とふたりでの餅つき担当が、加へて台所も見ることになり、やっと乾杯の開始になって写真をとる時間がー。

いつもはふた臼の餅つきも今年はひと臼にして、それゆゑ失敗は許されない! と慎重に蒸かしてついた結果、とても美味しい餅が出来て、女王蜂様の体調不良で料理は少なめでしたが、つきたての餅で雑煮を作り、皆で大満足ー。

久しぶりに、中国人の留学生も参加されて、”日中関係”の話題に花が咲き、また、意外に、中国では日本のやうな餅がないことに驚きながら、半日の新年会を終へました。


ことしもまた、拙ブログをご覧の方々の、健康あらんことをー!