やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

干柿

2006-11-29 | やまがた抄



知人の事務所へ伺って、仕事がひと段落し、珈琲をご馳走になってゐる時に、
コーナーのテーブルにある干柿が目にとまりました。

鳴子温泉の特別な室のやうなところに入れてをいた、とのことでしたが、
見事な色としわ(といふのかしらん)、でした。

まるで、人の年輪のやうに、
風格さへ漂ふやうでした。



小野リサ、を聴く

2006-11-28 | 音楽を
          
 
         


霜月も、あと数日。
山形では、雪への前触れのやうに、愚図ついた天気が続いてゐます。

そぼ降る雨で、
色を残した木々の葉も、容赦なく落とされ、
再び、土に帰らうとしてゐます。

すでに、雪囲ひを済ませた家も目に付くやうになりました。
我が家でも、今週末にでも、と思ってゐます。


久しぶりに、小野リサを聴きました。
自選集のアルバムです。
彼女のデビューの頃はよく聴いてゐました。

何の知識もなく、初めて彼女の声と歌を聴いたとき、
日本人で、これだけの”軽るみ”が出せる歌手とは!
と、驚いたものでした。
ブラジルで生まれてゐたと聞いて、納得しましたがー。


甘さと、軽やかさの境目のやうな彼女の声が、
とんがった時計の針先を丸くする。

一週間や十日のズレは意に解さず、
半年や一年、無駄に過ぎ去っても、まあ、仕方がないか、と。
そんな、人生二毛作、いや、三毛作をあと押しするやうな、
涼しげで、温かみのある声が、間もなくの師走を迎へてくれます。



11月25日

2006-11-25 | やまがた抄

仕事で天童へ出かけ、黒塀越に午後の日差しに燃える紅葉が目にとまりました。
塀越しなら大丈夫だらう、と写真を取らさせてもらひました。

      

















今朝はずゐぶんと冷え込んで、
一日中、晩秋の穏やかな天気でした。
遠く見へる月山も、まう、すっかりと雪姿でした。




『萌の朱雀』、を見る

2006-11-24 | 映画雑感


Gyaoにて、『萌の朱雀』を見ました。

十年ほど前、これを撮った女性監督の感性が高く評価され、
確か、色々な賞ももらった
映画でした。
いい作品です。

奈良県の山深い村で、成長し、離散してゆく小さな家族の姿を、
驚喜することもなく、叫ぶこともなく、号泣することもなく、
まさに、淡々と写してゆく。

夫は、死んでしまったのか、失踪してしまったのかー。
その姉は、何故男の子を残して姿を消したのかー。
成長したその男の子と、残された妻との関係は何だったのかー。

たくさんある、人物設定の不明な点に、この映画は一切答えない。
いや、一切を伏せてゐる。

けれども、あたり前のことですが、
現在の、いはゆる普通の家族構成(夫婦、子供二人のやうなー)だけが家族でもなんでもなく、
その家その家に、他人には話すことも出来ない、
できたら伏せてでもおきたい家族構成で、それでも、
日々の生活を送ってゆかなければならない家族、家庭もあまたあるはずです。

確かに、現地の方が多く出演してゐるやうで、
いはゆる素人的な演技もありますが、
その朴訥とした運びの中に、
肉親もまた、集ひ、そして、別れてゆくことの、
楽しく、幸せな時間は、ほんのひと時しかないのだ、といふ確信にみちた視線が見るものの心をうちます。

この映画を見てゐて、
人間(じんかん)至る所に青山(せいざん)あり、
といふ言葉を思ひだしました。
「青山」とは、墓のことで、
人は、たとへどこで野垂れ死んでも、骨を埋める場所くらいはあるものだ、といふ意味
(だからこそ、積極的に世に出て活躍を、といふことでせう)
らしいですが、
ひとの世の、会っては別れることの繰り返しの中で、
やはり、どこへ自らの骨を埋めるのか、
小生にとっても、身近な命題になりつつあります。
 

 


モーツァルトのオーボエ協奏曲

2006-11-23 | 音楽を
     
          


先日、携帯を便器の中に落とし、応急処置をしていつもの販売店へ持っていったものの、やはり一部機能不全になり、同機種を取り寄せました。
(友人は、”大”の使用後ではなくてよかった、と笑ってゐましたがー)

データは何とか取り出せましたが、着信音は再度のダウンロードをせねばならず、
サイトを見てゐると、モーツァルトのオーボエ協奏曲があり、珍しいので電話の着信音はこれにしました。
(今までは、バッハのブランデングルク協奏曲の5番、メールの着信音も同じくバ ッハのマタイ受難曲の終曲でした。
 以前、モーツァルトの”夜の女王のアリア”の時は、その出だしに知人がビック リし、不評でしたのですぐに止めましたが…)

何故、オーボエ協奏曲が入ってゐるのかといぶかしく思ったら、
テレビの「のだめカンタービレ」に使はれてゐる曲らしく、納得でした。
(先日、少し見た同番組で、のだめが、ラフマニノフを弾いてゐました。この番組に使はれる曲は、かなり渋いものもあって、小生も感服です)


全曲を聴きたくなって、ハインツ・ホリガーのディスクを探したのですが、出てこず、ベームがヴィーン・フィルのメンバーと録音したディスクで聴きました。

オーボエはゲルハルト・トレチェック。
カール・ベーム指揮のヴィ-ン・フィル。
1974年の録音。

モーツァルト22歳の時の作品の演奏としては、すこしどっしりとし過ぎてゐて、
ギャラントな華やかさが少ない気もしますが、演奏そのものは安心して聴けるものです。
第2楽章の、深々とした演奏は、やはり聴き入ってしまひます。

続けて、同じディスクに入ってゐるクラリネット協奏曲(プリンツのクラリネット独奏)を久しぶりに聴きました。
死の2ヶ月前に創られたこの曲は、同じ年に完成された最後のピアノ協奏曲にくらべ、もはや、生き抜く勁い意志はなく、
彼岸への憧れを望むやうに、静かに自らの幕を引かんとしてゐるかのやうです。

翌月、モーツァルトは病床につき、再び起き上がることはなくなるのですが、
奇跡のやうに美しい、ただただ美しい音楽です。

モーツァルトの命日が近い、です。







山梨と山形ー

2006-11-20 | 大岡山界隈

甲州に住まふ妹が、子供のリフレッシュ休暇をからめて遊びに来ました。

山梨と山形ー。
何故か、同じやうな山国の盆地に住んでゐます。

彼らは、同じやうに、温泉は余り好まず、ソバも嫌ひとあって、
山形の二大名物がいきなりカットされ、
困ったあげく、山形市南部の豆腐料理店へ食事に行く。

昼時だったので、小生は、豆腐チゲのランチで↓



頂いた土産は、定番の信玄餅↓
久しぶりに、食しました。





燕は…

2006-11-19 | 大岡山界隈

冷たい雨が上がって、日差しが暖かでしたので、
早めのタイヤの交換をすませました。
出てゐる1台を除いて、3台の交換をすませ、ふと見ると初夏に作られた燕の巣。




さう云へば、律儀な燕は、南へ帰るときに、
一度姿を見せるといふ話を小生は固く信じてゐましたが、
ついぞ、見ることはありませんでした。
きっと義理を欠いたのではなく、
慌しい帰路になったのだらう、とまた、来年の姿を心待ちにしたいものです。


巣の下では、家人が農作物の片付けにおほわらは、です。
今年初めての畑にしては、形はともかく、結構な収穫で、
来年は友人にせがんで、まう少したい肥を所望するつもりです。




(うかつにも、今朝、携帯をトイレに落とし、臨時の携帯ですので、
 滅法、写りが悪いです)


とまれ、
まう、蔵王の山は白く、雪は間もなくです。


生き延びた椿…

2006-11-18 | 大岡山界隈



初夏には、満身創痍の姿だった我が家の白玉椿も、
夏を送り、秋を送って、その姿は以前とは一変してしまったものの、
それでも、しっかりと葉を繁らして、厳しい冬に立ち向かってゐるやうでした。

もちろん、花芽はひとつもありませんが、
数年先になるかもしれない、再度の開花に向けて、
小さい樹ですが、樹勢をつけてもらひたいと切に思ふばかりです。


すぐ横では、意外にも、すっかりと土になじんだらしい黒侘助が
多すぎるほどの蕾をつけてゐました。
すこし、摘果が必要なほどです。



そろそろ、冬タイヤへの交換をしなければなりません。
雪国では、季節の中で、ひとが生きてゐます。


加齢、といふこと…

2006-11-16 | やまがた抄

友人と昼飯を食ひ、
美味しい珈琲をー、とふらりと入った店で、
オーダーをする前にエリック・クラプトンのポスターが目にとまりました。



店内を見渡すと、ところ狭しと壁にギターが飾られ、
クラプトンのポスターやディスクもあちらこちらにありました。
店主の好みなのでせう。

確か、エリック・クラプトンは、還暦を過ぎたばかり。
この秋には(あるいは、終はってしまった、かー)来日コンサートがあるはずです。
店内のポスターは、まう少し若い時のものでせうが、
小生が見ても、実に、色気のある顔です。

クラシックやジャズを聞く前(10代から20代初め)、
時代的な雰囲気もありましたが、聴くものは、ロックとフォークでした。
当時は、ジェフ・ベックなどが好きでしたが、
クラプトンも聴いてゐました。

世界最高のギタリストと云はれながらも、
スランプの時には、酒や麻薬におぼれ、妻を亡くし、わが子を亡くしながら、
それでも、蘇った男のポスターは、
歳をとる、といふことが、単純な足し算ではないといふことを
改めて教へてくれます。


勿論、オーダーした焙煎の珈琲は、深みのある上々のものでした。

       



山茶花が咲いて…

2006-11-15 | やまがた抄
     
  
    
現調で伺ったお宅の玄関横で、
色鮮やかな山茶花が風に揺らいでゐました。

数日前にご主人を再入院させ、
慌しい最中につくって頂いた時間でした。

小生の、「建具がどれも見事ですね」との言葉に、
奥様は、主人は建具屋だったんですよ、と少し嬉しさうに話し、
襖を開けて茶の間の奥も見せて頂きました。

  

小生の目が手の込んだ欄間障子にゆくと、
「倒れる前に主人が造ったものでした」との自らの言葉に、
まう再起の可能性がないらしいご主人のことを思はれたのか、
顔を曇らせて居られました。
息子さんは後は継がず、会社勤めださうで、
忙しかっただらうご主人の職人時代を懐かしんでゐるやうでした。

いとまの時に、携帯のカメラで山茶花を撮ってゐると、
好きでしたら小さいのを持ってゆきますか、と根元のひこばえを指し、
すみません、好きなもので…、とひと株頂いてきました。

小さな苗でした。
花が付くのは、5年先か、10年先かー。