非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本の議会ではよくあること

2014-07-06 23:36:19 | 政治・国際

国会でも女性蔑視ヤジ「まず自分が産まないとダメだぞ」(朝日新聞)

 4月の衆院総務委員会で、日本維新の会の上西小百合(うえにしさゆり)議員(31)=比例近畿ブロック=が質問中、委員会室にいた男性議員から「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」というヤジを受けていたことがわかった。東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)に対する女性蔑視のヤジが問題になったばかりだが、国会でも行われていた。

 朝日新聞が4月17日に行われた同委員会の映像データを確認したところ、上西氏が新藤義孝総務相に「一極集中を防げれば、過疎化も解消される」と質問している最中、男性議員がヤジを飛ばした。上西氏側によると、ヤジの前に「早く結婚して」という発言もあったという。周囲からは笑い声が起き、上西氏は「がんばります」と返した。その際、高木陽介総務委員長(公明)が「不規則な発言は注意してください」と制した。高木氏は「このヤジについては覚えていない。これまでも議事進行のために、不規則発言は注意してきた」と話している。

 

 先月は東京都議会でも女性議員に対するヤジがセクハラ云々と取り沙汰されたわけですが、その煽りで3ヶ月ばかり前の国会でのヤジが掘り起こされたようです。ヤジを飛ばした人は既に名乗り出て公開での謝罪ということになりましたけれど、まぁ日本の議会にヤジは付き物ですから、探せば似たようなものは出てくることでしょう。3ヶ月前の事例が今さらになって持ち出されてきたことが意味するのは要するに、3ヶ月前の時点では特に問題視されていなかったということです。この発言をその場で制したとされる高木総務委員長にしても、よくあることとして特別に記憶に止めたりはしていないことが分かります。

 東京都議会の方のヤジ問題では、議場でのヤジを飲食店などでの迷惑な席取り行為に擬えて語りました(参考)。この席取り行為も日本ではよく見られる代物ですが、当人は専ら「当たり前のこと」と何ら疑いを持っていないものではないでしょうか。議場でヤジを飛ばす人もまた同様、そういう文化に何の疑問も持っていない、特別に悪いこととは思っていなかったはずです。それが幸か不幸か、大きく騒ぎ立ててくれる人がいたおかげで、良いことか悪いことかが今さらながらに問われるようになったと言えます。願わくは、セクハラという狭い枠にとらわれずに考慮されて欲しいところですが。

 それはさておき、日本の政治家は男性及び高齢の人間に偏りがちですが、維新やみんなは(政治家としては)若い女性が(形はどうあれ)脚光を浴びましたね。政治家が年寄りばかりだ、女性が少なすぎる云々と不満を述べているような人は、この維新やみんなといったキワモノをどう思っているのでしょう。よく若者の得票率が低いと嘆息する人はいますけれど、先の東京都知事選で若年層の田母神票が大きく伸びたことからも類推されるように若くても極右層は政治参加に積極的です。若者が本を読まなくなったとも嘆かれるところですが、書店で平積みされている本を見るに若きレイシストには読書家が多そうな印象を受けます。若い女性が目立つ党、投票に行く若者、本を買う若者、一見すると好意的に語られそうなものですけれど……

 もう一つ思ったのは「まずお前がやれよ」的な、子供の喧嘩の論理が日本社会では大人の間でも割と通用しているのではないかな、ということです。少子化問題を語るなら、まず自分が子供を作れと言い出す人も偉い人の中にいるわけですが、そうでなくとも似たようなことは多いのではないでしょうか。少子化に限らず何らかの問題を論じれば、「じゃぁ、お前がやれよ」的なことを何の疑問もなく口にし始める人は市民の中にも犇めいているはずです。実にナンセンスな言動ですけれど、しかし本人はそれで相手の発言にダメ出しできたつもりになっている、そんな光景は政治家だけの話ではありません。

 総じて分業的な発想は日本社会において嫌われがちと言いますか、何かを他人に委ねつつ己は己の得意なところで的な考え方は否定的に捉えられているような気がしますね。食糧の調達やエネルギー供給とか夫婦の役割とかには典型的でしょうか。片方が土地を活かし片方が金を出す、片方が金を稼ぎ片方が家庭に云々みたいな状態は総じてネガティヴに語られるものです。では政治に影響を及ぼしうる立場の人間が環境整備を語り、そうでない立場の人間が子供を作る――というのはどうなのでしょう。自分では子供を作らない人が、他人が子供を作りやすい環境のために動くというのもアリだと私は思いますが、あまり日本社会には馴染まないのかも知れません。

 

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いかにも経済誌らしい考え方

2014-07-04 22:16:04 | 雇用・経済

チベットの少女から学んだ「仕事の本質」(PRESIDENT Online)

90年代になり、中国政府の方針変更によって寺院の再建が始められた。ガンデン寺も修復工事が始まり、建築物は少しずつ復元されている。修復工事といっても、重機などは一切使われていない。ほとんどを人手に頼っている。建物に使われる重い石材を年端もいかない少女たちがいくつも背中に背負わされ、舗装もされていない急坂の上り下りを繰り返している。

(中略)

すると、ローさんは小さな声でこう私に囁いた。「でも、彼女はお寺の再建の仕事をしているから幸せなのです」。

私はガーンと頭を殴られたようなショックを覚えた。それはけっして高地で空気が薄いからではなかった。

年端もいかない少女が背中に重い石を積んで運ぶ。その姿だけを見れば、あまりにも理不尽で、非人間的だ。常識的な人間であれば、そんなことをさせてはいけないと感じるだろう。

でも、チベットの人たちにとって、彼女の仕事は単なる「石運び」ではない。彼女は「お寺の再建」に関わっている。だから、仕事の内容がどうであれ、彼女は幸せなのだとローさんは言うのだ。

彼女自身がどう思っているかは知る由もない。しかし、おそらくローさんと同じ思いを持って仕事に励んでいるのだろう。
 
私たちは仕事の「価値」を社会的、客観的な物差しで判断しがちだ。たとえば、警察官や医者、看護師といった仕事は社会的に役に立ち、価値が大きいと評価する。

それはそれで間違ってはいないのだが、実は仕事に対する物差しはもうひとつある。それは仕事の「喜び」だ。周囲から「つまらない」「大変そう」と思われようが、その仕事を通じて「喜び」を感じることができるのであれば、それはけっして苦痛ではない。主観的な物差しである仕事の「喜び」がなければ、どんな仕事も無味乾燥なものになってしまう。

「何をしているのか?」(What)だけが大事なのではない。「なんのためにしているのか?」(Why)も大事なんだよということを私はチベットの少女に教えてもらった気がしている。

 

 何と言いますか、いかにも日本の(自称)経済誌らしい記事ですかね。それっぽく美談にまとめているつもりのようですが、まぁ経済誌のヨタを真に受けてしまう頭の弱い読者もいるだけに、これでも通用してしまうところもあるのでしょうか。チベットの少女に教えてもらった云々と締められていますけれど、目の当たりにしたと称する事例を出汁に自説を仮託しているだけなのではないかと思えないでもありません。

 この記事を読んで私が真っ先に思い浮かべたのは、ワタミのことです。今でこそ一定の批判も出てきたとは言え、その会長は自民党政権時代には自民党から、民主党政権時代からは民主党から支援されて選挙に出たりするなど、一貫して日本の政府与党公認の存在でした。目立ちすぎたが故にクローズアップされているところもありますが、日本的な仕事観の最大公約数的なものとしてワタミイズムは確立されているように思います。ここで引用した作文もまた、ワタミ的なるものをよく体現しているのではないでしょうか。

 その昔、オウム真理教の経営するパソコンショップがありました。独特の呼び込みに眉を顰める人こそいたものの、地下鉄サリン事件の前まではネタとして親しまれていたものです。販売価格は常に秋葉原の最安値を争っていることから敢えてオウムと知って買いに行く人もいたわけですが、その安さの秘密は専ら「人件費がタダだから」と噂されていました。信者を修行と称して無償で働かせている、店員に給料を払う必要がない分だけ安く販売できるのだ、と。

 本当かどうかはさておき、オウム真理教的なビジネスモデルはその後の日本のデフレ時代には幅広く受け入れられていったと言えます。新興宗教の手法はセミナー商法引いては企業向け研修に採用されていったりもするものですけれど、まぁ我が国にはそういう土壌があるのかも知れません。人件費を低く抑え、従業員に無理を強いてその分だけ安価なサービスを提供することでシェアを伸ばす、そういうビジネスモデルが持て囃されてきたわけですが、これは一足早くオウム真理教が実践してきた類でもありますから。

 とかく日本的経営においては、仕事をビジネスと見なすことが好まれないようです。社訓という名の社長(もしくは創業者)の恥ずかしいポエムを朗唱させられ、働くのは金のためではないとして「やりがい」を提示される、それが日本の職場というものです。本来なら誠意とは言葉ではなく金額なのですが、労働への対価が明示するのではなく、情緒的なスローガンで誤魔化そうとするのが日本的経営であり、「ありがとうを集める」云々と宣うワタミなどは象徴的存在であると言えます。

 そして冒頭の引用もまた然り、労働への正当な対価が支払われずとも「お寺の再建の仕事をしているから幸せ」だの「主観的な物差しである仕事の『喜び』が」等々と、いかにも日本らしい繕い方が披露されているわけです。「幸せ」なり「やりがい」なり「自己実現」といった美辞麗句を提示することでビジネスにおいて本当に大事な金の問題から目を背けさせ、理念への共感を求める、こういうのはいかにも日本の経済系の論者にありがちな話の進め方ですが、まぁ日本経済の低迷をどういう人が主導してきたかがよく分かりますね。

 

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やるべきことは明白

2014-07-01 23:06:38 | 雇用・経済

 「金正日に感謝しないといけないな」、と第一次安倍内閣時代に外相を務めていた当時の麻生太郎は語りました。失速の早かった第一次安倍内閣にも組閣当時はご祝儀相場的な支持の高まりもあったもので、それがピークに達したのは北朝鮮がミサイル実権を強行した直後だったわけです。対北朝鮮への強攻策を期待されていた安倍内閣の支持率は、北朝鮮が粗大ゴミを日本海に向けて打ち込んだことによって大きく押し上げられました。表向きは北朝鮮に反発する人もいたとはいえ、安倍内閣が利益を得たのは確かでもありまして、人一倍正直な麻生太郎は忌憚なく金正日への謝意を口にしたと言えます。

 先日もまた北朝鮮が「飛翔体」を打ち上げました。中国の動きもまた賑わしいところですけれど、この辺は日本側からどう受け止められているのでしょう。例によって表向きは、反発する姿勢を見せている人の姿が取り上げられています。一方、憲法「解釈」の変更だのと詭弁を弄して自衛隊の仕事を増やしたがっている人の動きも活発で、首相やその取り巻きもまたその中に含まれるわけです。こうした人々にとって中国や北朝鮮の動きは、本当のところは援護射撃なのかも知れません。周辺諸国が武力をちらつかせれば、日本側の軍備拡充に大義名分が立つ、そして日本の軍事力が高まれば中国や北朝鮮の軍部も自らの必要性をより強くアピールできる、ある意味で国境を越えた助け合いですね。

 こうした「助け合い」は、対立を装う二国間のタカ派同士に限らず、別の形でも見られるように思います。例えば、日本に多い法人税引き下げを自己目的化させている人々と、アップルなど租税回避企業の場合ですね。先日の記事でも触れましたように、なんだかんだ言って法人税の高いところに企業は集まっているもの、法人税の高低よりも市場の魅力こそが企業を繋ぎ止めていることが分かりますが、一方で法律の抜け穴を付き、小細工を弄して実際に事業を行っている所在地への納税を回避しようとするタチの悪い企業もまたあるわけです。

 アメリカを代表する租税回避企業としてアップルなどは米議会で槍玉に挙げられることも多く、これに対してアップル社は合法的な行為であると主張しています。もっとも法律による規制が追いついていない行為だからといって合法である、あたかもそれが正当な活動であるとするならば、旧日本軍の蛮行のいくつかも脱法ハーブの吸引も日本国内におけるヘイトスピーチも客に豚の生レバーを提供するのも、全て世に恥じることのない真っ当な行いということになってしまうでしょう。積極的に法律の不備を突くような振る舞いが認められるべきか否かは問われるべきものです。

 ともあれ、税制の穴をくぐり抜けて租税から免れようとする、そんなモラルに欠ける企業もあるわけです。こうした企業と法人税引き下げ論者の関係は、隣り合う国同士のタカ派のそれを思わせるものがあります。つまり、お互いに口実を与え合っている、と。法人税が高いからいけないのだと、そういう方向に問題をミスリードしたがる人にとって租税回避企業の存在は格好の大義名分を提供してくれます。実際は租税回避によって国ひいては社会に悪影響をもたらしているのですが、ある種の人々にとって大切なのは国の税制でも社会の規範でもなければ経済合理性でもない、ひたすらに法人税を下げることだけですから。

参考、税制優遇で雇用を「移動」させたという話

 税制優遇によって雇用を創出したと強弁する人(自治体)は珍しくありません。もっともそれは「阪神タイガースが優勝した場合の経済効果」みたいなもので、どこかでプラスが出ればその裏で「得られなかったもの」もまたあるわけです。阪神が優勝すれば、その経済効果が期待できますけれど、当然ながら読売が優勝した場合の経済効果は逸失してしまう、そういう宿命です。税制優遇も然り、どこかの自治体が露骨な減税で企業を呼び込んでも、その対極には企業が流出してしまった自治体が出てきます。減税は産業や雇用を移動させることはできますが、それを産み出すことはできないのです。

 税制優遇による綱引きの問題は、社会全体で見た場合には損失でしかない、ということですね。A州が税率を半減させてB州から企業を移動させてきたとしましょう。この場合A州には税収源の増加が見込まれるかも知れませんが、B州は税収減となる、その両社の合計となるとどうなるのか――当然ながら税金を引き下げてしまった分だけ、社会全体の税収は減ります。こういう不毛な綱引きが加速すればするほど、どこか一人勝ちする自治体が現れることはあっても国全体で見ればマイナスが増えるだけ、財政難はより深刻化の度合いを増すばかりです。

 多国間においても同様、タックスヘイブンと呼ばれる国もあるわけですが、こういう国の存在は世界に何の利益ももたらしません。他国の富を「移動」させているだけです。アメリカなり日本なりヨソの国の市場から利益を上げておきながら、法人税を不自然に低く設定している国を納税地として選ぼうとする企業もまた存在していますけれど、これにどう対処すべきでしょう。日本の頭の弱い経済系の論者の多くは、法人税が高いのがいけないのだと言って法人税を下げるべきと主張します。財源としては――やはり消費税増税でしょうか、言うまでもなくギリシャが辿った道ですね。しかし、その法人税引き下げレースに終わりはあるのでしょうか?

 結局のところ、A国が35%ならウチは30%だ、B国が25%に下げて脱税企業を呼び込んでいるなら今度は20%だと、ひたすら上がり続ける消費税という名の逆進課税とは正反対に法人税の引き下げには歯止めがかかりません。言うまでもなく税収は減るばかり、それでもタックスヘイブンへと逃れる脱法企業を繋ぎ止めようと法人税を下げ続けようというのは、何とも愚か極まりない話です。やるべきことは法律の穴を埋めること、租税回避行為を取り締まれるような制度の整備と、タックスヘイブン化によって他国の富を収奪しようとする国を押し止めるような国際的な協力関係の構築ではないでしょうか。それは世界経済の安定にとっても大切なことです。

 

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