東京電力は17日、管内の工場やオフィスなど「自由化部門」と呼ばれる大口電力契約者(約24万件)の電気料金を4月から平均17%値上げすると発表した。
契約を変更する本格的な値上げは1980年4月以来、32年ぶり。東電は約4000億円の増収を見込む。家庭などの小口部門も今春をめどに値上げを申請する方針だ。
報道によると電気料金の本格的な値上げは32年ぶりとのこと。なんと32年もの価格据え置きです。デフレの続くこの十数年だけではなく、好景気に沸いた時代も大幅な値上げはなかったわけで、まぁ電力会社のコスト削減努力は相当なものがあったものと推測されます。とはいえ、今回ばかりは流石に値上げに踏み切らざるを得なかったようです。何でも無理して火力発電を増やした結果として燃料費が8000億円も増えてしまい財務状況は危険な領域に突入しつつあるとか。その筋の人の頭の中では電力事業はコストをかければかけるほど儲けが大きくなる仕組みらしいのですが、現実は厳しいことがわかりますね。
東電、家庭向け料金も値上げ 政府、合理化条件に容認へ(朝日新聞)
政府と東京電力は、家庭向け電気料金の値上げについて調整に入った。原発に代わる火力発電の燃料費が収益を圧迫するなか、企業向けの値上げだけでは東電存続の青写真を描けず、政府も家庭向けの値上げが避けられないとの判断に傾いた。上げ幅は5~15%の間で調整が進むとみられる。
東電の今年3月期の連結業績は、純損益が6千億円の赤字になる見通し。原発が再稼働しないと、毎年8千億~9千億円規模の赤字が続き、電気事業が成り立たなくなる。
値上げには経済産業相の認可が必要になる。枝野幸男経産相は昨年暮れ、「値上げは電力事業者の権利という考えを改めてもらいたい」と述べ、値上げに厳しい姿勢を示していた。
しかし、東電が経営破綻(はたん)すると、被害者への賠償や廃炉作業が難しくなるおそれがある。そうした事態を避けるため、政府は徹底したリストラと経営責任の明確化を条件に、値上げを認める方針を固めた。
そして家庭向け電力料金も値上げが検討されているようです。引用元では「上げ幅は5~15%の間」とのことですが、「最大で10%」程度とする報道の方が多いでしょうか。値上げ自体はありがたいことではありませんけれど、とりあえず家庭は後回し、大口顧客向けよりは値上げ幅も小さくなる見込みです。料金を上げるにしてもまずは大きいところから、そして大きいところから累進的にという姿勢自体は評価したいと思います。何せ我らが政府と来た日には、消費税増税で貧しいところから逆進的に毟り取ってやろうと意気込んでいるのですから。民主党執行部の連中には、東京電力経営陣の爪の垢でも飲ませてやりたいところです。
にもかかわらず、相変わらずの傲岸不遜ぶりを披露するばかりで自らを省みる姿勢が微塵も感じられないのが枝野経産相で、こんなのが幅を利かせているようでは先行きは不安になるばかりです。元より脱原発を唄う以上は、それによって生じる追加的なコストは国民が負担するしかないだろうにと思わないでもありません。しかるに脱原発・反原発を唱える人ほど、ここぞとばかりに電力会社非難の声を上げるばかりだとしたら、まぁ御都合主義も良いところではないでしょうか。そもそも脱原発のためと称して諸々の犠牲(福島に対する差別、節電のための深夜・休日労働の増加)を無視してきたくせに、月600円程度の電気料金値上げくらい気にするなよと……
経営責任の明確化は当然のことであるにせよ、「徹底したリストラ」はいかがなものでしょうか。例によってRestructuringではなく日本語の「リストラ」が迫られているようですが、これもまた電力の安定供給に影響を及ぼしかねない不安定要因へと繋がります。だからこそ電力会社側にも一定の抵抗する姿勢が見えてくるところですし、労働者の一員として安易なリストラ要求には断固として立ち向かうべきだと私も思うところです。もっともJALに突きつけられたリストラ要求に反対の声を上げた人も、リストラを迫られるのが電力会社ともなると沈黙に徹するなど、左派の風上は当然として風下にすらおけないような連中も少なくないのですから、呆れるばかりです。
むしろ私であれば、リストラではなく雇用の維持をこそ条件に挙げたいところです。労働者を解雇したり労働条件の不利益変更を強いるのではなく、雇用を守る企業にこそ公的な支援はあってしかるべきではないでしょうか。リストラに励む企業は電力会社ならずとも無尽蔵にありますけれど、それを経営努力として政府が認めるようなことがあって良いのか、むしろ推奨すべきは逆、要求すべきは反対のことであるように思います。働く人を守るためなら値上げは許せても、働く人を経営のために切り捨てるような企業には、あまり払いたくないですね。
「身を削る改革」先行を=地方組織から相次ぐ―民主(時事通信)
民主党の全国幹事長・選挙責任者会議が15日、都内のホテルで開かれた。野田佳彦首相が目指す消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革について、都道府県連側からは、その前提として国会議員定数削減や公務員給与削減など政治・行政分野の「身を削る改革」に取り組むよう求める意見が相次いだ。
日本人のアイデンティティーは「他罰」なのだと以前に書きました。リストラによって東京電力の一般社員までもが苦しむのであれば電気料金値上げを容認するのと同様に、議員定数削減や公務員給与削減などによって国民の嫌う人々が苦痛を受けるのであれば、消費税増税をも受け入れようとする姿勢が少なからず見受けられるわけです。気にくわない他人を罰することによって得られる精神的満足感もまた我欲の一種なのかも知れませんが、端的に言って日本人には利己心が欠けているように思います。ただただ他人を罰することばかりに熱心で、何が自分の利益になって何が損になるのか、それがわかっていないと。
議員定数削減、より具体的には比例区の削減によって与党は一人勝ちが容易になり国会運営でも楽をできるようになるとか、議員報酬を減らしても元より資産家の議員や政党丸抱えの議員は特に困らないとか、政府の閣僚にとって議員定数と議員報酬の削減案は決して「身を削る改革」ではありません。公務員の厚遇という虚像をさておくにしても、どのみち国家公務員の給与を削減するくらいでは財政再建には全く足りないわけです。況んや議員定数削減をやですが、それでも自分たちの気に入らない連中(政治家、公務員)の取り分が減るならば増税も許すと、そう考える人が目立つ社会って何なんだろうと首を傾げるばかりです。もうちょっと、他人を罰することだけではなく、自分の利益を計算できるようであって欲しいなと思います。
何十年も前の964幻想の頃から時計の針が止まっている、かわいそうな人なんでしょうかね。ともあれ「悪い奴」がいて、そいつのせいで世の中が良くならない、「悪い奴」をやっつければいいのだと、そう説いてきた日本の政治を真に受けると、ああいう子になってしまうのだと思います。
逆の意味での「模範解答」です。ここまで完璧な人がいて驚きです。
1997年には増税しても、景気低迷を招いた結果として税収は減りましたからね。増税=税収増ではなく、景気回復によっても税収は増えるものですが、野田内閣の場合は「初めに増税ありき」で突き進んでいるだけに、どうにも橋本時代の失敗を繰り返すことになりそうです。しかるに、まず公務員の給料を削れなどと的外れな主張ばかりが「正論」であるかのごとくに幅を利かせるのですから、ますます先行きは不安です。
増税が必要だとしても、収入が増えない、これからも増える見込みも無い現状で、増税を行っても他罰感情を強めるだけ。
にも関わらず公務員の給与を削って、不満を
逸らそうとするのですから、野田政権には呆れてしまいます。
そう言えば「除染利権」とか「復興利権」とか呼んで、除染なり復興事業にすら反対している人もいるみたいですね。お金が動けば誰かしら収入を得る人は出るものなのですが、誰かが利を得ることが許せない、利を得る人を悪として断罪したがるばかりのようで、その結果として復興のために働くことすら難しくなるのですから酷いものです。
東北では公共事業の落札が滞っているとか聞きます。額が低すぎてどの企業も請け負うのを断ってしまうようです。
公共事業悪玉論をひたすら叫んできた国民は、自分たちの感情的な主張が何をもたらしたのかよく思い知るべきでしょう。
根本的に赤字の桁が違いますしね。それに化石燃料は今後も高くなるでしょうし。ちなみに東京電力では一般社員ですら約20%の年収カットが行われており、若手を中心に離職者も少なくないとか。むしろ原発事故後は仕事が増えたのではないかと思われますが、何とも不遇です。働いた分は給料が支払われるべき、それは労働者の当然の権利であり資本主義のルールでもあるはずですけれど、東京電力を「成敗」するためなら平気で労働者の敵に回る人も多い、どうしようもありません。
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120125/cpd1201251933015-n1.htm
東電もそうですね。
2億の赤字があって、人件費が10億なら、20%カットすればトントンになるので人件費削れと言う意見も合理的と言えるのかもしれませんが、人件費を削ったところで収支が劇的に改善する訳でも無いのですから、感情論でしかありません。
第一従業員の賃金の高さが今回の結果に繋がった訳では無いのですし・・・
「普通の会社なら潰れてる」なんて意見も見かけますが、まさしく東電は普通の会社では無いので普通の会社と一緒にしてもしょうがありませんね。
東電に対するものもフジテレビに対するものも、「みんなで叩けるもの」を求めての行動であるように思いますね。ある意味で「敵」を前にした一体感と高揚感みたいな、そういうものに駆られた行動であって、それはアメリカとの開戦に向かっていった当時もそうだったのかなと、そう思わないでもありません。
結局、そういう「お偉方」を選んでしまう有権者もまた、そういう人、そういう行為が好きなのでしょう。勧善懲悪の世界観に添って、絶えず「悪」を見つけては拳を振り上げている、独裁国家が国民の不満の矛先を逸らすためにしばしば行うものではありますが、制度上は民主的な国家でも実現されてしまうもののようです。
>プチ左派さん
規制緩和や国内競争を煽ることの弊害を、何も学んでいない人も多いのでしょうかね。「痛みに耐えよ」の改革には批判的な風を装っている人ですら、その「痛み」を押しつける相手が憎き電力会社とあらば賛成に回ったりと、まぁ見ていられません。
そして次なる「改革」も、また他人が痛みを負ってくれると想い続けているのでしょう。
日本人は実に浅はかです。
それと電力ですが、「自由度」の高い国ほど安定供給がされていない現状をどう見るんでしょうか?
ニュージーランドなんて電力自由化最右翼ですが、数百日間の大停電なんてありましたよね。