非国民通信

ノーモア・コイズミ

子供を大切にしすぎなのだ

2013-11-08 23:26:08 | 社会

ベビーフード、使いこなそう 栄養に配慮、専門家「手作り信仰が行き過ぎ」(朝日新聞)

 刻んだり、つぶしたり、すりおろしたり――。離乳期の子を育てる親にとって、一手間もふた手間もかかる離乳食作りは悩みの種だ。ベビーフード(BF)は便利だが、どこまで頼っていいのか不安に感じる人も多い。上手に使うには、どうしたらいいのだろうか。

(中略)

 都内の小児科で20年近く栄養指導をしてきた帝京科学大の上田玲子教授(小児栄養学)は「BFの利用は栄養的にも衛生的にも全く問題ない」と言う。栄養バランスや塩分量に配慮されており、使う添加物の範囲も通常の食品より厳しく設定されている。

(中略)

 むしろ、上田教授が気になるのは、「手作りで」と思うあまり、離乳食にストレスを感じる親が多いこと。子どもが泣き続けていても離乳食作りを優先するケースも多く、積み重なると子育て全体への余裕のなさにつながる。

 手作りのご飯から愛情を感じ取ったり、一緒にご飯作りを楽しめるようになったりするのは早くても3、4歳ごろという。「まずは親子ともストレスなく食卓につき、声をかけながら楽しく食べることを考えて。最近は『手作り信仰』が行き過ぎている。BFの利用に罪悪感を持つ必要はありません」と話す。

 

 ちゃんとした調査ではありませんけれど、「子供のハーネスあり?なし?」みたいなアンケートもありました(参考)。容認派も多い中で、絶対にダメだと言い張る人もいたものですが、ベビーフードの利用も似たような扱いなのかも知れません。私としては子供用のハーネスと同様、アリだと思います。というより、もっと積極的に利用されるべきではないかと。

 子供の周りにいる大人――特に子供の最も近くにいる人すなわち親――が楽をできるような道具は、もっと積極的に活用されるべきですし、世間からの理解が得られてしかるべき~と以前に書きました。少子化が取り沙汰される時代、それを何とかしたいのならば「子供のために」と叫ぶのではなく、子供の周りにいる大人――その中心は言うまでもなく親――が楽をできるようにしなければならないのではないでしょうか。

 粉ミルクのコマーシャルは、流してはいけないことになっています。そこに至るまでには粉ミルク製造業者側の都合の良い売り込み方もあったとはいえ、同時に「母乳育児=善」みたいな発想もまた背景で幅を利かせていることは否定のしようがないでしょう。他にも布オムツを推奨して紙オムツの使用を戒めるような動きなんかも、幸いにしてそこまで流行ってはいないようですが、あるわけです。粉ミルクも紙オムツも、子供の周りにいる大人に楽をさせてくれる優れた発明だと思うのですが、それを道徳的に断罪したがる人もいる、と。

 そしてベビーフードです。上記の引用元に登場する教授によると「むしろ~気になるのは、『手作りで』と思うあまり、離乳食にストレスを感じる親が多い」「最近は『手作り信仰』が行き過ぎている」とのこと。全く、現代の「親」は大変です。もう少し前の世代の「親」はどうだったでしょうか。伝統的な我が国の子育てにおいては、間引きや嬰児殺しの類は必ずしも珍しくはなかったですし、やんごとなき人々の間では産みの親ではなく乳母=赤の他人に幼児の世話を任せていました。私の祖父母くらいの年代でも赤ん坊の面倒を見るのは親よりも幼い兄や姉であることが多かったと聞きます。

 まぁ、そんな日本の伝統的な子育てが正しいとも思わないですけれど、現代の育児もまた行きすぎている、あまりにも子供中心になりすぎているのではないかと疑問に感じるわけです。もうちょっと、周りの大人の都合を考慮してやっても良いのではないか、と。手作りの離乳食ではなくベビーフード、母乳ではなく粉ミルク、布オムツではなく使い捨ての紙おむつを使っても、親(特に母親)が罪悪感を持たないような環境作りが望まれるところです。

 しかるに現代は「子供」を葵の印籠代わりに使っている人が多い、「子供のため」というマジックワードで相手を黙らせるのが当たり前になっている人が多いように思います。子供に纏わる諸々の不平不満は当然ながら発生するわけですが、「子供のためなのだから我慢しろ」と子供をダシにして他人の口をふさごうとする人が、「子供を大切にしている人」として罷り通っているのではないでしょうか。

 結局、その犠牲者は最も子供の近くにいる大人、すなわち親とりわけ母親だったりします。(母)親は産む機械でも育てる機械でもない独立した人格ですから、母親なりの都合だってあるわけです。子供につきっきりではいられない、子育てに疲労困憊することも当たり前のようにあることでしょう。だからベビーフードでも何でも使って「子供の周りにいる大人」の負担を減らしていく必要があると私は思うのですが――「子供のため」に周りの大人が跪くのが当然みたいなノリもまた強いです。ゆえに既製品のベビーフード利用は白眼視され、愛情があるなら手作りをするものだという感覚が幅を利かせてきた、この結果として子育てのハードルは上がるばかり、「子育て全体への余裕のなさにつながる」事態を招いてきたと言えます。母乳育児だの手作り離乳食だのではなく、テキトー育児が推奨されるぐらいの方が良いんじゃないかと、私なんかは思うのですけれどね。

 

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2 コメント

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Unknown ()
2013-11-09 18:36:31
この問題って、例の履歴書等の話と通じるものがあると思うのですよね。子どもの利益を考えるなら、手作りでもベビーフードでも大きな差は無い、むしろ衛生環境を考えるならベビーフードのほうがいい面もありますし、また親の負担が減ることでできた余裕の一部をまた子どもに還元できるなど、より効率のいい手段であるベビーフードの利用のほうが子どもにとってもプラスになる面も大きいはずです。

しかしながら、結果の最良化や効率化よりも「いかに対象のために苦労したか」「いかに労苦を惜しまない態度をとったか」といったことを重視したがる風潮、これが子育てにも蔓延してるのでしょう。苦労を美徳とし、それによって精神的肉体的に疲弊した結果、子育てに嫌気が差して子どもにもマイナスのフィードバックが帰ってくる、こういった現象が至るところで起きていそうですね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2013-11-09 23:44:03
>毛さん

 より負担の重い方が「善」として押しつけられる傾向は普遍的ですよね。そして効率は蔑ろにされ、負担の重さの方が追求されるわけで。むしろ現代日本が追い求めてきたのは効率化ではなく、その真逆の精神論であろうと思うところです。
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