非国民通信

ノーモア・コイズミ

結果が出ていないものを追認したところで

2015-10-21 23:15:19 | 雇用・経済

大学の授業より「就活」の方が成長できる! もう「長期化」を問題視するのはやめよう(キャリコネニュース)

2016年卒で導入された「就活後ろ倒し」が見直しにさらされています。理由は企業や学生から「就活の長期化」が問題視されたためですが、そもそも後ろ倒し自体がこの問題を解決しようとして実施された取り組みでした。

これについて考えるためには大学などからの批判に耳を傾ける必要がありますが、そもそも「就活の長期化」は本当に悪いことなのでしょうか? もしかすると、もはや解決すべき重要な問題とはいえないのかもしれません。(文:河合浩司)

(中略)

しかし、そこまで勉強に力を入れている人は、学生全体から見たらほんの一握りでしかないといえるでしょう。多くの人は「卒業」の単位を確保するための要領の良さを競っているだけ、というのが現実ではないでしょうか。

 

 さて就活の後ろ倒しが政府の旗振りで導入されたものの、かつては就活の早期化を批判していたメディアや論者が今度は後ろ倒しの弊害を叫ぶなど、まぁ色々と政治的なものを感じないでもありません。そういう人は逆に一層の前倒しを政府が指示したとしても否定するでしょうし、逆に決めたのが民主党政権だったら何も言わなかったりするのではないかと思ったりもするところですかね。そしてあろうことか、就活の長期化は悪いことではないと、もはや逆ギレとしか言い様がない代物も出てきたのですから驚きです。

 確かに大学で学んだものは日本の会社では活かす機会がありません。猫に小判、豚に真珠、日本の会社に教養です。日本の会社で大切なのは知性ではなく会社に染まること、従順さであり疑問を持たないことであり同調することである、履歴書を綺麗に手書きするスキルや面接官の歓心を買うだけの演技力、英語を使う機会はなくともTOEICで高い点を取る技術等々、いずれも既存の大学教育では得にくいものと言えます。大学の中には企業のニーズに応えようとカリキュラムを英会話学校みたいな類に変えようとするところもあるようですが、それで就職実績が上がったかどうか……

 しかし大学教育が軽んじられている、日本の会社から必要とされていない一方で「大学は出ていません」という人が重宝されているかと言えば、全く逆ですよね。高卒あるいは中卒では就業機会も大いに限られてしまうのが実態です。大学の授業で教わることが評価されていないにもかかわらず、日本の採用担当者は大卒を優遇しているのですから、ある意味で大学は必要とされ続けているのかも知れません。大学で学んだ中身は問わないけれど(私は就職に当たって血液型を聞かれたことは一度ならずありますが、大学での成績を尋ねられたことはありません)、どこの大学を出たかは重視する、それが日本的採用というものです。

 どこの国でも、純粋に向学心から大学へ進む人は決して多数派ではないように思います。大学へ進むのは勉強するためではなく、より良い仕事に就くため――それは日本以外の国でも共通しているはずです。「大学でしっかり勉強すれば就職に有利になる」社会であれば、その国の学生は必死で勉強するでしょう。逆に「(何を学んだかはさておき)有名大学を出れば就職に有利になる」社会であるなら、その国の学生は有名大学に入ることを優先するわけです。そして大学でガチガチに研究するより運転免許やTOEICの点数稼ぎ、体育会系の部活動の方が就職に効く社会なら、学生が大学の授業に熱心になるかは考えるまでもありません。

 文系学部の廃止云々みたいなことを文科省が言い出して、批判を浴びると火消しに走るみたいなこともありましたけれど、実際問題として日本の会社は文系学部で得られるような教養を欲してはいないわけです(そこに行政が媚びてどうする、とは思いますが)。しかし現行の日本的採用が有能な人材を見出し経済的発展を牽引しているかと言えば、むしろ逆であって何かが改められるべき段階に来ているのは火を見るより明らかではないでしょうか。学生は、就職というニンジンに向かって走り出します。「大学で学んだこと」を「就活で学んだこと」の下に置くような社会を続けるのか、それとも変革するのかが問われるところです。

 

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