非国民通信

ノーモア・コイズミ

返せと言われても所有者であるわけじゃないし

2012-03-13 23:02:02 | 社会

「ふくしま返せ」「すべて廃炉に」=50人が東電前で抗議-東京(時事通信)

 東京電力本社(東京都千代田区)では、市民団体のメンバーらが全原発の廃炉や避難者への十分な賠償を改めて訴えた。
 本社前には、インターネットでの呼び掛けに応じた50人ほどが参集。「ふくしまを返せ」などと書かれた横断幕を掲げた。参加者の1人が「すべての避難者に賠償しろ」と訴えると、大きな拍手が上がった。

 

 福島が「ふくしま」とひらがなで書かれているのは何でなのでしょうね。福島を「フクシマ」とカタカナ書きにする嫌らしさについては指摘する人もいたものですが、平仮名で書かれると何だか政治家の名前みたいで間が抜けた印象です。それはさておき、参加者の1人が「すべての避難者に賠償しろ」と訴えると、大きな拍手が上がったそうです。避難指示対象区域は元より原発に距離の近い福島の23市町村までは全住民が賠償対象に含まれているはずですが、その辺の実態には関心がない人の集まりなのかも知れません。あるいは、東京とか神奈川とか、どうでもいい地域から思い込みで避難した人に賠償しろとでも言いたいのでしょうか。その手の人って、むしろ被害者であるより加害者として振る舞うことの方が多いのではないかと思うのですけれど(参考)。

 

大手銀3行、東電融資を了承=原発再稼働など収支改善条件(時事通信)

 原子力損害賠償支援機構が大手金融機関に要請した東京電力への総額1兆700億円の追加融資について、三井住友銀行などメガバンク3行は条件付きで応じる方針を5日までに固めた。電気料金の引き上げや、原発の一部稼働再開などで確実に収支を改善させることを条件とし、機構が設定した回答期限の7日までに正式に伝える。

 

 結局のところ民間企業である金融機関が融資の是非を判断する以上、収支改善の見込みがあるかどうかは当然ながら問われます。このまま火力発電所をフル稼働させて赤字を続けるのであれば、銀行も二の足を踏むわけです。そこで原発停止や廃炉を訴える人が勝手だなと思えるのは、それにともなう負担を他人事としか考えていないように見える点です。全原発停止なら電力不足に伴い産業も市民生活も大きなリスクを負いますし、電力会社は大赤字が続くこと必至です。だからといって「発電すればするほど損になるだけなので、もう廃業します」とケツをまくるわけにも行きません。そうなると、誰かが赤字を埋めなければならなくなります。原発再稼働や値上げで収支改善の見込みがあるなら、民間の金融機関が動くでしょう。しかし、原発が使えない、値上げもできないとなれば赤字からの回復は見込めない、銀行も慈善事業ではないですから、融資するわけにもいかなくなります。そうなってしまえば税金で穴埋めするほかありませんが、公的資金の投入に反対している人はしばしば、原発の再稼働にも電気料金の引き上げにも反対してはいないでしょうか。それは両立し得ない、原発に反対するなら、それに伴うコストは自らが負わねばならないことを意識してもらいたいものです。それができないなら、単に電力会社憎しで我儘を言っているだけと変わりません。

 「ふくしまを返せ」と猛々しく叫ぶ人はいるわけですが、一方で被曝に関する諸々の偏見を植え付け、放射「能」の恐怖を煽っては福島の住民を怯えさせ、福島の産品が敬遠される状況を作ってきた人はどうなのでしょう? むしろ私には、完全ではないながらも賠償を進める東京電力に対してだけではなく、風評被害を広めるのに躍起になってきた人々の前でこそ、賠償を求めるデモをやった方がいいように思えます。曲がりなりにも非を認めて賠償に応じている相手を前に凄んでみせるよりも、紛れもない加害者でありながら全く反省する姿勢を見せない連中に対して抗議の一つもして見せた方が建設的ではないでしょうか。もし、「ふくしまを返せ」と荒ぶっている人々が福島の住民や産業を追い詰めるのに一役買ったAERAや東京新聞などの「同志」でないならば、ですけれど。

 ・・・・・

 「避難」に関して今から振り返ると、もうちょっと慎重であるべきではなかったかと思います。住民の生活を行政が制限するような行為は可能な限り避けられるべきもので、ごく一時的なものであるならともかく中長期にわたるものであるならば、政府はその執行に対して最大限、慎重であることが求められたはずです。にも関わらず、原発事故に伴う混乱の中、強制的な避難に対して批判が寄せられるどころか、むしろそれを後押しするような声ばかりが目立ったわけでもあります。どこのソ連政府だ、と当時は感じたものです。私にとってソヴェト政権の判断というのは失敗の記憶であり反省材料という認識だったのですが、「ソ連(ウクライナ/ベラルーシ)では~」と、まるでソ連政府の対応を見習えと言わんばかりの論調すら聞こえたくらいで、まぁ開いた口がふさがりませんでした。

 本当に原発近隣の一部地域はともかくとして、別に避難するほどでもない地域というのも少なくなかったわけです。放射線量が多少増大したとしても、安易な移住という極めてリスクの高い行動を取ってまで避けねばならないものであったか疑わしい、そういうケースも多々あったはずです。たぶん、避難する必要がない地域に対して政府が取るべきは、喫煙に対するそれと似たようなものであったように思います。つまり、どうしても避難/喫煙したい人の行動を強制的に阻止することはできないけれど、「避難はあなたの(そして家族の)生活を損なう恐れがあります」と、早急な避難に伴うリスクも告知して、可能な限りそれを抑制するよう努めるべきだったのではないかと。

 リスクは比較されなければ意味がありません。どちらがより安全か、より危険かが正しく判断される必要があります。自分が住んでいる場所の放射線量から最大限に予測されるリスクがどの程度で、仕事や人間関係を放り出してまでどこかへ移住することのリスクはどの程度なのか、そこで優先的に避けるべきはどちらなのか…… しかるに、放射「能」の影響が絶対視されるばかりで放射線「以外」のリスクは著しく蔑ろにされてはいなかったでしょうか。結果として、不要不急の避難/移住で生活を破綻させた人もいるはずです。こうした人たちの「被害」を賠償すべきは誰なのか? 金額の多寡は問われるにせよ避難指示対象区域の住民は電力会社から賠償を受けることが決まっています。その周辺地域の住民もまた同様ですね。一方で、その対象に含まれない「避難者」は、果たしてどう扱われるべきなのでしょう。自分に脅しをかけてきた連中に対して、もうちょっと怒っても良さそうに思えるのですが。

 

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コメント (8)
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