非国民通信

ノーモア・コイズミ

自動車産業に頼らない国づくりもいかがですか?

2012-02-02 23:05:59 | 雇用・経済

車に頼らない街づくり…都市コンパクト化へ法案(読売新聞)

 国土交通省は、都市をコンパクト化して環境に配慮した街づくりを自治体に促す新法を通常国会に提出する。

 病院や学校、商業施設などの都市機能を中心部に集約し、車に頼らない都市にすることで温室効果ガスの排出を抑える狙いだ。

 新法は「低炭素まちづくり促進法案」で、2012年度中の施行を目指す。新法で対象地域になると、省エネルギー基準を満たした住宅やビルの住宅ローン減税を拡大したり、事業費を補助したりするなどの優遇措置を設ける。震災復興を進める被災地や、人口の空洞化に悩む地方都市の活用を見込んでいる。

 対象地域に指定されるためには、自治体が、都市機能の集約化や建物の省エネ化などを盛り込んだ「低炭素まちづくり計画」を作成する。計画に沿って企業が省エネビルなどを建設すれば、国と地方で事業費の最大3分の2を補助する。大型商業施設に課している駐車場の設置義務も緩和し、複数の施設で共同駐車場を設けることも認める。

 さて「車に頼らない街づくり」だそうで、引用元では「温室効果ガスの排出を抑える狙い」とありますが、そうでなくとも生活上の利便性は高まる、車を運転できない人や車を所有していない人にとっても住みやすい街作りとして「車に頼らない~」は概ね肯定的に受け止められるべきものと思います。ことさらに懐古趣味的な言論が幅を利かせ、「昔のように暮らせば良いのだ」と素面で口にする人も珍しくない時代ですけれど、諸々の弊害から目を背けて過去を美化するのではなく、前に進むことでこそ課題は解決されるのではないでしょうか。「昔」のような暮らしを理想として御都合主義的な自然回帰を嗜好するのとは反対に、むしろ都市化を進めて人間の住む場所を集約することでこそ自然環境が守られる側面だって少なくありません。現に半端な田舎だからこそ、どこへ行くにしても車が必須で化石燃料を燃やしては排気ガスを垂れ流す生活もやむを得ないものになるわけで、きっちり都市化を進めていけば個人が車を使う必要もなくなる、地球環境にも、車を運転もしくは所有できない人にも優しい社会ができあがるというものです。

 そうした観点から「車に頼らない街づくり」には賛同しますが、これを実現させるためには何が必要になるのか、あるいは実現させる過程で何が起こりうるかは考えなければいけません。端的に言えば「脱自動車社会」を推し進めるのであれば、それと平行して「脱自動車産業」も進めなければならないはずです。車がなくても暮らせる街を作っていけば、当然の帰結として車は生活必需品ではなくなります。趣味や仕事の必要から車を所有する人はともかくとして、あくまで日常の足として自動車を利用していた人は「車に頼らない街づくり」の進展とともに減少していく、つまり車を買わなければならない人が減る、車が国内で売れなくなるわけです。やがて日本では車が必要とされなくなる、それでもなお日本で自動車を作り続ける意味がありますか?

 自動車産業にとっては国内市場を今まで以上に失うことにもなるでしょう。結果として自動車産業の衰退や国外移転は加速することが予測されます。そうなったときに失業者が街に溢れるようでは政策としては完全な失敗です。「カイカクに伴う痛みだ」と強弁したところで、その政治家自身の延命以外には何の意味もありません。「車に頼らない街づくり」は「自動車産業に頼らない経済」への順を追った移行と歩調を揃えて進展させる必要があります。もっとも、そうなると国土交通省の守備範囲を超えてしまうわけで、こういうときこそ「政治」の出番です。各省庁は自らの所管するポジションからの提言を行うのが当然で、ともすれば特定省庁の言い分に偏りがちなそれを適切に調整して社会の「釣り合い」を計ってこそ政治家が役割を果たしたと言えますから。とはいえ特定省庁(財務省とか)の主張に全面的に依拠した挙げ句、評判が悪くなると官僚のせいにするばかりの政治主導が横行する昨今だけに、なかなか整合性の取れた政治は期待できないですが……

 国際的な分業を肯定できるなら、自国で消費されない製品を作って国外に売る、つまり輸出を伸ばすという選択肢もアリです。各々の国が得意な分野で世界に売り込みをかけていくこと、製造業の強い国が自動車や電化製品を世界中に売り、農業の強い国が食料品を世界中に売る、資源に恵まれた国が化石燃料や鉱物を世界中に売る等々、それぞれの得意分野でお互いに支え合っていくのも選択肢としてはあり得るように思います。もっとも日本では分業否定の傾向が強く、自国のものは自国でまかなうべき、他国への依存は良くないみたいな発想が支配的です。そんな日本では既に自動車を筆頭に「モノ」が行き渡って久しいにも関わらず、相も変わらず「ものづくり」に重きを置いているわけで、どうにも整合性を無視しているのは政治家だけではなさそうに見えます。

 国際的な分業を進める上で、まず大切なのはフェアな対価が支払われることと考えられますが、加えて意識されるべきは、特定の国が一方的に商品を売り込むばかりの関係は続けられないということです。貿易黒字を積み重ねる国にとって、その黒字は好ましいことに見えるでしょうけれど、代わりに別の国が巨額の貿易赤字を抱えることにもなります。後発国が先進国への階段を上る過程では、輸出を増やして貿易黒字を積み重ね、国内に資本を蓄積させていくことも許されるかも知れません。しかし、とっくに資本蓄積の段階を終えた国が、相も変わらず輸入を絞って輸出による利だけを得たがっているとしたらどうでしょうか?

 他国への輸出によって利を得るのであれば、その分だけ輸入して他国にも利を与えるべき、それが国際社会における先進国の役目であり、そうあってこそ成熟した経済と言えます。日本は巨額の貿易黒字を長年続けてきましたが、それは日本の代わりに貿易赤字を抱えてくれた国があってこそ成り立ってきたことを自覚すべきです。日本だけが一方的に輸出による利を貪ることは許されない、他国に日本の製品を売り込むのであれば、その分だけ他国からの売り込みを受け入れなければフェアではないでしょう。それができないのであれば、世界に背を向けて日本だけで完結することを目指すほかありませんけれど――その日本では既に「モノ」は行き渡っており、いくら「ものづくり」を頑張っても「モノ」が売れる余地は乏しいわけです。その最たる例が自動車だということを思えば、何かを改めなければならないことは火を見るより明らかです。

 

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