非国民通信

ノーモア・コイズミ

自給自足の発想から脱却することも考えてみよう

2011-07-17 23:15:59 | 編集雑記・小ネタ

 さて、福島で原発事故が起こって以来、左派と右派の境目がなくなっているように感じられます(特にネット世論上では)。左派は右派の「考え方」を、右派は左派の原発に対する評価をそれぞれ身につけたと言えるでしょうか。もっとも原発事故以前にも左右の主張が似通い始めたところはあったように思います。その一つがTPPを巡るもので、例によって元からそういうものを嫌っていた左派がTPP反対を唱える中で右派のロジックに擦り寄り、一方で民主党政権下で起こったことであるが故に右派もまたTPP参加方針に反発する人が少なくなかったり等々。震災後のゴタゴタで下火になりつつあるTPP論議でもありますが、それが盛んに議論の訴状に挙げられていた頃、気になったのはTPP参加の是非よりも、TPPに反対するバックボーンとして外国を潜在的な脅威と見なす感覚、外国を自国に対する侵略者と見なす感覚が左派の間にも少なからず浸透していることでした。門戸を開けば日本の市場が攻略される、農業が破壊されると、端的に言えばそういった世界観に沿って「防衛」を訴える声が強かったわけです。

 元より農業とりわけ「食」の分野では、左派と目されている人でも実は結構なナショナリストだったりします。日本人は○○人より優れている、みたいな考え方は鼻で笑うような人でも、「日本食は欧米の食よりも優れている」みたいな排他的優越意識を何の疑問もなく受け入れている人は少なくありません。そんなわけで、密接に「食」に関わる農業分野への影響が大きいと予測されたTPP参加問題は、左右の主張を似通わせる(左派を右派に擦り寄らせる)には格好のネタだったように思います。

 日本の自給率の低さが盛んに喧伝されるようになって久しいですが、その低さの秘密は「カロリーベースで算出する」という独自の基準によるところが大きいですし、「飼料も自給率計算の母数に含める」ために、なおさら低い数値となって現れてしまいます。つまり輸入飼料で育った畜産物は国産としては扱われないわけで、日本で育てられた牛や豚でも自給率を計算する上では非国産です。そして畜産飼料の大半は輸入によって賄われているため、それを食べる家畜の肉も輸入品となる、だから日本の自給率は低くなります。幸か不幸か、飼料を輸入に頼っているが故に原発事故が起こっても畜産への影響は意外に低いのではないかと予測されたものですが、しかるに管理の不適切な飼料が与えられたことでセシウム基準値超えの肉が出荷されるケースが続いたのは、何とも巡り合わせの悪い話です。

 何はともあれ自給率は上げなければならないもの、自給自足とか地産地消といった概念は「とにかく良いもの」として無批判に受け入れられがちです。とにかく自給自足を、あるいは地産地消を進めていかねばならないのだと、そう信じ込まれているフシがあります。昨今ではこの自給自足の範疇に食料だけではなくエネルギーも加えられつつあるようですが、でも実態はどうなのでしょうか。例えば農業大国であるはずのアメリカやフランスは、農業輸出大国であると同時に輸入大国でもあります。何もかも自国で賄っているわけではありません。エネルギーに関しても、変に理想化されがちなドイツを見てみましょう。発作的な原発停止で4月には純輸入国となった一方、まだ原発を稼働させていた頃には電力の「輸出」が「輸入」を上回った時期もあり、これを根拠に「ドイツはフランスの原発に依存などしていない」と言い張る人がいて失笑せざるを得ないのですけれど、要は売れるときもあれば買わなければならないときもあるわけです。本当に自給自足というのなら、基本的にいつでも自国だけで賄える状態を目指さねばなりません。でもアメリカもフランスも原発を稼働させていた頃のドイツも、売った分が上回っただけで他国から買わずに済ますことが出来るのかと問われれば、その辺は甚だ微妙なところですよね。

 まぁ農業分野におけるフランスを、エネルギー政策におけるドイツを変に持ち上げている人に対しては「それは違うぞ」と言いたくなるところもありますが、私個人としては両国の在り方を悪いとは思っていません。別に、何でも自分1人で出来なくてもいい、足りないところは他人なり他国なりに助けてもらえばいいじゃないかと考えていますので。それぞれ自分の得意分野を活かして分業していけばいいのではないでしょうか。一方的に高く売りつける、もしくは安く買い叩くような関係は好ましくありませんけれど、適正な対価が支払われるフェアな関係である限り、特定の国が特定の役割を集中して担い、別の国はまた他の国の分まで自分の得意分野で貢献する、それでいいと思います。

 ただ頭の痛いのは、食料は輸出入できても電力はその限りではないということです。「『脱原発』は日本の話。韓国は地震の多い日本と明確に異なる」と孫正義が賞賛した韓国辺りの原発から電力を送ってもらうことができるのであれば、日本のエネルギー政策も随分と楽なものになるでしょう。しかるに日本の場合、外国からは元より東日本と西日本の間での電力融通すら非常に限定されたものでしかありません。東日本で消費する分は東日本で、西日本で消費する分は西日本で、それぞれ自給自足、地産地消するしかないのが日本の電力なのです。だからこそ供給が需要を上回るだけでは足りない、年間を通じて需要の多いときでも対応できる供給量を確保しなければなりません。需要が多いときに需要の少ない国から融通してもらうような真似は出来ない、地産地消であるが故に日本の電力事情は余力を大きく確保しなければならないところもあるのではないでしょうか。

 流行りの再生可能エネルギーの類でも、例えばヨーロッパ全域に電力網を張り巡らせることで、風力や太陽光の不安定な発電量を均一化しようという試みがあります。スペインで風が止まってもイタリアでは風が吹いていれば、あるいはデンマークで風が止んでもオランダで風が吹いていれば――と、特定の地域だけでは不安な風力発電でもヨーロッパ全域で見れば多少は何とかなりそうな部分もあるわけです。しかるに東日本、西日本というエリアに限定されざるを得ない日本はどうでしょうか。再生可能エネルギーに対応すべく「脱・地産地消」を進めたくもなりますが、それもなかなか難しそうです。

 ちょっと話が散漫になってしまいましたけれど、電力と違って輸出入が可能なものに関しては(そして今までの常識を覆すような大発明で日本でも電力が輸出入できるようになれば電力でも――ちょっとSF的な仮定ですが)、自給自足ではなく国家間でお互いに頼り合う、融通し合う関係を目指した方が良いのではないかと思うわけです(ハト派的にも、自国だけで何もかもやっていけると勘違いしている国同士が乱立するより、お互いがお互いの国を必要とする関係を築いた方が好ましいのではないか、と)。家庭の分業から国際的な分業に至るまで、総じて世論は分業よりも自分(自国)のことは自分で的な方向に傾きがちにも感じられますが、各自が自分(自国)の得意なところで貢献できればいいのではないでしょうか(上述したように、フェアな関係であるように留意は必要です)。自給しているように見える国でも実は収支がプラスになっているだけで、全てを自国で賄っているわけではありません。にも関わらず無理して自給自足を追い求めても、そんなものは自己満足でしかならないでしょう。他国を潜在的な脅威と見なし、外交関係の破談を前提とした安全保障論(「いずれ日本には売ってくれないようになる!」云々)に花を咲かせて自家発電に励むより、自国の得意なところをのばしつつ信頼関係の維持や協力体制の構築に力を入れた方が良いと思います。自国のニーズを抑え込むことで無理に自給自足を目指すよりも、他国のニーズに応えることで収支の改善を目指すなど、今の日本のやり方とは別の道もあるはずですから。

 

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コメント (9)
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