非国民通信

ノーモア・コイズミ

逆転の発想

2008-07-30 23:01:36 | ニュース

打倒!"ソフトバンク"iPhone--ドコモ、auの戦略(東洋経済)

 アイフォーンによりNTTドコモ、auの高単価ユーザーを切り崩し自社内に取り込みたいソフトバンク。対して、狙われた両社はどう対抗するのか。

 「ユーザーインターフェースがよくできているし、プロモーションがうまい。じらしながら仕掛けていくやり方など、ホント、よく学んでいかないと」と、KDDIの高橋誠取締役執行役員常務はうなる。

(中略)

「LISMOにも優位性がある」 高橋 誠 KDDI取締役執行役員常務

 LISMOの課金は1曲420円だが、iTunesでは99セント。音楽の価値が4分の1と評価されているわけだ。権利者の価値を大事にしたいという思いが強いところは、LISMOのビジネスモデルを高く評価してくれるはずだ。

 方々で話題になっているという、このKDDIの偉い人の発言ですが、色々な意味で「新しさ」を感じさせます。ま、当の取締役は自分の発言の「新しさ」に気付いていない、たぶん「天然」なのだとは思います。これが意図して発信できるようになれば一流と呼べるのですが。

 発言の肝はもちろん、LISMOが1曲420円、iTunesのサービスが1曲99セントと同ジャンルのサービスでありながら後者の方が遥かに安いにもかかわらず、LISMOを「高く評価してくれるはずだ」と躊躇なく言い切ってしまう力強さにあります。同種のサービスであれば価格の安い方が売れる、これが一般論であり、価格競争力に劣る(音質でも劣るそうで)LISMOが高く評価される可能性は低いと見積もるのが従来型の発想です。しかし、この価格の高さを不利とは見なさず、逆に優位であるかのように語る、見事な発想の転換がここで披露されているのです。

 「LISMOのビジネスモデルを高く評価してくれるはずだ」という一文には主語がありません。「誰が」高く評価してくれるはずなのでしょうか? おそらく、消費者ではないでしょう。そうではなく、生産者、権利者ですね。一口に権利者と言っても管理団体と演奏者の取り分が不明ではありますが、とにかく曲を提供する側から「高く評価してくれるはずだ」と。どうでしょうか? 他の例に置き換えて考えてみるとこんなところかも知れません。農家が丹誠込めて林檎を育てたとします。収穫した林檎を買い叩き、特売99円でバッタ売りする安売り店よりも、無茶な値引きはせずに定価で売っているウチの店を「高く評価してくれるはずだ」と。

 まぁ、市場シェアを武器に仕入れ値の引き下げを要求してくるような流通であっても、販売量が多ければそこに靡いてしまう、それが生産者が受け容れざるを得ない現実でもあります。とは言えそれだけが全てでもないのでしょう。いかに販売量が多くとも、この場合では流通と生産者の力関係は明白な上下関係のまま覆すことが出来ませんから。それよりも、流通と生産者が啀み合わず、生産者が満足できるビジネスモデルを考えていく、それも胸を張って語りうる選択肢の一つのはずです(果たしてKDDIが言うほどに、それを実践できているかはまた別問題ですが)。

 とりわけ「お客様は神様」というスローガンの元、日本では消費者重視を口実にして生産者が圧迫されがちです。「お客様のため」であれば生産者=労働者の権利は制限されても致し方ない、これに反対するものは消費者の敵、ひいては社会の敵であると、そう目されてきました。ですから、たとえ生産者側の取り分は少なくとも、より安価なサービスを顧客に提供しているiTunesの方が善しとされ、相対的に顧客へのサービスが高額であるLISMOは「消費者を軽視している」、生産者側の価値を大事にしたいなどと言い出せば嘲笑を浴びるわけです。

 間違いなく、そこまで意図した上での発言ではないとは思いますが、この消費者重視を口実にした生産者への圧迫が当然視される社会に疑問符を投げかけるとしたら、それは間違いなく画期的です。KDDIのような大企業のトップが言うなら尚更ですね。消費者ばかりではなく、生産者、権利者の重視、そもそも消費者あっての生産者であるのと同様、生産者あっての消費者ですから。消費者が将来的に、その恩恵を享受し続けたいと願うならばサービスの提供者を生かしておかねばならないのです。略奪農法で緑地を砂漠に変えてしまえば、いずれ収穫が得られなくなるように、消費者の目先の利益を追うだけでは済まされませんよね?

 フェアトレード的な発想をKDDIが推進しても面白いのではないでしょうか。子どもを奴隷労働させて収穫したコーヒー豆ではなく、ちゃんとした給料で人を雇って収穫したウチのコーヒー豆を見てください、と。ま、LISMOに比べてiTunesは権利者の取り分が少ないとしても、あくまで相対的なものであって、それで困窮するような権利者はいないと思いますが、発想としてはいずれ必要不可欠になってくるはずです。単に安いものを選ぶのではなく、生産者に適正な利益をもたらしているものを選んでいく(推していく)、そうしないと将来的には自分の首を絞めますから。

 

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コメント (5)
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