鳩山内閣の支持率が低下し,時事通信社の最新の調査では50%を切った。記事では「米軍普天間飛行場移設問題や2010年度予算編成での新規国債発行額をめぐり、首相自身や閣僚の発言が迷走したこと」を理由にあげている。政策の内容以前に, 内閣の首尾一貫した戦略性,あるいは首相のビジョンやリーダーシップが見えないことが,イライラ感を募らせている。「ブレる」という点では前首相と同じように見える。漢字を正しく読む分だけ(あるいは政権交代の昂揚感が残る分だけ)現首相の支持率がまだ高いが,この勢いで落ちていくと,早晩30%台に到達するかもしれない。
国民にとって景気の行方と経済政策が最大の関心事のはずだが,政府はいま何をすべきかについて,経済の専門家たち(経済学者には限らない)のいうことも,まちまちである。たとえば,Diamond Online の最新コラムを一瞥すると,高木勝氏(明治大学教授)や山崎元氏(経済評論家)は財政支出がまだまだ足りないというし,町田徹氏(経済ジャーナリスト)は逆に,赤字国債の増加を批判し,財政再建を主張する。何十年も前から同じような論争が続いていて,何も変わってない気がする。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者を集めて意見を聞いても,同じかもしれない。
経済学なんてそんなものさ,といえばすむことかもしれないが,もし自分がマクロ経済学を研究しているとしたら,そうはいっていられないだろう(そういう仮定をおくこと自体,変ではあるが・・・)。最近,高名な経済学者サミュエルソンが亡くなった。彼が提唱した新古典派とケインズ経済学の「総合」が,その後主体の合理性や市場均衡をより重視する方向へと変わり,いまや「動学的一般均衡」だという話をよく聞く。それがもしマクロ経済学の着実な進歩を意味するなら,日本の指導的なマクロ経済学者から,「経済学的に正しい」経済政策が提案されると期待したい。
日本のマクロ経済学者による数少ない(ぼくが他を知らないだけかもしれないが・・・)ブログである岩本康志氏(東京大学)のブログでは,12/16付で「53.5兆円の国債発行に至るまでに,どこで間違ったのか」という投稿がある。岩本氏は「1次補正予算を一部執行停止し,2次補正での追加経済対策がなければよかった」と述べつつ,たとえそうしていたとしても大幅な国債発行は避けられなかっただろうと指摘する。そもそも,リーマンショック以前に「増税を決断して,財政収支をもう少し改善しておくべきだった」と。ただ,政治的にそれができなかったわけで,そこに問題がある。
齊藤誠氏(一橋大学)の個人サイトに,「成長戦略より,既得権益の撤廃を」と題する週刊東洋経済向けのコラムが転載されている。先進国では確実な投資機会に乏しくなっており,そこで(バブルなしに)成長を持続させることは難しい。全体のパイを拡大することを目指すのでなく,限られたパイを公正に配分することを目指すべきだという。そのため,まず「法的整理を覚悟で日本航空を見事に再生させてみてはどうか。そうすれば、日航再生は、既得権益の撤廃、利害対立の調整のすばらしい手本となるであろう」と述べる。ここでも,財政出動の効果については否定的である。
他にも財政政策の効果に悲観的な経済学者は少なくないが,政治的には Kamenomics に代表される積極財政派は相変わらず根強い。財政政策に効果がないことを現代の経済学が十分な信頼性をもって証明できないとしたら,「このまま患者を放置して死なせるぐらいなら,リスクを伴う治療をすべきだ」という主張を論駁できない。「患者の死」が倒産や失業者の増加なのか,議員の落選なのかは別にして,積極財政は政治家にとって合理的選択になり得る。その後子孫が借金に苦しむのか,景気が良くなって税収が増えるのかの不確実性を考慮しても,なお合理的かもしれない。
もちろんそれは,いくつもの仮定を重ねた上の「手続き的合理性」でしかない。結局,政治家も経済評論家も,経済の「真の構造」について無知な状態のまま,部分的な経験や知識を根拠にゲームをしているという見方もできる。プレイヤーたちの重要な動機は「将来後悔しないと現在思えること」や「過去の発言を正当化すること」,「この論争で目立ち,相手を罵倒すること」であったりする。したがって,そこに学習メカニズムが加わったとしても,繰り返しのなかで正しい知識が形成されるという保証はない。だからこそ,同じような政策論争が永遠に続き,決着しないのだろう。
・・・というような議論は,マクロ経済学の発展を知らないための妄言だとマクロ経済学者から怒られるとしたら,むしろうれしく思う。しかし,財政政策にしろ金融政策にしろ,主要な経済学者が一致した見解を出せるほど確実な知識を持たないとしたら,朝からテレビ番組で政策論議をしている政治家や評論家とはちがう存在意義は何かということになる。一方,経済政策論争に加わる自信満々な人々にも聞いてみたい:なぜそうだと確信できるのか?それは科学的根拠に基づくのか,単なる信念なのか,その中間の「洞察」なのか。どれがいいということではなく,ただ聞きたいのだ。
国民にとって景気の行方と経済政策が最大の関心事のはずだが,政府はいま何をすべきかについて,経済の専門家たち(経済学者には限らない)のいうことも,まちまちである。たとえば,Diamond Online の最新コラムを一瞥すると,高木勝氏(明治大学教授)や山崎元氏(経済評論家)は財政支出がまだまだ足りないというし,町田徹氏(経済ジャーナリスト)は逆に,赤字国債の増加を批判し,財政再建を主張する。何十年も前から同じような論争が続いていて,何も変わってない気がする。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者を集めて意見を聞いても,同じかもしれない。
経済学なんてそんなものさ,といえばすむことかもしれないが,もし自分がマクロ経済学を研究しているとしたら,そうはいっていられないだろう(そういう仮定をおくこと自体,変ではあるが・・・)。最近,高名な経済学者サミュエルソンが亡くなった。彼が提唱した新古典派とケインズ経済学の「総合」が,その後主体の合理性や市場均衡をより重視する方向へと変わり,いまや「動学的一般均衡」だという話をよく聞く。それがもしマクロ経済学の着実な進歩を意味するなら,日本の指導的なマクロ経済学者から,「経済学的に正しい」経済政策が提案されると期待したい。
日本のマクロ経済学者による数少ない(ぼくが他を知らないだけかもしれないが・・・)ブログである岩本康志氏(東京大学)のブログでは,12/16付で「53.5兆円の国債発行に至るまでに,どこで間違ったのか」という投稿がある。岩本氏は「1次補正予算を一部執行停止し,2次補正での追加経済対策がなければよかった」と述べつつ,たとえそうしていたとしても大幅な国債発行は避けられなかっただろうと指摘する。そもそも,リーマンショック以前に「増税を決断して,財政収支をもう少し改善しておくべきだった」と。ただ,政治的にそれができなかったわけで,そこに問題がある。
齊藤誠氏(一橋大学)の個人サイトに,「成長戦略より,既得権益の撤廃を」と題する週刊東洋経済向けのコラムが転載されている。先進国では確実な投資機会に乏しくなっており,そこで(バブルなしに)成長を持続させることは難しい。全体のパイを拡大することを目指すのでなく,限られたパイを公正に配分することを目指すべきだという。そのため,まず「法的整理を覚悟で日本航空を見事に再生させてみてはどうか。そうすれば、日航再生は、既得権益の撤廃、利害対立の調整のすばらしい手本となるであろう」と述べる。ここでも,財政出動の効果については否定的である。
他にも財政政策の効果に悲観的な経済学者は少なくないが,政治的には Kamenomics に代表される積極財政派は相変わらず根強い。財政政策に効果がないことを現代の経済学が十分な信頼性をもって証明できないとしたら,「このまま患者を放置して死なせるぐらいなら,リスクを伴う治療をすべきだ」という主張を論駁できない。「患者の死」が倒産や失業者の増加なのか,議員の落選なのかは別にして,積極財政は政治家にとって合理的選択になり得る。その後子孫が借金に苦しむのか,景気が良くなって税収が増えるのかの不確実性を考慮しても,なお合理的かもしれない。
もちろんそれは,いくつもの仮定を重ねた上の「手続き的合理性」でしかない。結局,政治家も経済評論家も,経済の「真の構造」について無知な状態のまま,部分的な経験や知識を根拠にゲームをしているという見方もできる。プレイヤーたちの重要な動機は「将来後悔しないと現在思えること」や「過去の発言を正当化すること」,「この論争で目立ち,相手を罵倒すること」であったりする。したがって,そこに学習メカニズムが加わったとしても,繰り返しのなかで正しい知識が形成されるという保証はない。だからこそ,同じような政策論争が永遠に続き,決着しないのだろう。
・・・というような議論は,マクロ経済学の発展を知らないための妄言だとマクロ経済学者から怒られるとしたら,むしろうれしく思う。しかし,財政政策にしろ金融政策にしろ,主要な経済学者が一致した見解を出せるほど確実な知識を持たないとしたら,朝からテレビ番組で政策論議をしている政治家や評論家とはちがう存在意義は何かということになる。一方,経済政策論争に加わる自信満々な人々にも聞いてみたい:なぜそうだと確信できるのか?それは科学的根拠に基づくのか,単なる信念なのか,その中間の「洞察」なのか。どれがいいということではなく,ただ聞きたいのだ。
日本社会に必要なことは、鳩山政権の政治・行政改革を実現です。教育も医療も年金も司法も行政もデタラメにした自民党・官僚政治を徹底的に排除する必要があります。
学校現場から、文科省の愚民化政策を詳細に明瞭に暴露したのが、「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)です。この知識時代に、子供達に愚民化教育を行い、20万人の不登校、退学者、60万人の引きこもり、ニートを作りだしたのです。国民か社会知識と生活能力を奪い、多くの若者を失業者、生活困窮者にし、壮年をうつ病、自殺に追い込んだのは、自民党官僚政治であることは間違いありません。
愚民化政策を行う古い政治に戻るのは、愚かです。鳩山内閣への批判は、国民に一つの利益もありません。政治資金問題は、微々たることです。特捜部やマスコミの姿勢は、日本社会を害するもので、完全に誤っています。