2009 年最大の事件といえば,やはり「政権交代」だろう。選挙後の政党の合併や連立ではなく,選挙自体で野党第一党が過半数を得たのは,戦後初めてのことだ。日本という小さなコップのなかの出来事ではあるが,そのなかで生きる者として,歴史的大事件というしかない。100日間のハネムーン期間といわれている時期が過ぎ,政権のビジョンや能力が厳しく問われている。政権交代はそれだけでも意味があったとは思うが「それだけ」で終わるのだろうか・・・。
10月26日の投稿でぼくは,鳩山政権は結局,普天間問題では米国の意向にしたがう道を選び,社民党との連立を解消すると予想したが,そうはならなかった。政権維持を優先して難問を先送りし,何の前進もしないまま参議院選挙の直前まで進んだ場合,民主党が参院選挙で過半数を得ることは難しくなる。かといって,自民党も長老が幅を利かす限り復活の見込みはないだろう。参院選にはさまざまな新政党が乱立し,混沌とした状態になると予測する。
もっとも,ぼくの政治の予測は当たったためしがないので,実際どうなるかわからない。予想外の出来事を起きるほうが人生楽しめる。確実に進むと思えるのが,マスメディア,新聞やテレビの報道に対する信頼の低下だ。今回の政権交代にからんで浮かび上がった記者クラブ問題は,既成ジャーナリズムの守旧的な体質を露呈した。より正確にいえば,インターネット上の情報伝播によって,旧メディアがもはや情報を独占できないことを白日の下に晒したといえる。
新聞やテレビの報道は,右からも左からも偏向していると批判されてきた。それは仕方のないことで,報道がどういうスタンスをとろうと,それとは異なる意見が存在し,全員を満足させることなどできない。一方,インターネットの空間にはさまざまな情報が流通する。大手メディアが伝えないニュースでも,稀少性があるのでかえって引用されRTされる。人々は自分に近い意見を積極的に参照するが,敵対する意見も混入してくるので,結果的に多様な情報に接触する。
このことを決定づけたのは YouTube であり,Twitter だろう。そういう世界にどっぷり浸かっている人々は,規模としては少数かもしれない。しかし,そうした人々は必ずしも「エリート」ではなく,社会のあらゆるところに潜む「草の根」の人々だ思う。そこからリアル空間に漏れ出した情報が徐々に,しかし広範に浸透し,社会に影響を与えていくのではないか・・・。これはあくまで想像であり,検証されざる仮説だ。どうやったら検証できるかもはっきりしない。
とはいえ,新聞やテレビのない世界が来るわけではない。新聞ジャーナリズムの良質の部分は,ネットの世界でも生き延びるだろうし,そうなってほしい。テレビは映像コンテンツの供給元として,また同時性・即興性の高いメディアとして,産業総体としては発展していくだろう。そのなかでクロスメディア・クリエイターやマーケターの活躍の場が広がる。そうした変化についていけないマーケティング研究者はどうなるか・・・は社会的にはどうでもいいことだろう。
だが,こうした大きな社会の変化と寄り添うマーケティング研究でないと,そこに人生を賭ける意味はない ・・・という大言壮語をして年を越すことにする。
10月26日の投稿でぼくは,鳩山政権は結局,普天間問題では米国の意向にしたがう道を選び,社民党との連立を解消すると予想したが,そうはならなかった。政権維持を優先して難問を先送りし,何の前進もしないまま参議院選挙の直前まで進んだ場合,民主党が参院選挙で過半数を得ることは難しくなる。かといって,自民党も長老が幅を利かす限り復活の見込みはないだろう。参院選にはさまざまな新政党が乱立し,混沌とした状態になると予測する。
もっとも,ぼくの政治の予測は当たったためしがないので,実際どうなるかわからない。予想外の出来事を起きるほうが人生楽しめる。確実に進むと思えるのが,マスメディア,新聞やテレビの報道に対する信頼の低下だ。今回の政権交代にからんで浮かび上がった記者クラブ問題は,既成ジャーナリズムの守旧的な体質を露呈した。より正確にいえば,インターネット上の情報伝播によって,旧メディアがもはや情報を独占できないことを白日の下に晒したといえる。
新聞やテレビの報道は,右からも左からも偏向していると批判されてきた。それは仕方のないことで,報道がどういうスタンスをとろうと,それとは異なる意見が存在し,全員を満足させることなどできない。一方,インターネットの空間にはさまざまな情報が流通する。大手メディアが伝えないニュースでも,稀少性があるのでかえって引用されRTされる。人々は自分に近い意見を積極的に参照するが,敵対する意見も混入してくるので,結果的に多様な情報に接触する。
このことを決定づけたのは YouTube であり,Twitter だろう。そういう世界にどっぷり浸かっている人々は,規模としては少数かもしれない。しかし,そうした人々は必ずしも「エリート」ではなく,社会のあらゆるところに潜む「草の根」の人々だ思う。そこからリアル空間に漏れ出した情報が徐々に,しかし広範に浸透し,社会に影響を与えていくのではないか・・・。これはあくまで想像であり,検証されざる仮説だ。どうやったら検証できるかもはっきりしない。
とはいえ,新聞やテレビのない世界が来るわけではない。新聞ジャーナリズムの良質の部分は,ネットの世界でも生き延びるだろうし,そうなってほしい。テレビは映像コンテンツの供給元として,また同時性・即興性の高いメディアとして,産業総体としては発展していくだろう。そのなかでクロスメディア・クリエイターやマーケターの活躍の場が広がる。そうした変化についていけないマーケティング研究者はどうなるか・・・は社会的にはどうでもいいことだろう。
だが,こうした大きな社会の変化と寄り添うマーケティング研究でないと,そこに人生を賭ける意味はない ・・・という大言壮語をして年を越すことにする。