Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

行動計量学会 雑感

2009-08-07 23:13:13 | Weblog
朝起きて,旅館の最上階にある露天温泉に入る。よく晴れた朝。海が輝いている。朝食のバイキングを食べ終わったのが8時半。学会会場となる大学行きのバスが出た頃だ。しかし,大分経由でもギリギリ間に合う。午前~午後と主に認知科学系の研究発表を聞くが難しい。学際的な学会とはいえ,前提知識がないと他の分野のことはホントよくわからない。てことは,ぼくの発表も,意思決定理論や選択理論を知らない人には,何をやっているのかわからなかっただろう・・・。

午後,渡辺さんの空間的自己相関モデルの報告を聞く。渡辺さんは,この手法をひたすら追求している。行動計量学会には,こういうタイプの発表が少なくない。たとえば非対称MDS。それがいま流行っているとか,実際に使われているとかを気にすることなく,毎年のようにカイゼンし続ける一群の人々がいる。研究者人生とはそういうものかもしれない。そう考えると,ありとあらゆることに手を出している自分の愚かさが身にしみる。同じことを続ける根気が重要だ。

昨夜の懇親会では,何人かの方の挨拶のなかで故・林知己夫氏の名前が何度も出た。偉大な創業者がいて,死後もその影響が残る企業は一般に凝集力があり,組織として強いように思われる。ただし,優良な企業の場合,そうした強い文化を持つと同時に,つねに革新的であることがもう一つの条件となる。経営学で「独り」エージェントシミュレーションを追求している稲水さんに今回奨励賞を授与したことが,この学会が革新的であることの現れならいいのだが・・・。

林氏を中心に行動計量学会が創立されたとき,狭義の統計学を超えたデータ科学を,さまざまな人間の行動や社会現象に適用していこうというミッションがあったと思う。そしてそれはその後,かなり成功した。マーケティングリサーチ業界には林の数量化理論を皮切りに,さまざまなデータ解析手法が普及した。最近では SEM がよく使われるが,その普及にも,春の合宿セミナーなど,この学会の貢献は大きかったと思われる(ぼく自身が伴走してきたわけではないが・・・)。

この学会の今後について僭越ながら語るなら,人間・社会科学分野で汎用性の高いデータ科学的な手法を普及させるというミッションがまだ残っているかどうかが鍵となる。たとえば,この学会でもさかんに研究されている項目反応理論は,教育心理以外の分野でどれだけ応用できるだろうか。少なくともマーケティングでは,応用範囲はかなり限られていると思う。項目反応理論だけでなく,最近は,特定領域に固有の問題に特化した手法の研究が進むという流れにある。

これは,科学の発展段階としては自然な気がする。その領域で実証的裏づけのある理論が乏しい場合,データをして語らしめることが重要だ。そこで汎用的なデータ解析手法が活躍する。しかし,その領域が科学として成熟すると,領域固有の理論モデルが構築され,それをデータに当てはめる形になる。モデルは領域固有のロジックを強く反映する,そうなれば,行動計量学は計量心理学,あるいは計量ナントカ学へと分化する。既存の学問分野の下位に属することになる。

マーケティングは固有のディシプリンが弱いので,汎用的な計量手法がこれからも重宝されるかもしれない。しかし,心理学や経済学(その両者が融合した行動経済学)の理論がそれなりに発展してきているのに,あるとき観察された相関関係を束にしたものを「モデル」と称して報告するだけでいいのだろうか。現場のマーケティングリサーチならともかく,マーケティングサイエンスや消費者行動研究を名乗るのなら,やはり知識を体系化する努力を行なうべきではないか。

手法で領域を横断することの難しさは,エージェントベース・モデリングも同様だ。手法が同じだからといって,社会シミュレーションと交通シミュレーションでは,その原理は根本的に異なる。また,モデリングが容易だからといって,その領域の既存研究をほとんど無視したアドホックなモデルを作っても,その分野の研究にほとんど影響を与えない。学際的なエージェントベースモデリング学会を作っても,なかなかうまくいかないだろうと思われる理由は,そこにある。

今後,学際性を追求するにしても,手法よりは(あるいは少なくとも,手法だけでなく),対象(人間や社会)をどう理解するかに踏み込んだものでないと,実り豊かではないと思う。その意味で,星野さん,竹村さんとともに参加する行動経済学会には,多少とも期待している(経済学者の頑固さを心配しつつも・・・)。ただし,自分にとってしっくりくる学会を探すという発想を捨てて(そんな場所はないと早く悟って),自分でなんとかするよう考えるべきかもしれない。

行動計量学会@大分大学

2009-08-06 09:12:02 | Weblog
大分大学医学部で開かれた日本行動計量学会に参加するため別府にやってきた。会場は山を越えたところにある。初日の「好みの計量」セッションでは,ネットのリスティング広告やレコメンデーション,携帯電話を使った調査など,新しい話題ばかりが続く。そのなかでぼくだけが,地味な心理実験を報告した。マネジリアルな含意もはっきりしない。行動計量学会自体としては,こうした発表もあっていいはずだが,このセッションの一貫性を損なったかもしれない。まあ,いいか・・・。

革新性という意味で,芳賀さんの「クロスリファレンス・リサーチ」が興味深い。ネット上では,ある発言にコメントがつき,それがさらに新たな発言やコメント生んでいく。こうしたクチコミのプロセスを,携帯電話を使って人工的に作り出し,意見の連鎖パタンを全把握しようという手法だ。個々の消費者の態度が他者の発言によって変化するプロセスが動的に把握される。それは,既存の分析手法の前提からはみ出したデータであり,それに相応しい分析手法の開発が期待される。

これはパンドラの箱を空けたともいえる。実験的に仕組まれた「仮想」シナリオのなかで,どのような「可能性」があるかを探る点では,選択実験(コンジョイント分析)などとも似ている。しかし,従来の実験はかっちり構造化され,そこで起きる事象の自由度が小さいのに対して,クロスリファレンス・リサーチでは,その後の変化が非線形的で予測不能である。極論すれば何が出てくるかわからない点が魅力で,可能性のマイニング,あるいは「データ錬金術」に近いものを感じる。

次の「マーケティング」セッションの冒頭,朝野先生がマーケティング・サイエンスの成果で使われているのはセグメンテーションぐらいだが,そのことと単一の同質的な母集団から無作為抽出するという考え方は本来矛盾する,と指摘される。別のセッションでは,回答率が低下した調査データの補正とか,エリアサンプリングにおける「無作為性」確保の工夫といったことが話題になっていた。社会調査的には重要なことだが,マーケティングの立場からは別の見方もできると思われる。

山川さんは膨大な行動ログデータを行動ターゲティングやリコメンデーションに利用する立場から,統計学やデータ解析の「高度な手法」への疑問を投げかける。つまり,データ量と計算に許される資源の制約から,簡単な四則演算からなるルールでないと現実には実行できない。学会で発表されるリコメンデーション・モデルの大半が,現実の制約を無視して,ますます空理空論化していく傾向が続くと,どんなことになるか。空理空論派の末端にいるぼくとしても,無関心ではいられない。

これらの話を結びつけると,少なくともマーケティングの立場からは,従来の統計学的発想から脱する必要性を強く感じる。あるデータから,母集団の(安定していると仮定された)状態を推測するのではなく,そこに潜む動的変化の可能性を掘り起こすこと。そうした発想はすでにデータマイニングの世界にあるかもしれない。その規模がさほど大きくなくても,ある特性を確実に共有する人々を見つけ出すこと自体はクラスタリングであり,そこですでに議論されているならうれしいが。

一群の人々を,どこまで「同質」と考え,セグメントとして扱ってよいのか(それを内的に決められないか)。あるいは,データのどの部分に「情報価値」があるかを判定できるのか。それを,母集団に関する推論なしにできないか。すでに使える手法があるのなら好都合だが,ないのなら考えていく必要がある。一方,マーケティングサイエンスでは,Allenby のようにセグメントの存在を否定し,個人差を連続的かつ単峰的な分布に吸収する流れがある。どちらが正しく,また実り豊かだろう?

なお,今回ぼくが発表した「選択における葛藤回避と正則性」は,秋山さん,山田君との共同研究である。準拠する研究は Tversky-Shafir 1992。意思決定者がトレードオフのもたらす葛藤を回避するため決定を延期する結果,多くの選択モデルが仮定する正則性(regularity)が崩れることを示した実験だ。正則性とは,選択集合を拡大させた場合,もとから存在する選択肢の選択確率は決して増加することはない,という性質だ。ところが,何度同様の実験を繰り返しても,彼らと同じ結果を再現できない。

しかし,文脈効果を考慮した多項ロジット選択モデルを適用すると,見えてくるものもある。選択肢がネガティブな属性を持ち,その水準が低い場合,トレードオフがあると正則性が崩れやすい。このことは,他者のために購買する場合,より顕著になる(それは説明責任が生じるため,というのが1つの説明だ)。他方,属性水準が高いトレードオフの場合,むしろ購買が促進(延期が抑制)される効果が見られる。それぞれ魅力的な公約をめぐってガチンコで争う選挙では,投票率が上がる,ということか。

これがどこまで一般性のある結論なのか,まだわからない。それがわかったとしても,どういう意味があるのか。葛藤回避が何らかの文脈効果を持つとして,どんなマーケティング上の帰結を生むのかが最も難しい。ただ,それなしには,マーケターたちに面白いとは思ってもらえない。

年収と学力の相関

2009-08-04 23:32:20 | Weblog
最近よく話題になる親の所得格差と子どもの学力格差の相関が,文科省の全国学力テスト(の一部を使った委託調査)で裏づけられた。

小6正答率、世帯年収で差=学力テストの追加分析-文科省

時事通信によれば
正答率は年収が多くなるにつれておおむね上昇し、1200万円以上1500万円未満だと200万円未満より20ポイント程度高まった。ただ、1500万円以上では正答率が微減に転じた。
とのこと。後半の,年収が高すぎてもと正答率が微減する,という点が気になる。贅沢な生活をすると,子どもが勉強しなくなるのか・・・。あるいは「中の上」所得層が一番上昇意欲が強く,教育熱心ということか。

親の収入高いほど子供は高学力、でも…

読売新聞はグラフまで載せている(読売が描くグラフは要注意?)。それはともかく,
親が心がけていることについて調べたところ、高学力層の子供の親は、「小さい頃から絵本の読み聞かせをした」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子供と話す」といった回答が多かった。このうち、「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題にする」は、親の所得に関係なく学力向上に一定の効果がみられたという。
つまり,単に収入があるから,というより,親の子どもに対するコミュニケーションが重要だ,というわけだ。

<学力>年収多い世帯の子供ほど高い傾向…文科省委託研究

毎日新聞の記事は,次のような親の行動にも注目している。
また、親自身の普段の行動を尋ねたところ、高学力層では「クラシック音楽のコンサートに行く」「お菓子を手作りする」などの回答割合が高く、低学力層では「パチンコ・競馬・競輪に行く」「カラオケに行く」などの回答割合が高かった。
このような行動は収入とも関係していそうだが,どうなんだろう。

親の収入と子どもの学力,あるいは親の「知的」ライフスタイルと子どもの学力の相関は昔からあったと思うが,問題は小6時の学力格差がその後どこまで持続するか。また,その傾向が年々強まる傾向があるのかどうか。

学会ツアー 今後の予定

2009-08-01 22:59:18 | Weblog
8月5日から大分大学で開かれる行動計量学会に参加する。5日の午前中(*)に「選択における葛藤回避と正則性」について報告する。予稿に書いたよりは分析は進展したが,その後膨らんだ期待の通りには進まなかった部分もある。九州の大地が,何らか慰めと励ましと閃きを与えてくれればよいのだが。

 *午後の誤り

8月26日からは,筑波大学で開かれる Logic, Game Theory, and Social Choice 6 を聴講に行く。論理学,認知科学,ゲーム理論の間の対話。そのど真ん中にある inductive game theory ...  ぼくにどこまで理解できるかわからないが,そこに社会科学の新しい方向を見出せるのではないか,と期待している。

8月末に行動経済学会の予稿提出期限が来る。本番は12月上旬,名古屋大学にて。消費者の予測実験を再分析して報告する予定。9月19, 20日の進化経済学会オータム・コンファレンス@四天王寺大学。進化ゲーム理論のチュートリアルなどがあって魅力的だが,参加するか(できるか)どうか未定。

10月中旬に,Complex'09 の予稿提出。本番は11月4日から中央大学(駿河台)で開かれる。そこでマーケティングサイエンスの特別セッションを開催する。JIMS からぼくを含めて3人,経済物理学から2人,社会シミュレーション分野から2人発表予定。新たな議論と対話,そして創造の場になるとうれしい。

10月末は,広島経済大学で消費者行動研究学会。プロ野球は終わっているが,マツダスタジアムを見学したいなあ・・・。12月上旬には,マーケティングサイエンス学会(JIMS)@電通(汐留)。手帳を見ると「学内重要業務」と重なるおそれがある。それぞれ何か発表するか,聴講のみとするかは未定(微妙?)。

あとは,海外で開かれる学会を1つ。詳細は一切未定。