Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

〈生〉の消費者行動論

2008-12-14 19:00:15 | Weblog
今日は雨が降って寒い日だ。大学のキャンパスではいくつかの催しがあって,それなりの賑わいがあるが,研究室への出入りはふだんより制限されている。休日には働かないよう,ワークライフバランスを考えていただいている,と理解すればいいのだろうか。毎年同じノートで講義し,ゼミで学生と語らい,各種の会議にきちんと出席しているだけなら,定時に仕事は終わる。ぼくは何か余計なことをやっているんだろう,きっと…。どこかで何かを諦めないと,よき〈生〉を楽しむことはできない。いずれにしろ,本人が選択することだ。

昨夜は,藤村正之さんの近著『〈生〉の社会学』の話を聞く会。冒頭に,社会学者のキャリアパスにとって単著が持つ意味や,そのための戦略を聞く。査読論文が評価の中心になっている世界の住人から見ると,単著で評価される世界のほうが安易に見えるが,実際はそうでもないようだ。査読論文は誰でも投稿でき,審査をしてもらえるが,単著は必ずしもそうではない。また審査するのが研究者ではなく編集者である点も違う。学術書としての最低部数をクリアするだけ売れるかどうかという判断では,より広い読者が考慮されることになる。

藤村さんによれば,社会学は(その他の分野でもそうだが)さらなる専門に細分化される一方だという。そうした,領域に分化した社会学を「連字句社会学」と呼ぶらしい。連字句とはハイフンのこと。つまり,家族-社会学とか都市-社会学とかいった領域社会学で,社会学はそのレベルでより活性化しているということだ。「社会システム」一般に関わる「大きな物語」が語られない時代になったことが幸福なのか不幸なのか。年輩者は昔を懐かしんで不幸だと考えがちだが,ぼく自身はどっちつかずである。不幸といわれれば,どうしてといいたくなる(逆もまた)。

藤村さんの〈生〉の社会学は,いまの時代には十分「大きな」話だが,次回作にはもっと大きな話を望んでもよいかもしれない。もし「生命」「生活」「人生」という life の各側面を視野に入れようとするのであれば,より基層にある「生命」にもっと光を当てたらどうかと思う(下條氏の本を読んだ後だから,そう感じるのだろう)。そんな門外漢の与太話にも,イヤな顔ひとつせず聞いてくれるのが,彼の素晴らしい人柄である(それは社会学者として稀有なことであるかどうか,ぼくはよく知らない…)。


藤村 正之
東京大学出版会

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生命と社会を結ぶという点では,真木悠介『自我の起源』が思い出される。古くさい社会科学に取って代わると豪語する社会生物学の流れに対して,ただ感情的に反発するのではなく,冷静にそこから学ぶべき部分を吸収しようとした本だと記憶している。生命と社会を結ぶ,社会学側からの試みはすでにあるのだ。ぼく自身,人に注文をつけるだけでなく,「生命」「生活」「人生」を包括する〈生〉の消費者行動論を考えてみたらどうだろう。100年早いとはいわないまでも,あと10年は必要だな…。

自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫)
真木 悠介
岩波書店

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