ポピュリズムということばが世界的に話題になったのは、昨年の冬頃である。その背景にどのような政治的事件があったかは、いまさら説明するまでもないだろう。Google Trends を見ると、昨年の冬を除くと、このことばは一定の周期を持って話題になっていることがわかる。それはまるで、社会がバイオリズムを刻むようでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/65/c5141b1b44db28b1920b3a951905e693.png)
ポピュリズムとは何かを議論する上で難しいのは、自分の政治思想はポピュリズムであると自認している人が、ほとんどいないことである。したがって、何がポピュリズムなのかは、それはポピュリズムだと一定の範囲で合意できる政治運動から帰納的に分析されるしかない。しかし、ポピュリズムの基準が曖昧なので、それはそう簡単ではない。
水島治郎『ポピュリズムとは何か』は昨年の今頃出版され、石橋湛山賞を受賞するなど、ポピュリズムに関する書籍として高い評価を得てきた。南北アメリカからヨーロッパに至る、「ポピュリズム」とみなし得るさまざまな政治運動が紹介されているが、それらは決して同じではないことも丁寧に説明される。ただし、いくつかの共通点がある。
本書の副題「民主主義の敵か、改革の希望か」が示唆するように、ポピュリズムは民主主義とは切り離せない関係にある。それはしばしばエリート(すなわち既存の政党や官僚)から民衆への権力移行を主張する。国民投票のような直接民主制的手続きを好む。そこで推進しようとする政策が右翼的か左翼的かは、置かれた状況によって変わる。
ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳されることもある。有権者の欲求に適合することを目指すのは、民主政治においては当然のことである。マーケティングのことばを使えば、ポピュリズムは政治における顧客志向だということもできる。どんな政党・政治家であっても、大なり小なりポピュリストにならなければ、選挙で選ばれることはない。
ポピュリズムが危険であり、抑制すべきものであるとしたら、エリートによる大衆の善導という思想を受け入れるべきなのだろうか。あるいは、エリートへの依存は避けつつ、人々のなかにある異質性が尊重され、維持されるような社会を目指すべきなのか。それはそれで社会が分裂し、対立し合う危険をはらんでおり、平坦な道のりではない。
ちなみに「熱狂」は、マーケティングの研究において私が関心のあるテーマの1つである。政治行動における熱狂まで視野に入れると、熱狂現象の負の側面にも目配りが必要になる。
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ポピュリズムとは何かを議論する上で難しいのは、自分の政治思想はポピュリズムであると自認している人が、ほとんどいないことである。したがって、何がポピュリズムなのかは、それはポピュリズムだと一定の範囲で合意できる政治運動から帰納的に分析されるしかない。しかし、ポピュリズムの基準が曖昧なので、それはそう簡単ではない。
水島治郎『ポピュリズムとは何か』は昨年の今頃出版され、石橋湛山賞を受賞するなど、ポピュリズムに関する書籍として高い評価を得てきた。南北アメリカからヨーロッパに至る、「ポピュリズム」とみなし得るさまざまな政治運動が紹介されているが、それらは決して同じではないことも丁寧に説明される。ただし、いくつかの共通点がある。
![]() | ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書) |
水島治郎 | |
中央公論新社 |
本書の副題「民主主義の敵か、改革の希望か」が示唆するように、ポピュリズムは民主主義とは切り離せない関係にある。それはしばしばエリート(すなわち既存の政党や官僚)から民衆への権力移行を主張する。国民投票のような直接民主制的手続きを好む。そこで推進しようとする政策が右翼的か左翼的かは、置かれた状況によって変わる。
ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳されることもある。有権者の欲求に適合することを目指すのは、民主政治においては当然のことである。マーケティングのことばを使えば、ポピュリズムは政治における顧客志向だということもできる。どんな政党・政治家であっても、大なり小なりポピュリストにならなければ、選挙で選ばれることはない。
ポピュリズムが危険であり、抑制すべきものであるとしたら、エリートによる大衆の善導という思想を受け入れるべきなのだろうか。あるいは、エリートへの依存は避けつつ、人々のなかにある異質性が尊重され、維持されるような社会を目指すべきなのか。それはそれで社会が分裂し、対立し合う危険をはらんでおり、平坦な道のりではない。
ちなみに「熱狂」は、マーケティングの研究において私が関心のあるテーマの1つである。政治行動における熱狂まで視野に入れると、熱狂現象の負の側面にも目配りが必要になる。