今日,最近のニューロ・サイエンスで消費者行動に関わる研究がどのように行われているのかを聞く機会があった。6月の JACS では「ニューロ・マーケティング」が取り上げられる。ニューロ・サイエンスあるいは脳科学が消費者行動研究にどのような新たな知見を加えるのか,今後各方面で話題になるだろう。
今日聞いた限りでは,これまでのところニューロ・サイエンスが,消費者行動の「深い」部分までアプローチしているわけではなさそうだ。したがって今後の方向として,消費者行動研究の最先端部分がこれまで明らかにしてきた命題を脳機能と関連づけることは,かなり有力な研究戦略になることは間違いない。たとえば,Tversky, Kahneman, Simonson といった認知バイアスの研究,Bettman, Payne らの選択方略の研究の系譜との結合などが考えられる。
一方,従来の消費者行動研究があまり踏み込めなかった領域にニューロ・サイエンスが新たな光を当てるという戦略もあるはずだ。プロトコル法や質問紙調査といった伝統的な測定手法で十分解明できなかった領域には,たとえばホリスティックな製品評価がある。それは部分(個別属性)には還元できない魅力であり,茂木健一郎氏のいうクオリア(質感)を想起させる(だから脳科学で…となるかどうかは,よくわからないが)。
ホリスティックといえば,クルマへの好みがまさにそうだろう。以下の二冊の雑誌では,いずれもアウディA4が表紙を飾り,記事中でメルセデスCクラス,BMW 3シリーズと比較されている。NAVI で下された評価によれば,A4 は全体にバランスがよく,Cクラスはコンフォートで優れ,3シリーズはハンドリングとエンジンが優れている。各クルマがそれぞれ「期待された」個性を具体化しているようだ。
これらと同じDセグメントには,マークX,プリメーラ,アコード,アテンザといった日本車も含まれる。ドイツ車が同じセグメントのなかで,高い価格プレミアムを享受できるのは,ブランド名やマークといった特定の属性のせいなのか,デザインから機能まですべてを包含したホリスティックな特性のせいなのか。要素還元的な従来の「科学的」アプローチでは前者の説明のほうが支持されやすいが,本当にそうなのだろうか?
ホリスティックな価値とは,「本物」という表現が相応しい,何らかの実体を伴っているのではないだろうか。それは,誰もが一定の経験を積めば,かなりの程度感じることができるという意味で再現性がなくてはならない。腕時計にほとんど関心がないぼくでも,たまに雑誌広告や店頭でデザインに魅入られるときがある。通常目の飛び出るような価格なので選択集合に入ることはないが,本当は腕時計の本物性に目覚めて,高価な買物をすることが怖いだけかもしれない。
高級腕時計を買うのは,見せびらかしのためだろうか? だとしても,そこに何らかの「本物」性があることを否定したことにはならない。もちろん「本物」性など幻想に過ぎないと主張する立場があってもよい。何が「本物」かは,社会関係のなかで恣意的に決まる,というモデルを作ることだってできるだろう。どちらか真実かをめぐって,ぼく自身の気持ちも揺れ動いている。
自分がいま感じていることを信頼するならば,わが「愛車」のエンジン音や身体に伝わる響きから得られる全感覚的な快感が,全く根拠がないものとは思えない。どこかで聞いた意見を鵜呑みにしただけなのか,買ったものをすべてよく受取りたいという認知的一貫性のなせる業なのか,いやそうではなく,こんなぼくでさえ半ば無意識に感じることができる「質感」がそこにあるのではないか…こんなことをニューロ・マーケティングが解明してくれるのなら,至福としかいいようがない。
今日聞いた限りでは,これまでのところニューロ・サイエンスが,消費者行動の「深い」部分までアプローチしているわけではなさそうだ。したがって今後の方向として,消費者行動研究の最先端部分がこれまで明らかにしてきた命題を脳機能と関連づけることは,かなり有力な研究戦略になることは間違いない。たとえば,Tversky, Kahneman, Simonson といった認知バイアスの研究,Bettman, Payne らの選択方略の研究の系譜との結合などが考えられる。
一方,従来の消費者行動研究があまり踏み込めなかった領域にニューロ・サイエンスが新たな光を当てるという戦略もあるはずだ。プロトコル法や質問紙調査といった伝統的な測定手法で十分解明できなかった領域には,たとえばホリスティックな製品評価がある。それは部分(個別属性)には還元できない魅力であり,茂木健一郎氏のいうクオリア(質感)を想起させる(だから脳科学で…となるかどうかは,よくわからないが)。
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ホリスティックな価値とは,「本物」という表現が相応しい,何らかの実体を伴っているのではないだろうか。それは,誰もが一定の経験を積めば,かなりの程度感じることができるという意味で再現性がなくてはならない。腕時計にほとんど関心がないぼくでも,たまに雑誌広告や店頭でデザインに魅入られるときがある。通常目の飛び出るような価格なので選択集合に入ることはないが,本当は腕時計の本物性に目覚めて,高価な買物をすることが怖いだけかもしれない。
高級腕時計を買うのは,見せびらかしのためだろうか? だとしても,そこに何らかの「本物」性があることを否定したことにはならない。もちろん「本物」性など幻想に過ぎないと主張する立場があってもよい。何が「本物」かは,社会関係のなかで恣意的に決まる,というモデルを作ることだってできるだろう。どちらか真実かをめぐって,ぼく自身の気持ちも揺れ動いている。
自分がいま感じていることを信頼するならば,わが「愛車」のエンジン音や身体に伝わる響きから得られる全感覚的な快感が,全く根拠がないものとは思えない。どこかで聞いた意見を鵜呑みにしただけなのか,買ったものをすべてよく受取りたいという認知的一貫性のなせる業なのか,いやそうではなく,こんなぼくでさえ半ば無意識に感じることができる「質感」がそこにあるのではないか…こんなことをニューロ・マーケティングが解明してくれるのなら,至福としかいいようがない。