Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

本を捨てる快楽

2008-05-26 23:12:25 | Weblog
週末のセミナーの準備は終わったが,もう1つの予稿のほうはさっぱり進まず,危険水域はとっくに過ぎている。そんなときに,なぜそんなことをしたくなるのか自分でも不思議だが,「仕事」の合間に研究室の本の整理を始める。選別の基準は…

1) 5年以上前に買った本で,これまで読んでいない →×
2) 向こう3年ぐらいに,自分の研究テーマと直結しそうにない →×
3) 内容がすでに陳腐化しているように思える →×
4) 読む読まないに関わりなく蔵書すべき「古典」だ  →○

このうち,最低2つの基準に該当する本は廃棄する,というルールで作業する …てのは,実はやっているうちにだんだんわかってきたことで,つまり,Bettman や Payne がいうように,ルールは状況のなかで構築されるものなのだ。そして,そこにはエモーショナルな判断も介入する。たとえば著者に親近感を感じる場合は,内容はさておき保有を決定したり,その逆であったり…。

マーケティング関係の文献は,選択が容易である。事例ベースの本は時間とともに陳腐化しやすいし,この分野はそもそも理論の体系性を志向しないので「古典」が成立しにくい。書誌学的研究を目指すなら何でも取っておいたほうがよいだろうけど,そうではないのだから,捨ててもよい本の判断は比較的やさしい。実際問題,読むために「残された時間」は限られている…。

  だが,難しいのは教科書系だ。

次に経済学の書棚に向かう。やはり時論系は原則として捨てることにする。問題は,まだ「経済学」の勢力圏にいた頃に買い漁った専門書だ。それぞれ歴史の「重み」があって,なかなか捨てがたい(廃刊になった本は,もしかしたら稀少本かもしれないし…)。今後,経済学を本格的に勉強するとは思えないし… とまあ,今日はこのへんで作業中止。今後,経営学や統計学に「粛清」の嵐が向かうとき,もっと悩むことになるだろう。

本を捨てるという行為,最初は苦痛だが,いつの間にか快楽に変わっていく。長い時間をかけて組み立てた積み木を,一気に壊す快感にも似ている。読まねば,というプレッシャーから解放されたということもあるだろう。だが,もう少し踏み込んでいくと,この本は捨ててもいいと判断する過程に,加虐的な快楽が現れる。この本はもう古い,たいしたことは書いていない,読む価値がない,と断罪していくことが愉しいのだ。

これは,本を買うときの快楽とちょうど裏表になっている。買うときは,いろんな理由をつけて価値を高めていく。一方,捨てるときも,いろいろな理由をつけて価値を剥ぎ取っていく。そうか,本は読まなくても二度楽しめるんだ! では,読めばさらに三度楽しめるのか,というと一概にそうはいえない。読むことで,かえって総合的な快楽が低下する本もある。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。