Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

真・富裕層より真・中流層

2007-05-10 08:25:55 | Weblog
最近,これこそ真の(あるいは新しい)富裕層の姿を描いたものだと謳う本が次々と出ている。「階層化」をサブテーマにする立場として興味がないわけではないが,お金持ちの生活自体がピンと来ないためか,さほどそそられない。ただし,昨日は,講談社から(いつのまにか)発刊されているセオリーNo.9「リアルリッチの世界」を買う。

そのなかで目を引いたのが,山梨のワイナリー「ルミエール」のオーナーで,長年国際ワインコンクールの審査員も勤める塚本俊彦氏へのインタビューだ。氏は「味覚は15歳までに決まります」と語る。また「食は三代」ということばを引用しつつ,ワインを含む「高級な嗜好」を支える能力は,ある家柄の家庭で継承されるしかないことを示唆する。そこには「機会の平等」はない。

一方,このムックの後段に登場する,金融ビジネスで成功したという匿名の40代は,「インベストメント・バンクでは貧しい育ちの人間が勝ちます」という。そのほうがしぶとくて,タフだからだと。この場合,地位は親から子へ継承されないことになる。マネーゲームの勝者は,機会の平等を立証していることになるのか・・・。

いずれにしろ,真(新)富裕層向けマーケティングなんてどうも実感がわかない。男性が女性の生理用品を開発することだってあるわけだが,ぼくには自分が顧客ではないマーケティングを考えることはかなりしんどいことに思える。では,真(新)貧困層向けマーケティングならピンと来るのか。だが,それは「搾取」するようで気が引ける(その認識は間違いだとは思うが・・・)。

格差の拡大自体は,所得・資産分布の裾が広がるということであり,分布の形が二峰型になるわけではない。その意味で,比率として相対的に「中流」に位置する人々が最も多いことに変わりはない。だが,分布の裾が広がる(あるいはそう感じられる)ことで,多数派である中流層がどちらかに引き裂かれる感覚を強めているのではないか。つまり,わずかな差に対して,自分は勝ち組だ負け組だとナーバスになっていると。

ぼく自身は,やはりいまだに「マス」である中間層の「真」の姿に興味がある。そして,このムックと一緒に買った dancyu の蕎麦特集を読みながら,高くても数千円で味わえるグルメに思いを馳せる。六本木ヒルズに住んでフェラーリに乗って・・・と言う発想は全く出てこないのだ。