愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

井手町 玉川地蔵磨崖石仏

2011年03月20日 | 石仏:京都

京都府の南山城と呼ばれる地域は古くから奈良の都の背、山背(やましろ)と呼ばれた地域で此処井手町の東方台地には橘諸兄の別邸跡も有り古くは万葉集にも詠われ古くから拓けた所です。

その上井手と呼ばれる地域は眼下に木津川の流れを見下ろし、春には桜の老木で有名な地蔵禅院にはたくさんの人が集まる風光明媚な土地。

井手町の東方の山間から流れだす玉川に沿い集落の途切れた辺りから少し上流に進んだ河原にこの玉川石仏とと呼ばれる地蔵磨崖石仏がある。

採石地跡の様なところに車を停めて河原に下り、竹藪の広がる岸辺近くに大岩が突き出していてそれと判るが殆ど人の訪れた様な気配すら伺えません。

磨崖石仏は山状の赤っぽい岩の表面向かって右側に像高約1m強、頭上に円光後背を背負い、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像で線彫りに近い極薄彫りで刻まれている。

以前は此処から1kmほど上流に有る玉川の駒岩脇に在ったものの様で昭和28年の洪水で流され砕石場から掘り起こされ現在地に置かれたもののようです。

木津川に注ぎこむ南山城の支流は悉く天井川で、この玉川でも昭和28年には大洪水を起しその流れも大きく変えてしまったのだろう??

蓮華坐に立つ像高約70cm、中々写実味豊かな像容で遊行地蔵、鎌倉期の力強さはなく南北朝期の像立だと考えられている。

資料を色々探して見ましたが全く見つからずこれ以上のことはサッパリ分かりません。

いずれにしても江戸期以前、戦国時代辺りのものでは無いだろうかと??

近くに弥勒三尊の線彫磨崖仏もあるが、それより彫りは確かな様に感じられます。

撮影2008.3.28