現在では木津川市と名前を変えてしまった旧山城町に不動川という木津川に注ぐ天井川が東の山手より流れ出し豊かな扇状地を造りだしている。
万葉の昔より寧楽(なら)の山の背、山背(やましろ)として知られ、古代帰化人も多くこの地に住み着いたという。
京都から奈良へと向かう国道24号線で木津川に沿って走る山城町に入って不動川公園の看板を目印に不動川沿いの道路へ左折、道なりにどんどん進めば不動川公園を左に見て道路は狭くなり竹林の中を暫く進めば谷山不動のちょっと首をかしげる様な建物に出会う。
小さなバラックのような寺務所の(僕が行ったときは無人でしたが)横手に山肌へ伸びる急な石段が長く続いている。
大凡100段ぐらいだろうか??まっすぐに登り切ると更に左方向に石段は伸びてその先に簡素な覆屋が見える。
登り切って正面から見るとこんな感じで・・・・・屋根の下は全く暗くて何も見えない・・・
奥まで進み目を馴らしてみると何とかこんな感じで朧気ながら・・・
こんな時のためにと持ってきた三脚を据えての撮影・・・・長時間露出でも・・・・
所詮カメラ内臓ストロボ、正面一発の光源ではやっぱりフラット、芳しくない。
此処は家から近場でも有ることから何度も訪ねて見るがろくな写真が撮れた試しがない。
大きな花崗岩の岩壁に舟形後背を彫り窪め、右手に宝剣左手には索を持つ、お決まりの憤怒相の不動明王坐像が中肉彫りで刻み出されている。
像高102cm、鎌倉中期の造顕だと言われている。
堂外の向かって左側の岩、上段には地蔵菩薩立像、一段下がった岩には十一面観音立像が刻まれている。
舟形光背の中に中肉彫りで顔の涼しい地蔵さん。
像高1.2m、見るからに中々美しい・・・・・。
右手に錫杖、左手に宝珠とこちらもお決まり通り・・
左足元脇の岩肌に「永正十年(1513)の銘が刻まれ、室町時代後期の造立。
下段の岩壁に刻まれた十一面観音立像。
右手に数珠と錫杖を持ち、左手に宝瓶を持つ長谷寺形十一面観音立像。
像容、顔つき共に上段の地蔵に良く似ていて同一作者の作ではないだろうか??因みに像高78cm。
一方此の地の参道脇や一直線に登りきった参道奥には平地が有って所々石垣や礎石が残り、往時ここには僧坊が?建ち、密教修行の場で在ったようです。
その入り口であたりで見かけたどうにも良く解らない磨崖石仏。
崩れた岩肌に等身大ほどの石仏が並んで二体、一体は完品で他方一体は作造途中で放りだしたのか??はたまた崩れ果てたのか??
右手施無畏印(せむいいん)、左手は多分与願印、阿弥陀如来のような??・・・
しかし舟形光背の角度が余りに小さくどうも妙??オマケに何処を検索しても全く出てこない・・・。
苔むして古びて見えるが最近のものかも??知ってる人が居たら教えて下さい。
妙な石仏さんがこの奥の石垣にも一体・・・・これ何さんですか??
観音さんだと思うんだけど・・・何となくグロテスクと言えば悪いけど・・・
等身大有り、結構目立つが同じく全く不明・・
この不動石仏を紹介したページや文献では全く触れられることはない。
まだ此処にも石仏が・・・
これは間違いなく最近造られた素人彫りの地蔵磨崖石仏・・・・
撮影2011.3.4他