Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

魔法の方陣を巡って 

2005-12-25 | 数学・自然科学
数独が独逸で流行っている。今年の春ごろからの傾向であるようだ。余り興味が湧かなかったのは、ロウティーンの頃に買った二冊の専門書の内の一冊が魔法陣の本であった個人的な思いがあったからなのである。改めてこれについて話題になったので、その現象や作り方の解説を読んでみた。

何といっても気になるのが、所謂ラテン・ギリシャ等の方陣で、18世紀の大数学者オイラーが提出した仮説である。最も上手に説明しているのが、チェスの駒を色分けして(将棋でも構わない)説明してある米数学協会のサイトである。

nxnのn^2個に分かれた正方形のマス目の中に、n個の列とn個の段にn種類の連隊とn種類の階級を配置する。そして、同じ列と段に同じ連隊が重複しないように、また連合隊の階級が重複しないように並べて行く。6連合国6階級の駒からは、所属や階級が重なる事無しに条件を満たす新たな連隊を構成出来ない事を、この大数学者が発見した。

要するに6x6、10x10や16x16、18x18では不可能で、即ちk=4n+2では条件を満たさないとの仮説を提示した。この仮説は、1901年に初めてその一部条件での不可が証明されて、188年後の1959年になって今度は反対にn=10の場合の存在が確認されて、n=6以外条件での仮説公式が自体が否定された。

オイラーは、所謂グレコ・ラテン方陣を頭の片隅に入れていたようである。1960年当初にフランスで休暇を過ごした米国の数学者が、これを面白く説明している。フランスFとアルジェリアAの三人づつの外交団が其々三組に分かれて、其々一組に一人の仲介役を入れて三人一組が三組、三箇所の目的地に行く計画を立てるというものである。これを組み合わせて、どの外交官も三つの目的地tに其々違った三人の仲介者mと出かける事になる。

    F1    F2      F3
   ----------------------
A1 | t1 m1   t2 m2   t3 m3
A2 | t2 m3   t3 m1   t1 m2
A3 | t3 m2   t1 m3   t2 m1


同じような設定は、n=2とした場合不可能である。違う目的地に同じ仲介者と行かざらなくなるので条件を満たさないからだ。さて、このような条件を満たす、其々の属性が明確に定義されているものをラテン方陣として措こう。y軸とx軸が90度に交わる揺るぎ無い空間を想像しても良い。同様な説明にトランプのカードを使うものがある。キングやクイーンなどと独立して、ダイヤとかハートが存在するのでこれを同じように独立した属性として扱う事が出来る。

ここで、n=10とした時の解法となった基本的な考え方を参考に見よう。其れによると、10^2のマス目に00-99までの番号を以下の規則に従って置いて行くというのである。

1、 其々の列には、十桁の位の数字が各々唯一つになるように置いて行く
2、 其々の段には、十桁の位の数字が各々唯一つになるように置いて行く
3、 其々の列には、一桁の位の数字が各々唯一つになるように置いて行く
4、 其々の段には、一桁の位の数字が各々唯一つになるように置いて行く

こうする事によって、其々の列と段に00-99の数字から唯一の数字しか表れない事が保証される。この方法は、十桁と一桁を其々ギリシャ文字とローマ文字を当てはめていったグレコ・ラテン方陣の名前の由来にも相当する。

さてここでもう一度、オイラーが魔法陣にも興味を持っていた様でなので顧みてみる。最初に少し触れたが、nxnのn^2通りのマス目に埋められた数字がどの列を足してもどの段の数字を加算しても同じ数字になるような方陣を魔方陣と言う。ここまで述べてきた事柄で直感が働くかもしれないが、上の二つの属性に対して其々に違う値を与えて、加算すれば魔方陣となる。具体的にいえば、ダイヤに4、ハートに2、キングに13、クイーンに12などの値を適当に其々に与えて見れば良い。考え方は他にも存在するが最もこれが単純な様だ。

こうして作る事が出来る方陣のシステムが、二つのラテン方陣を合わせた所謂直交するグレコ・ラテン方陣であって、もちろんこれらの考え方はプランニングなどに使われており、そのn=10の可能性の組み合わせが群に別けても未だにクレーコンピュターで20時間!も掛けて計算されているというから驚きである。

個人的に懐かしい魔法陣の作り方に再会する切っ掛けとなった数独も、流行る以前から中国人がそれを算出するソフトを開発していたとして苦情を申し立てている。子供の頃には、その切っ掛けすら摑めなかったのを実に悔しいと思う半面、Recherches sur une nouvelle espèce de quarrés magiquesとして1782年にこの問題を論文に出しているオイラーが若き日に解いたバーゼル問題などを思うと、その数学的直観力には当然の事ながら只驚愕するしかないのである。

レオンハルト・オイラーはバーゼルのリーエンで1707年に生まれ、既に幼少の頃にベルヌーイなどに見出された。この師と共に1727年には女帝エカチェリーナ1世のぺテルスブルクで研究に勤しんでいる。1741年から1766年までは、ベルリンでフリードリッヒ大王のアカデミーに属していたが、その後1783年の死までぺテルスブルクに戻り、失明にも関わらず重要な論文を次々と纏め上げている。

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