Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ブロキュパイの果てに

2015-03-23 | 歴史・時事
土曜日に燃料を35Lほど入れた。このところのユーロ安で一時は120セントを割ろうかとしていた価格が133セントなら仕方ないと感じるようになった。折角車を走らせることが多くなると思っていたのだが、これでは直ぐにEZBの金融政策の成果が出て、インフレ率が上がるだろう。

今週はEZBの新事務所オープンでオキュパイが暴れた。流石にフランクフルターアルゲマイネ新聞は、ヘッセンの左翼党の言動を強く批判して、警察の過剰警備を批判した緑の党も叩いた。左翼のTAZもブロキュパイの「不測の事態」も伝えると同様に100人を超える傷害と緊急車両などへの放火、一億円相当を超える被害額の責任を問うている。世界から合流して一万人規模の活動となったようだが、アルテオパーの前の広場などでも放火をしていることからすれば、警察の発表のように同時多発的に計画されたものには間違いない。

この間長い間支持も広く受けたフランクフルトのブロキュパイ運動であるが、ここにきて暴漢がここまで騒ぎを広げるとなると、一線を画す市民が増えて来るに違いない。そもそもこの運動自体が時を経て、若干その意義を失ってきたような気もするのは私だけだろうか?アタックなど反グロバライズ団体などもあまり聞かなくなってきている。反資本主義やその類の言論が色褪せてきたのは当然で、十年前とは大分世界が変わってきているのだ。

フランクフルトから帰ってきた。やはりあそこに行くと、ニューヨークなどのチンピラとは違うグローバリズムを感じる。スイスなどの大銀行のビルを眺めるにつけ、反グローバリズムの声があそこで起きないならば、どこで起きるのかと感じるほどだ。運動自体は当然であろうか。



参照:
ブロキュパイの週末を終えて 2012-05-22 | 歴史・時事
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想

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