(承前)シュヴェツィンゲン音楽祭、アンサムブルレシエクレに関しては若干否定的に言及した。しかしその興行的な価値だけでなく創立者指揮者ロートとの活動の芸術的な価値に関しては改めて考えないといけない。
今回の二夜に亘るプログラムにおいてもいリゲティとモーツァルトを対照的において、この楽団が得意とする時代ごとに使用楽器とピッチを変えての演奏の価値である。因みにモーツァルトは430Hzが採用されていてハムマークラヴィーアが使われた。リゲティは442Hzで近代的な楽器が使われた。
その音色的な差は、特にモーツァルトということでそれ程感じさせなく、その奏法に関してもこれといった効果は示せていなかった。現在の演奏会において近代的な楽団がモーツァルトの交響曲などを演奏するのは特殊であって、それが成功する例も少ない。そしてそうした専門の楽団でもないので、取り分け音響的な期待に応えることもなく、ハフナー交響曲においてペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏と比較してなんら本来の音楽を奏でるものではなかった。
特に今回の様に青年のモーツァルトがここで学んだそれを考えれば、今回の演奏はヴァイオリン協奏曲ト長調も含めて寧ろ現代風で当時鳴り響いた音響ではないことがひしひしと感じられた。なるほどソリスツのファウストの試みで楽団もそれなりの音を創造していたのだが、まだまだ遠いという感じが否めなかった。
それはよりリゲティの作品において、その演奏法の洗練などに至らないと言及した。そして指揮者ロートの活動はここに大きく拠っている。客演で大きな楽団を振ったり、または常任としての活動もここでやるほど徹底できないということでもあろう。来年の聖霊降臨祭のプログラムも発表されていて就任するSWRを振るのだが、ブーレーズからラヴェル迄を生誕百年の「ノタシオン」を軸に形成している。二つ目のプログラムはブーレーズとブルックナーを組み合わせていて、それでツアーにも出かけるようだが、若干上のプログラミングにも似ている。
それらから予想すると2025年3月のブーレーズ生誕百年演奏会はロート氏が振るのではなくて、ベルリナーフィルハーモニカー関係者が何かを行うのだろうか。春の復活祭のブーレーズカフェーの最初を聴き逃したので不明である。
演奏会前のレクチャーで、リゲティのことも話していたのだが、嘗てのレートナイトなどでの話しの様にそれ程まとまった印象を受けない。ドイツ語があまり出来ないことがその理由かと思っていたのだが、どうもそうではなさそうで、フランス語でのそれも聞いてみないと判断できないのだが、若干の不明瞭さが付きまとう。
まさしくこの指揮者がブーレーズのその任の跡を継ぎたいと思ってもそのようには指揮出来ないのはなにもあのリズムの精密さや明瞭さの技術的な問題だけでなくて、音楽的な思考に準拠するものだと理解した。こちらもほぼ面が割れて仕舞って、評価に注目されるとなるとその活動にもより慎重にしかし重要な点を指摘していかないといけないと思っている。
参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
マフィア連中の試み 2021-04-06 | マスメディア批評
今回の二夜に亘るプログラムにおいてもいリゲティとモーツァルトを対照的において、この楽団が得意とする時代ごとに使用楽器とピッチを変えての演奏の価値である。因みにモーツァルトは430Hzが採用されていてハムマークラヴィーアが使われた。リゲティは442Hzで近代的な楽器が使われた。
その音色的な差は、特にモーツァルトということでそれ程感じさせなく、その奏法に関してもこれといった効果は示せていなかった。現在の演奏会において近代的な楽団がモーツァルトの交響曲などを演奏するのは特殊であって、それが成功する例も少ない。そしてそうした専門の楽団でもないので、取り分け音響的な期待に応えることもなく、ハフナー交響曲においてペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏と比較してなんら本来の音楽を奏でるものではなかった。
特に今回の様に青年のモーツァルトがここで学んだそれを考えれば、今回の演奏はヴァイオリン協奏曲ト長調も含めて寧ろ現代風で当時鳴り響いた音響ではないことがひしひしと感じられた。なるほどソリスツのファウストの試みで楽団もそれなりの音を創造していたのだが、まだまだ遠いという感じが否めなかった。
それはよりリゲティの作品において、その演奏法の洗練などに至らないと言及した。そして指揮者ロートの活動はここに大きく拠っている。客演で大きな楽団を振ったり、または常任としての活動もここでやるほど徹底できないということでもあろう。来年の聖霊降臨祭のプログラムも発表されていて就任するSWRを振るのだが、ブーレーズからラヴェル迄を生誕百年の「ノタシオン」を軸に形成している。二つ目のプログラムはブーレーズとブルックナーを組み合わせていて、それでツアーにも出かけるようだが、若干上のプログラミングにも似ている。
それらから予想すると2025年3月のブーレーズ生誕百年演奏会はロート氏が振るのではなくて、ベルリナーフィルハーモニカー関係者が何かを行うのだろうか。春の復活祭のブーレーズカフェーの最初を聴き逃したので不明である。
演奏会前のレクチャーで、リゲティのことも話していたのだが、嘗てのレートナイトなどでの話しの様にそれ程まとまった印象を受けない。ドイツ語があまり出来ないことがその理由かと思っていたのだが、どうもそうではなさそうで、フランス語でのそれも聞いてみないと判断できないのだが、若干の不明瞭さが付きまとう。
まさしくこの指揮者がブーレーズのその任の跡を継ぎたいと思ってもそのようには指揮出来ないのはなにもあのリズムの精密さや明瞭さの技術的な問題だけでなくて、音楽的な思考に準拠するものだと理解した。こちらもほぼ面が割れて仕舞って、評価に注目されるとなるとその活動にもより慎重にしかし重要な点を指摘していかないといけないと思っている。
参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
マフィア連中の試み 2021-04-06 | マスメディア批評
https://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/426e0ad0751838a2e73f1a9a70848994
レスピーギ三部作の「松」以外は録音が残っています。
モルダウ風景は初日ですね。アーカイヴに入ったら観ます。日曜日はプラハから中継。
DCHのトレーラーにペトレンコがモルダウを指揮しているシーンが映っていました。(初日の演奏?)
ウィーンのキャンセルはやはり健康状態が理由ではないのでしょうか。
レスピーギのローマ三部作こそベルリンでやってほしいです。
ローマの祭りの冒頭の響きなんか想像しただけで眩暈がします。