goo blog サービス終了のお知らせ 

Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

クライマックスのトランス

2023-02-07 | 
承前)週が明けてもネットには未だ批評が掲載されていない。今回の初演演奏会で最も喝采が大きかったのはヘヴィーメタルの二曲目のピアノ協奏曲の後である。しかしクライマックスは明らかに三曲目のシュテファン・ケラー作「エレクトラの踊り」にあった。

実況放送では、ここでは「エレクトラ」の物語が扱われているが「サロメ」を想起させるとなって、インタヴューで指揮者エンゲルが昨年の「サロメ」の指揮での経験からその最後の十六分音符までの流れの見事さを語っていて、このケラーの曲も同様なのだがそれは偶然で作曲者は考えていなかったというのだ。その本人はプログラムで、その踊りの意味を親殺しの特別な重い環境での無重力感の然るべき運動だとしている。

そして指揮者は、タブラ奏者でもあるケラーにおけるインド音楽の変化するリズムパターンによるトランスはメシアンに於ける様な独自の音楽言語になっていて、ここでは長短のアコードがグリッサンドで新たな効果を生じていて、複雑性と同時に分かり易い音楽となっているとしている。印象からも、武満のそれを思い起こすかもしれない、しかしそこにあるフォームは武満の樹木のフラクタルなものではない。

まさしく頂点はそのリズムが怪しくなってアコードへと崩れるところであった。勿論そこが鳴る訳でもあるが、同時にグルーヴこの場合はトランスとなる。それは昨年のベルリンの音楽祭でのエンゲル指揮ミンガスの演奏にも共通するところがあり、前曲ガンダー作の意匠の手直しよりも本質的な影響を感じさせた。

ケラーの音楽語法は安定したものだが、大編成曲は書いていなかったということのようでガンダーのような慣れはないのだが、少なくとも大編成を使い切っていたのではないだろうか。同時にエンゲル指揮が聴かせた息の長いクライマックス作りは「サロメ」での後半のそれを思い浮かばせて、これはこれで聴きものだった。

そして、作曲者が舞台に呼ばれると思いの外スイス人としては長身で驚いた。YouTubeでその些か固いタブラーの手首の返しを感じていたのだが、その参考にするところが北インドの音楽ということである。なるほどインド音楽も北と南では大分異なっている様なので、南というとテリー・ライリーなどを思い浮かべてしまうが、どうなのだろうか。スイスの作曲家も色々と知っているが、それらしくない作曲家だと思う。

会場には州立劇場の支配人でエンゲルとの共著のあるシヨーナーも当然の事ながら顔を見せていて、これまた6月からのメシアンの大作「アシジの聖フランソワ」上演への大きな期待が膨らむ。

今迄あまり気が付かなかったのはSWRのコンツェルトマイスタリンで、ブルガリアの人らしいがジュリアードでドロシー・デュレイなどにも習っているようで、悪くはなかった。大フィル演奏会にも登場したらしい。その他の面々もあまり知らない人が多かったのでどちらかというと以前からシュトッツガルト在住のSDR系の楽員が多く入っていたのだろうか。合弁後に聴いたこの楽団の中では一番良かった。新指揮者になってからもそれ程期待はできないのだが、今回のような演奏が出来るならば、ドナウエッシンゲンでの演奏もそこそこなんとかなるのではないだろうか。

エンゲル指揮でこれだけの大編成を聴くのは初めてで、六月にはまたこれに続く感じとなる。客演の限られた時間でなんだかんだと良く纏めているなと感心した。



参照:
「半糞有色黒人」の総譜 2022-09-27 | 音
ユートピア解説の抽象性 2022-05-31 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする