カトリック教会の不祥事が再び話題となっている。個人的には分かり切ったことであり興味がないのだが、以前から話題になっていた高名な雀合唱団への体罰としてラッチィンガー教授のお兄さんが今回は名指しされているのが大きい。彼のレーゲンスブルクのシュパッツ合唱団指導の神父だったことから当然のことであるが、体罰など具体的な被害が指摘されている。そこで催された音楽会に臨席してしたので、体面で話しこそ出来なかったが、その雰囲気を覚えている。その時はまだ教皇の兄弟で無かったこともあり、弟さんがあれ程の高位にいるとは知らなかったので、最前列の招待席のど真ん中での威厳と周りのザワツキが分からなかった。ただの前任指導者ではなかったのである。調べてみるとヨハネ・パウロから公証人の栄誉を受けていて、通常の位とはまた異なる格があったようだ。なるほど衣装もその辺りの司教ぐらいの感じだった。因みに氏の指揮した録音は安売りで結構出ている。
そもそも少年合唱団というのが思春期の声変わり前の少年を集めていて、現在の感覚からすれば明らかにペドフィリアの範疇に収まる集団行為である。カストラートの代わりであるから当然性的な存在なのだが、年齢が低い無邪気な少年を対象とするために、これへの愛好はそのものペドフィリアとなる。勿論体罰は良くないが、カトリックに拘わらずあの手の教育は体罰とは切り離せない。家庭の躾変わらない。善悪を明快にして、ペドフィリアを完全否定するならばこのような少年合唱というようなものも、少女の踊りのようなものも、恐らく十代のフィギュアスポーツのようなものも禁止にすべきである。なるほど80年代のような緑の党の少年少女の性の解放を訴えるのは明らかに行き過ぎであったが、現在のようなアンチペドフィリアのような状況も歴史的に批判されるに違いない。
クロームキャストオーディオを使うようになって、興奮が冷めないので、ホルモン異常になってしまっているのではないかと心配になる。次から次へと流す貯めてあるNASに音源に感動してしまうのだ。同じようなことを繰り返し記すのも気が引けるのだが、心の安定のためには書き落としてしまわないと健康に悪い。
今回興奮してしまったのは2014年バイロイトに「臨席」した時の、メルケル首相も訪れた「神々の黄昏」のMP3録音である。誰が録音したかは知らないが、今まで思っていたよりも聞けるのである。MP3でこれだけの音楽が聞けるとは思わなかった。流石に圧縮してあるので臨場感などはないのだが、コンタクト無しにクロームキャストを通してUSB-DACにデジタル信号を送り込むと魅力的な音楽として鳴り響く。ライアンの歌うジークフリートのひっくり返りそうな歌もよいが、なんといっても2015年とは異なる2014年のペトレンコ指揮の演奏が粗削り乍ら刺激的過ぎる。最近の「マイスタージンガー」演奏などでも分かったが、演奏者がそこまで細部までを弾けるようにまでは原石のような荒々しさがあるのだが、それが磨かれて行くというような経過は交響曲演奏でも共通している。要するに楽譜の読み方と再現意欲は全く変わらないでもアンサムブルの精緻や一節の精妙さは繰り返されることで初めて実現されるのである。まさしくあの年の「ジークフリート」から「神々の黄昏」へはあのがさついた舞台と共に、それはとてもとても刺激的な上演だった。
動画では、評判の悪かったミュンヘン音楽監督就任初新制作「ティートスの寛容」上演も決して悪くはない。なるほど劇場では管弦楽の演奏場所などから充分に鳴らなかったかもしれないが、マイクロフォンで捉えられた音響はとても活き活きとしてとても魅力的である。来春にはそのハフナー交響曲がバーデン・バーデンでプログラムに載っている。
参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
そもそも少年合唱団というのが思春期の声変わり前の少年を集めていて、現在の感覚からすれば明らかにペドフィリアの範疇に収まる集団行為である。カストラートの代わりであるから当然性的な存在なのだが、年齢が低い無邪気な少年を対象とするために、これへの愛好はそのものペドフィリアとなる。勿論体罰は良くないが、カトリックに拘わらずあの手の教育は体罰とは切り離せない。家庭の躾変わらない。善悪を明快にして、ペドフィリアを完全否定するならばこのような少年合唱というようなものも、少女の踊りのようなものも、恐らく十代のフィギュアスポーツのようなものも禁止にすべきである。なるほど80年代のような緑の党の少年少女の性の解放を訴えるのは明らかに行き過ぎであったが、現在のようなアンチペドフィリアのような状況も歴史的に批判されるに違いない。
クロームキャストオーディオを使うようになって、興奮が冷めないので、ホルモン異常になってしまっているのではないかと心配になる。次から次へと流す貯めてあるNASに音源に感動してしまうのだ。同じようなことを繰り返し記すのも気が引けるのだが、心の安定のためには書き落としてしまわないと健康に悪い。
今回興奮してしまったのは2014年バイロイトに「臨席」した時の、メルケル首相も訪れた「神々の黄昏」のMP3録音である。誰が録音したかは知らないが、今まで思っていたよりも聞けるのである。MP3でこれだけの音楽が聞けるとは思わなかった。流石に圧縮してあるので臨場感などはないのだが、コンタクト無しにクロームキャストを通してUSB-DACにデジタル信号を送り込むと魅力的な音楽として鳴り響く。ライアンの歌うジークフリートのひっくり返りそうな歌もよいが、なんといっても2015年とは異なる2014年のペトレンコ指揮の演奏が粗削り乍ら刺激的過ぎる。最近の「マイスタージンガー」演奏などでも分かったが、演奏者がそこまで細部までを弾けるようにまでは原石のような荒々しさがあるのだが、それが磨かれて行くというような経過は交響曲演奏でも共通している。要するに楽譜の読み方と再現意欲は全く変わらないでもアンサムブルの精緻や一節の精妙さは繰り返されることで初めて実現されるのである。まさしくあの年の「ジークフリート」から「神々の黄昏」へはあのがさついた舞台と共に、それはとてもとても刺激的な上演だった。
動画では、評判の悪かったミュンヘン音楽監督就任初新制作「ティートスの寛容」上演も決して悪くはない。なるほど劇場では管弦楽の演奏場所などから充分に鳴らなかったかもしれないが、マイクロフォンで捉えられた音響はとても活き活きとしてとても魅力的である。来春にはそのハフナー交響曲がバーデン・バーデンでプログラムに載っている。
参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音