プロテスタント会の無料配布誌「クリスモン」に目を通した。大抵は読まないのだが、ロシアからの移民について書いてあるのに気が付いたからである。所謂カタリーナ時代のドイツ系移民の子孫として、戻り移民となった女性が取り上げられている。黒海周辺に移民していたようだが、1940年以降のスターリン政権下で、敵国ナチスドイツの少数民族としてシベリアの強制労働キャンプ送りになった孫の世代である。
シベリアの道が何処までも真っ直ぐと伸びるようなステップ地帯に生まれ育った当年26歳のレーナは、四年前に先に移住している兄弟を頼ってウクライナの国境を越えてやって来た。その家系を意識してかドイツ語の先生として教育を受けて資格を取得していたようだが、そうした語学教師としての資格などは連邦共和国では役立たない。
少女の頃から、夢を大きく膨らませて、まだ見ぬ世界へと憧れていたらしい。そして今は、時々シベリアへ戻る夢を見ると語る。「ドイツも只単に幸せなパラダイスじゃない」と、そしてあの時見ていた夢は既に過ぎ去ったと悟る。概ね読者が想像するような、貧しくても豊かなシベリアの田舎生活と、豊かでも厳しいドイツの都市生活の利点欠点が比較されるのだが、流石にこの冊子は日曜礼拝でのおっ説教に通じるところへと筆が進む。編集者がそうなのだから当然だろう。
それを称して「勝ち、負け」と表現して、最大の獲得は職業養成所で知り合った同棲中のマルコであるとして、その反対にここは複雑な社会や共同体であり、ロボットになったようなドイツでの日常生活を挙げる。そして、「ロシアは楽しかった」と。
更に月並みな話題として、閉鎖的なロシアの人々に慣れていたのが、ドイツに来てあまりにも皆が愛想がよくて簡単に知らない者に声が掛かった不思議さを最も最初の強い印象として挙げる。これはもちろん南ドイツと北ドイツの国民性として表れる街角の解放度の違いでもあるが、西部ドイツにおいてもそのように感じるぐらいであるから南ドイツに来ていたらその解放感にさぞかし驚いたことであろう。
しかし、この記事はそこで終わらないのである。いよいよ核心である。ロシアでは多くの仕事や政治に関しては沈黙があったと、そこがドイツの生活で全く異なり、それがとっても難しいことだと紹介される。つまり、仕事であろうが、なんでもとても些細でつまらないことでも批判精神が要求されると。つまり沈黙や遠慮はここでは許されないことを。誤解を避けるために。これこそがプロテスタント精神である。その言葉自体の危うさは言うまでもないが、そこから全てがはじまるのである。
「どこにも完璧な生活なんてないって分かっている。もし何処か他の所で仕事していたら、きっと幸せだったんだわ、なんて考えてはいけないのね。自分を何とかしなければいけない」、でもその町パーダーボルンには間違いなく彼女は永くいないだろう。ドイツは彼女の故郷ではなくて、シベリアも一寸余所の土地になって仕舞っているのである。
参照:
Endlich was Großes erleben, Christine Holch, „Chrismon – Das evangelische Magazin Heft11.2009“
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評
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少女の頃から、夢を大きく膨らませて、まだ見ぬ世界へと憧れていたらしい。そして今は、時々シベリアへ戻る夢を見ると語る。「ドイツも只単に幸せなパラダイスじゃない」と、そしてあの時見ていた夢は既に過ぎ去ったと悟る。概ね読者が想像するような、貧しくても豊かなシベリアの田舎生活と、豊かでも厳しいドイツの都市生活の利点欠点が比較されるのだが、流石にこの冊子は日曜礼拝でのおっ説教に通じるところへと筆が進む。編集者がそうなのだから当然だろう。
それを称して「勝ち、負け」と表現して、最大の獲得は職業養成所で知り合った同棲中のマルコであるとして、その反対にここは複雑な社会や共同体であり、ロボットになったようなドイツでの日常生活を挙げる。そして、「ロシアは楽しかった」と。
更に月並みな話題として、閉鎖的なロシアの人々に慣れていたのが、ドイツに来てあまりにも皆が愛想がよくて簡単に知らない者に声が掛かった不思議さを最も最初の強い印象として挙げる。これはもちろん南ドイツと北ドイツの国民性として表れる街角の解放度の違いでもあるが、西部ドイツにおいてもそのように感じるぐらいであるから南ドイツに来ていたらその解放感にさぞかし驚いたことであろう。
しかし、この記事はそこで終わらないのである。いよいよ核心である。ロシアでは多くの仕事や政治に関しては沈黙があったと、そこがドイツの生活で全く異なり、それがとっても難しいことだと紹介される。つまり、仕事であろうが、なんでもとても些細でつまらないことでも批判精神が要求されると。つまり沈黙や遠慮はここでは許されないことを。誤解を避けるために。これこそがプロテスタント精神である。その言葉自体の危うさは言うまでもないが、そこから全てがはじまるのである。
「どこにも完璧な生活なんてないって分かっている。もし何処か他の所で仕事していたら、きっと幸せだったんだわ、なんて考えてはいけないのね。自分を何とかしなければいけない」、でもその町パーダーボルンには間違いなく彼女は永くいないだろう。ドイツは彼女の故郷ではなくて、シベリアも一寸余所の土地になって仕舞っているのである。
参照:
Endlich was Großes erleben, Christine Holch, „Chrismon – Das evangelische Magazin Heft11.2009“
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