パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

菊屋敷

2020-03-15 | 山本周五郎
山本周五郎の中編、「菊屋敷」は、終戦直後の昭和20年(1945)10月に刊行。日本婦道記の「菅笠」と収められた。10ケ月かけて書き下ろした。周五郎の価値観が終戦という大きな変革期においても変わらずに貫いた作品。新潮社版山本周五郎全集第1巻第11回配本昭和57年7月発行「夜明けの辻・新潮記」所収。

幕末の松本藩。志保は、26歳。儒官の家に生まれた。父を亡くし、村人から菊屋敷と呼ばれている、城下のかしわ村で塾を営んでいた。4歳下の妹の小松は美貌の持ち主で、塾生の越前高田藩士園部晋吾に嫁つぎ、晋太郎という子もいた。

周五郎は冒頭で、二人の姉妹の対比をする。器量、愛児。結婚、出産。女としての生き方。妹への嫉妬だ。

志保に届いた差出人不明の恋文。逡巡する志保。女心。そこに指定された場所へ行こうと決めたその時、小松が夫の園部、5歳の晋太郎、赤子の健二郎とともにやってくる。園部が蘭学の勉強に長崎へ行くという。自分もついて行くので、晋太郎をこの家に引き取ってほしいというのだ。
晋太郎の育てることに一生をささげようと決意する志保。母子の愛情と苦悩が繰り広げられる。「子を成さぬ者に子は育てられぬ」「養育するのではない、子どもから養育されるのだ」。そして塾生の年長者、31歳の独身、杉田庄三郎への思い。
やがて、園部は士官も叶い、江戸詰めとなる。その江戸の小松から手紙が届く。健二郎が亡くなったというのだ。

尊王攘夷の塾生に捕縛の手が。

冒頭の「志保は庭へおりて菊を剪っていた。いつまでも狭霧の晴れぬ朝」。そして最終章の菊畑の朝の場面。人は成長し、去っていく。変わらぬ菊屋敷。来ては去る時の流れに翻弄される志保。人の美しさとは何か。

構成も飽きさせず、ディテイルにこだわりがあり、センテンスも短く、リズムもよい。映像のように読み手を魅了する。そして、思いが貫いている。周五郎作品の中でも、愁眉だ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 極上の孤独 2/2 | トップ | 本と鍵の季節 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山本周五郎」カテゴリの最新記事