いまごろ、ほぼ晴れて来て、でもこの時刻を正確に書き表わすことはない。大体、今頃、で
晴れてとなると、季節から大体の判断が出来る。これは時間の正確さがどうのということでなく、
もうそろそろ夜も暗くなる、という感じのとき、さてどうのこうのすることもない、そうゆう私に
とって、これはなんだか絵に書いた餅で、でも気分ッでいうと、悪くはない。お天気に都合があ
る。ついでながら、なぜか今頃ウグイスが鳴いている。
まさか人工の、ウグイス笛を鳴らす人もいると思えない。そうゆう方がいてもよく、でも、ま
たウグイスが鳴いてもおかしくはないようだ。これが移動でもすれば、信憑性が高い。同じところ
で聞こえると、これは考えすぎか。このウグイスの声も、かすかに、朝に聞いたような、記憶が今
によみがえる。ウグイスの鳴き声に少しでも詳しいと、これの真偽は簡単に見破れるが、でも多分
本物のウグイスの鳴き声かも知れない。
時計が朝を告げる。電波時計で狂いそうにない。この辺りは体内時計といわれるものと違う。
目で見て、正しい感じがある。余分だが、今はほとんど、PCの時間も、この電波時計を見て合わせ
る。大体、一日に、2、3秒進む。それゆえ、1秒くらい、朝は遅らせる。で、その他気が付くときも、
0.5秒から、0.9秒の間で、うまく合えばいい、と思う。ま、カメさんだと、いい加減なもので、それ
でもほっておいて、1時間狂う、カメさんはない。で、たまに、それぞれのカメさんの時間合わせをや
る。これがスムースにゆくかどうか、これも自分の体調とかがわかりそうで、でもあまりこれに
窮屈になると、おかしくなる。それぞれ、カメさんに適当性のある時刻がある。電波時計を持った
カメさんは知らない。PCも同じ。
それで、朝だが、例えば日の出る、1時間くらい前というと、今は4時半くらいだろうか。よく
はわからない。どっちだというとよく眠る、ただただ眠るタイプだから、あまり気にもしないが、
でもいまどきは、年齢と自分の性格と、それと気分の状態も関係して、何回かの睡眠のリズムのあ
とに、まだ起きるに早すぎる、そうゆう時間に目が開くことがある。で、自然現象ならしょうがない
が、これも日によって時間が変わる。ちょうどいいというときは、それこそ目覚ましで目が覚め
て、起きて朦朧ということもあるが、そうゆうときも、逆に早期に、覚醒して禄でもないことを
考える自分がいると、その後に疲れる。ただ、ある時間眠れないで、朝が来るといいことはない。
こうゆうように、と自分で思うが、予定される時間というのは、概して人は如何に生きるか
自由とかいうものの、自分にとってのいいリズムというか、予定調和といっていい時間がある。それ
がうまくやってくれば、まずは、一日の基本というところ、屋台骨は安定する。こうゆうことを
感じるのはおかしいだろうか。いつなんどきでも、どこでも眠れるという方がおられるが、そう
ゆう真似は出来ない。
起きて、予定調和された時間が頭の中にある。何時何分、着替える。何分にPCのスイッチを入れ
る。これなどは、もう頭に染み付いていておかしくはない。それで、今はまだ冬だから、気温とかでい
うとそうだ。だから暖房のスイッチを入れたりもし、さらに給湯用のボイラのスイッチをも入れる。
この辺りも、もう慣れていて、でも明るさがないと出来ない。朝は、何から始まるか。これは今、またか
どうか、わからないが、考えるということがあって、この辺が、予定から狂い始める。
それにしても、もう4月もおしまいという時期だ。ほっておいても、もしも大異変でもないかぎ
り、それこそ連休になってしまう。その割りに、このお天気というのは、どうだろうか。でも、お天気
に変動のある、それは理由があるだろう。問題は自分のほうだ。朝からPCを付けていて、やっつけ
仕事的で、なんだか短く時間を過ごしたりもする。これも、もう少し前は、さほど苦でもないよう
な感じがあった。そこそこ何か思い浮かぶものがあって、なければないで、それでもなんとかなった
が、これが思うようにいかない。そう思えるときが最近増え始める。思いの外、予想以上に、何も
頭になくて、それこそ文句の一つ、ぼやきの一つもすっと出ない。
ズルズル、という感じで、時間はたってゆく。どうしてこのような時間になってしまう、という
思いがいつもなぜか頭の隅に残る。で、検討するまでもなく、詰まるところ何か、どうでもいいよう
なことに時間を使っているようだ。そうゆうものの一つに、例えば回収されるプラと記されたそうゆ
う袋なりがある。それ用の、回収用のゴミ袋も今は置いてある。で、その例えば何か袋に、紙で値段
が付いていたり、それ以外にシールのようなものもよく見かける。これって、剥がさないといけ
ないな。内心だが思う。爪は伸びて、さてビニルの袋にはっ付けられた、紙のようなものが
うまく取れるか。そうゆうときもあるが、これがやけにしっかりとこびり付いて、最後には、ビニルその
ものが破れる。この社会というのは、回収もしないといけない。リサイクル、そのために気を使
う。さらに紙がシールが貼られたりもする。これもそうは簡単に取れない。取れたら逆に商売に影
響がある。
小さなことだが、七面倒な場面に出会う。これ、以外にばっさりと割り切れない、そうゆうとき
に出くわす。すると、予定された、そうゆう調和は崩れるような、感じがある。こうゆうことま
でも頭に入れて、なんて、こうゆう時代に出来るかどうか。
適当な例とはいえないことを書いているが、それにしても、ややこしい時代になって。便利さとそ
れゆえの、不便さを同時に味わうことの出来る、おいしいようで、味気ない、時間を過ごすこと
が多い。とか、毎度思うのである。
緑の濃さ。ヤブデマリに似ている植物。
少し遠い、ところ。春のもも色がある。緑もあって、柿の木の浅い
新芽の色がある。
右の赤いのは、シャクナゲ。非常にきれいだけど、遠くて、それ以外の
木の枝も、シャクナゲにちょっと邪魔。で、ぼんやりと。
古木で、老木で、他に何があるか。木に穴があって、そこにヤドリギ
もいる。そうゆう、ここのカエデの緑。
右の常緑の木々の緑、これはモチノキが写っているはず。カエデは
落葉樹。この色の対比は、はっきりしている。
木々というと、鬱蒼とした、という形容もあるが、これはなかなかそう
はいかず、結構スカスカしている。見方にもよるが。
手前の、大き目のカエデの葉っぱが風で上下している、そうゆうときで、
上のものに比べて、少し上を向いている。