光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

星屑の、花々

2010-04-24 06:47:48 | 散策


  ほぼ真っ白の、シバザクラ。




  青味もある、ハナニラ。星屑の花。



  朝のお天気は、晴れ。雲もあるが、ほぼ予想通りの晴れ。風も今は穏やか。
ちょっと寒い。久々に部屋の中が、冷え込んだ。今日はこの後のほうが、お天気は
よくなるようで、特に寒さの心配もないみたい。よかった。
 
  アメダスの6時の気温、6.0℃。日が出て、空気が暖まった。気圧は1017.9hPa、
湿度は91%。南西の風が2mとある。室温はギリギリ、10.1℃。10℃より、赤いアル
コールは、上のほうにあった。でも、今は10℃は寒い。

  きのう夕方、晴れたようだが、またその後に星も見えていたようだが、雲も
出て来たようで、ちょうど月が、西の空に傾くころは、もう日付が変わる時間に近
かった。そう思われるが、そのとき、月の姿は見えず、ただ雲をとおして、月がそ
こにあることがわかっただけ。でも雲も、明る過ぎる、明るさがあった。このまま
だともうすぐ晴れるだろ、そうも思った。
  だから今朝は、結構早い時間から、部屋の中は明るい。早起きのお日様はもう
燦燦と輝いているようで、部屋の中はまぶしいくらい。

  面白くない事件:よくあるかも知れない。外付けのハードディスクが、本の
数時間前まで正常に動作していた。USB接続の、ほとんど写真のファイルの入って
いるもの。で、カメさんのメモリも満杯で、夜だったが、面倒でも、ファイルの
コピーをした。まずはPCの内部のディスクへ。ついで、保存用に、この外付けのディ
スクへ、コピーのコピーをやる。いざやるというとき、なんだかPCのほうが、この
ディスクは異常とか判断して、つまりは作業が出来ない。読み書き出来ず、一時
真っ青に。500GBのディスクが壊れた!でも直った。
  この辺、面白くないでしょ。一番重要なのは、完全にディスクの電源を切って、
しばらくほっておくこと。USBのコードももちろん抜く。しばらくして、ここで、
プラグをコンセントへということをやると、嘘のように問題はなかった。だから、
電子機器は嫌いだ。

予定された時間

2010-04-23 18:58:24 | 散策
  いまごろ、ほぼ晴れて来て、でもこの時刻を正確に書き表わすことはない。大体、今頃、で
晴れてとなると、季節から大体の判断が出来る。これは時間の正確さがどうのということでなく、
もうそろそろ夜も暗くなる、という感じのとき、さてどうのこうのすることもない、そうゆう私に
とって、これはなんだか絵に書いた餅で、でも気分ッでいうと、悪くはない。お天気に都合があ
る。ついでながら、なぜか今頃ウグイスが鳴いている。
  まさか人工の、ウグイス笛を鳴らす人もいると思えない。そうゆう方がいてもよく、でも、ま
たウグイスが鳴いてもおかしくはないようだ。これが移動でもすれば、信憑性が高い。同じところ
で聞こえると、これは考えすぎか。このウグイスの声も、かすかに、朝に聞いたような、記憶が今
によみがえる。ウグイスの鳴き声に少しでも詳しいと、これの真偽は簡単に見破れるが、でも多分
本物のウグイスの鳴き声かも知れない。

  時計が朝を告げる。電波時計で狂いそうにない。この辺りは体内時計といわれるものと違う。
目で見て、正しい感じがある。余分だが、今はほとんど、PCの時間も、この電波時計を見て合わせ
る。大体、一日に、2、3秒進む。それゆえ、1秒くらい、朝は遅らせる。で、その他気が付くときも、
0.5秒から、0.9秒の間で、うまく合えばいい、と思う。ま、カメさんだと、いい加減なもので、それ
でもほっておいて、1時間狂う、カメさんはない。で、たまに、それぞれのカメさんの時間合わせをや
る。これがスムースにゆくかどうか、これも自分の体調とかがわかりそうで、でもあまりこれに
窮屈になると、おかしくなる。それぞれ、カメさんに適当性のある時刻がある。電波時計を持った
カメさんは知らない。PCも同じ。
 
  それで、朝だが、例えば日の出る、1時間くらい前というと、今は4時半くらいだろうか。よく
はわからない。どっちだというとよく眠る、ただただ眠るタイプだから、あまり気にもしないが、
でもいまどきは、年齢と自分の性格と、それと気分の状態も関係して、何回かの睡眠のリズムのあ
とに、まだ起きるに早すぎる、そうゆう時間に目が開くことがある。で、自然現象ならしょうがない
が、これも日によって時間が変わる。ちょうどいいというときは、それこそ目覚ましで目が覚め
て、起きて朦朧ということもあるが、そうゆうときも、逆に早期に、覚醒して禄でもないことを
考える自分がいると、その後に疲れる。ただ、ある時間眠れないで、朝が来るといいことはない。
  こうゆうように、と自分で思うが、予定される時間というのは、概して人は如何に生きるか
自由とかいうものの、自分にとってのいいリズムというか、予定調和といっていい時間がある。それ
がうまくやってくれば、まずは、一日の基本というところ、屋台骨は安定する。こうゆうことを
感じるのはおかしいだろうか。いつなんどきでも、どこでも眠れるという方がおられるが、そう
ゆう真似は出来ない。

  起きて、予定調和された時間が頭の中にある。何時何分、着替える。何分にPCのスイッチを入れ
る。これなどは、もう頭に染み付いていておかしくはない。それで、今はまだ冬だから、気温とかでい
うとそうだ。だから暖房のスイッチを入れたりもし、さらに給湯用のボイラのスイッチをも入れる。
この辺りも、もう慣れていて、でも明るさがないと出来ない。朝は、何から始まるか。これは今、またか
どうか、わからないが、考えるということがあって、この辺が、予定から狂い始める。

  それにしても、もう4月もおしまいという時期だ。ほっておいても、もしも大異変でもないかぎ
り、それこそ連休になってしまう。その割りに、このお天気というのは、どうだろうか。でも、お天気
に変動のある、それは理由があるだろう。問題は自分のほうだ。朝からPCを付けていて、やっつけ
仕事的で、なんだか短く時間を過ごしたりもする。これも、もう少し前は、さほど苦でもないよう
な感じがあった。そこそこ何か思い浮かぶものがあって、なければないで、それでもなんとかなった
が、これが思うようにいかない。そう思えるときが最近増え始める。思いの外、予想以上に、何も
頭になくて、それこそ文句の一つ、ぼやきの一つもすっと出ない。

  ズルズル、という感じで、時間はたってゆく。どうしてこのような時間になってしまう、という
思いがいつもなぜか頭の隅に残る。で、検討するまでもなく、詰まるところ何か、どうでもいいよう
なことに時間を使っているようだ。そうゆうものの一つに、例えば回収されるプラと記されたそうゆ
う袋なりがある。それ用の、回収用のゴミ袋も今は置いてある。で、その例えば何か袋に、紙で値段
が付いていたり、それ以外にシールのようなものもよく見かける。これって、剥がさないといけ
ないな。内心だが思う。爪は伸びて、さてビニルの袋にはっ付けられた、紙のようなものが
うまく取れるか。そうゆうときもあるが、これがやけにしっかりとこびり付いて、最後には、ビニルその
ものが破れる。この社会というのは、回収もしないといけない。リサイクル、そのために気を使
う。さらに紙がシールが貼られたりもする。これもそうは簡単に取れない。取れたら逆に商売に影
響がある。
  小さなことだが、七面倒な場面に出会う。これ、以外にばっさりと割り切れない、そうゆうとき
に出くわす。すると、予定された、そうゆう調和は崩れるような、感じがある。こうゆうことま
でも頭に入れて、なんて、こうゆう時代に出来るかどうか。

  適当な例とはいえないことを書いているが、それにしても、ややこしい時代になって。便利さとそ
れゆえの、不便さを同時に味わうことの出来る、おいしいようで、味気ない、時間を過ごすこと
が多い。とか、毎度思うのである。





  緑の濃さ。ヤブデマリに似ている植物。




  少し遠い、ところ。春のもも色がある。緑もあって、柿の木の浅い
  新芽の色がある。




  右の赤いのは、シャクナゲ。非常にきれいだけど、遠くて、それ以外の
  木の枝も、シャクナゲにちょっと邪魔。で、ぼんやりと。




  古木で、老木で、他に何があるか。木に穴があって、そこにヤドリギ
  もいる。そうゆう、ここのカエデの緑。





  右の常緑の木々の緑、これはモチノキが写っているはず。カエデは
  落葉樹。この色の対比は、はっきりしている。




  木々というと、鬱蒼とした、という形容もあるが、これはなかなかそう
  はいかず、結構スカスカしている。見方にもよるが。




  手前の、大き目のカエデの葉っぱが風で上下している、そうゆうときで、
  上のものに比べて、少し上を向いている。



 

夕日を眺めて、明日を占う

2010-04-23 16:15:47 | 散策
  10℃くらいの気温で、推移している。
  北風、雨は止んでいるようで、それで生憎という言葉がある。
  つまり、あるときに限って、雨が降る。
  そういえば、雨人間というのはやっぱりいるとか思う。
  このごろどこかへというとき、雨。
  病院へ、というと雨。

  さて、どうしようもないところで、抽斗から
  お天気のファイルを探して、これは時間がかかる。
  いくらか夕日のファイルが集まった。
  どうゆうタイトルがいいか、なかなか言葉が出ない。
  明日を占うは、天気によく似合いそうで、これを使う。





  これは夕日というより、それよりも、だいぶ前の時間。でも、迫力。
  こうゆう大まかな、画像は、大きくてもサイズは、まことに小さく
  出来て、残る、許される画像容量をあまり減らさない。




  その二。大きな太陽である。




  その三。




  その四。カラスも飛んでいないようだ。




  その五。




  その六。測光方法を変えて。




  その七。おぼろ雲か羊雲か。雲もフワフワ、春の夕時で、はたして
  寒かったかどうか、記憶にはない。



冷たい雨に濡れて

2010-04-23 06:48:11 | 散策


  晴れのチューリップ。




  このような、日があったのだねーと、自分で不思議がる構図。



  朝のお天気は、雨。やっぱり北風で、雨は止んでいない。北風が冷たそうで、
春に似合わない。暖かいほうと、寒いほうに見事に二つに分かれてしまって、でも
足したり引いたりすると、これでやっぱり春かなと思うところ。多分、この先も
さほど春らしくないお天気が続くのか。

  アメダスの6時の気温、8.0℃。8℃もある。気圧は1010.6hPa、湿度は99%。
北東の風が、4mとある。室温は、11.5℃、省エネ、自然のまま。

  雨だな。雨が止まない。ま、天気図を見ると、これはTVで見ていたものだが、
まったく梅雨。でも、北風がこんなに冷たく思えるのが、今頃の梅雨、という感じ
である。さて実際の、梅雨のころに、五月雨は降るのでしょうか。そうゆうときに、
雨が降らないというのも、困るけど。こう季節が振動するというのがこれまであった
のでしょうか。こうゆう記録というのは、古文書とかにないのかな。

  さて現実の話しに戻ると、「支払い」でどこどこに振り込んでくれというのが、
あるが、これがこちらの希望通り、というのは近くの金融機関ということになるが、
それが相手方の希望となると、これが近くにない。おいそれと、遠い銀行まで行け
ない。そのためだけに、そこにはいけない。しばらく待ってもらわないといけな
くなる。郵便局が近い。でも、それが選択肢に入らない。なぜだろうか。
 
  今日も一日雨で、さて砺波市で、行なわれているチューリップ祭りの、チュー
リップは今日も冷たい雨に濡れている。連休まで時間がある。その間は、小休止
というところか。

心配事のいろいろ

2010-04-22 19:08:47 | 散策
  雨はもしかして、上がっているかも知れず、でも今は、雨は静かに降るのはいいような、感じ
がある、今のところ、若葉青葉、その他の雑草に、この雨はいいみたいで、また草の量が増える。
この緑はいいような悪いようなで、悲喜こもごも。

  それで、心配事と書くこともないけれど、自分の健康とか、体の具合。風邪か、というのは
わかりやすく、でもそれならあまり心配はない。ほっておけばいい。その他の出来事も、また心の
問題も、結構ここに書いていて、その程度というのは、読んでいただくのは気の毒だが、わからな
いでもない、と思う。私としては、体の方、一体に後何年?くらい持つのか、という感じの不安
はずっとある。これも、止めておこう。
  ときどき、近くまで、救急のサイレンが鳴って、止まる。しばらくして、動き出すまでの時間
も、これも様々。で、救急というと今のところ、認知症の程度は、やはりじわじわ進行している、と
思われる、母のことだけど、そうは何か、生命にすぐに関わる、ということが起こるかというと、
その心配はしていない、というと嘘で、すでに母の長兄も、父が亡くなったすぐ後、お元気だった、
ということだが、脳梗塞の後、あっさりと旅立たれた。だから、血筋はあるから、いつなんどき
そうゆうことがあって、おかしくはない。両方の心配がある。

  ラジオを聞く、余裕があるかどうか、というのも問題になる。TVは、あるところは怖すぎて、
あるところは関係がなさすぎて、見ていられない。あまりに非現実であって、しかし認知症は現実
味がありすぎる。で、ラジオであるが、これも編成が変わって、ある時間は生々しい。スタジオか
らの放送というと、まーよっぽどというものがあるけれども、でも今日は誰々さんが生中継、とかいう
と、それも近くというと、問題はないというか、そのようなものは逆にいうと、どうでもよかっ
たりして、もう少しいうと、こちらとはあまり関係がない。そうゆうものが流れると、気持ちは
楽だが、興味はない。でも、
  きのうは、雪の15mは積もっている、そうゆう雪の大谷から、実況して、さて急いで、下界に降り
てきて、そのときまだお天気は崩れていなかったからよかった。行き止まり、行くことも出来ず
戻ることも出来ずとなると、大変。
  で、地元のFM局の、アナウンサさんは今日は、雨の砺波のチューリップ公園へと、馳せ参じて
大活躍だが、体調は大丈夫かという、そうゆう心配もした、ラジオでもあった。なんだか、ちょっ
と、違うんじゃないか、なんて思ったりもする。あまりに高度の変化も大きいし、また気温の差も
大だし、距離的にも、大移動で、まるで、観光客の方と同じではないか。でも、気楽ではないよ
ね。無事、また明日からの仕事が万事平穏に進むことを祈ったりもするのも、
  なんだかおかしいか。

  食べ物でいうと、夕食というと、少しだけ「華」が欲しいと思う。夕食は人に食べてもらって
喜んでもらえたらいいとか、いうものでもあるらしいが、そうはいかない。何しろ、どうにもならな
い慣れないことをやる。理屈で、タンパクはこれ、炭水化物はこれとこれ。それにしても塩分取り過
ぎ、しょっぱいものだらけ。野菜はキャベツとか、もう時期も一年遅れているトマト、その他青い濃い
色の野菜、こうゆうものを生は生、あるものは味噌汁に入れて出すが、いろいろやっても、見栄えは
しない。あー昔はもう少し手っ取り早く、程ほどにこれも出来たとか、思うけど今はだめだ。だか
ら、惣菜の豆、黒豆とか、あと佃煮、これは小魚がいいとか思う。でもヒジキとか海藻はないな。そ
れに漬物でラッキョウとかも並べる。そうゆう、いってみると、見栄えで並べるものは、普通あまり
減らないはずだが、母は唯一切った、高額の、貴重品であるキャベツなどは、食べない。これを捨てた
りもする。で、甘い、お豆さんやら、ラッキョウなどはせっせと食べているようだ。減っているから
なー。

  こうして、心配事はいろいろに増えてゆく。どうなるか、そのようなことは結局誰も知らな
い。


  花とかに落ちこぼれはないと思う。これはまずはない。みな美しさは
  それぞれある。毒を持つ花、というか、植物もこれまた美しいようで
  ある。で、落ちこぼれでなく、落穂拾いでもなく、つまりは、残された
  ものの中から、また選び集められる、そうゆうものがある。





  このスイセンの妙は結構気に入って、また雫というか、かけら、断片
  から拾い集められた。




  見たことのないような、花がある。これは木に咲く花で、なんだか
  よくはわからない。未知の花が道にある。




  枯れ草がまた緑濃くなるころ、この辺りはチョウも飛ぶところとなる。
  もちろん、蚊とかもいるが。




  タンポポの、一山。一面タンポポだらけというところは一面黄色い、
  それで、ここの空き地は、ポツポツ、タンポポがある。




  虫の一つもいないか、それを探してみるが、いないようだ。




  チューリップの花に、雨の雫。というのの、忘れていない、ものの一つ。
  砺波のチューリップ祭りも始まった。それで、雨で、咲いているのは
  このような、感じではないか。
  雨で、今日は見ていたチューリップは皆少し固く、花を閉じていた。





  もう一つ。雨の雫の似合う、黄色のチューリップ。




  水色の小さい小さい、花。これは、順番として今頃、正々堂々出て来る
  予定の花。小さいがいつも、この時期に咲いている。



雨がシトシト降りしきる一日

2010-04-22 16:21:36 | 散策
  朝から、いやきのうから、ずっと雨で、風が強いとき
  もあれば、雨が強いときもあって、今は落ち着いているが
  雨は降りしきっている。この雨はしばらくなら降っていい
  という気分にもなって来る。
  朝の、斜めの雨よりは、かなりまし。

  宇宙飛行士の、山崎直子さんは無事地上に戻られて
  さぞかし、ほっとしたことだろう、と想像する。
  つまるところ、やっぱり住むところは地上で、
  なかなか宇宙に長く滞在するのはしんどい。
  真っ暗な、宇宙にただ明るい、太陽があって、ほかの星も
  見えるのだろうが、何しろ暗い。地球は、明るそうではるか彼方。

  こうなると、多少の雨や台風などは、大歓迎となる。
  今日などの、雨がきっと楽しくも思えるのではないか。
  超人の域に達すると、思うことも考えることもきっと違う。


  
  それで、いつも地上から、空を眺める。あーだのこーだの
  いいながら。





  その一。これに似たものは一度出ている。ただ、感じで選んでいる。




  その二。




  その三。春らしいか。




  その四。




  その五。




  その六。空は青く、また大木の木々に、緑が萌え出すようなころ。




  その七。




  その八。起きると、朝寝坊ではない、太陽が顔を見せる今日この頃。



梅雨のような、雨の降り方

2010-04-22 06:43:19 | 散策


  花に、目がゆく。何か忘れていないか、そうチューリップの葉っぱ。




  葉っぱがあっての、チューリップだが、これが、チューリップ畑で
  実際に行なわれることで、球根のため、さっさと花は摘まれる。



  朝のお天気は、雨。この雨は強く、また斜めから降っている。北風と、雨で、
窓ガラスが雨で濡れる。ガラスが雨で音をたてる。掃除されている。これは考え
ようだが、ガラスの掃除の雨、ということも出来るか。しかし嫌な雨。

  アメダスの6時の気温、8.3℃。これは高めだ。気圧は1016.1hPa、湿度は91%。
北北東の風が、4mとある。降雨量は、2.5mm。で、室温は、13.5℃。

  きのう夕方、また太陽が出ていた。きれいな夕日だ、とか思ったが、その後
しばらくすると、もう空に明るいものはなく、雲の多いそうゆう暗闇があった。
  方向も時間も違うが、宇宙飛行士は無事地上に降り立った。このときは、さ
すがにホッとする。まー何があるか、わからない世界というのはいずこも同じよう
で、でもやっぱり宇宙旅行というのは格別だろう。親御さんの安堵した表情も、
また忘れられない。
  空の反対というと、地下、とか海底。まー海の中でもいいが、ここにもなにや
ら、動きはある。世の中、地平の下、地下での動きも活発なので、で大体若いころ
は、地下鉄に恐怖はないが、今頃、あー地下鉄って地下を走るのねーとか思うと、
冷や汗が出る。
  TVで、猛獣に会うというものは多いようだが、さて、地下の洞窟など歩く、
というのは、これまた嫌なもので、どんどんその先はあるようで、這いつくばって
先をゆく。これを見るだけで、もう汗だらけになる。こうゆうものは、本で読む
に、限ると思うがいかがでしょうか。

  嵐というか、台風並みのお天気になってきた。

シャガの花を高尾山で見たころ

2010-04-21 19:01:00 | 植物・花(春)
  シャガの花は、あるところにはあって、これは場所の指定で、あるかないかということではな
い。で、もう目と鼻の先にこの花が咲く、そうゆう場所があって、これも見つけるまでには時間
がかかった。でも、シャガもあるときは、一網打尽でもないけれど、刈られるときがあって、も
ったいないという思いと、さぞかし花も無念だろうと思い込みをしたりする。で、あっさりと、
そうゆうことも必要なのでといわれると、こちらとしては、そうですか、という気になる。そう
ゆうことはさて置いて、
  そのシャガの花は小さいが一部咲いている。もう少し、シャガの花は出てくると思うが、こと
しは季節というか、雪の影響がどうでるか、わからない。でも、シャガの花は、毎年出る。そう
ゆうものだから、ことしも程ほどに出るだろうと思ったりもする。シャガの見事な、集団というか、
群生するところというのは、知らない。

  花とか、気になるのは、よっぽど花が好きという人以外は、なかなか花花というわけにいかな
いところがあるようで、これは個人的な意見のようだ。花、それから虫、というのは、大体子供のと
きにそれに接する。もう少し大きくなると、特に虫は嫌とかいう人が多くなるのは、わからない気もし
ない。私も、好き嫌いというより見たくもないという虫を知っていて、それが出る。これは食べ物が
あると出るし、年がら年中いる。踏ん付けたりする。無残である。
  花と来て、次に虫で、後は風があって、最後は月かどうか、これはあまりに世間離れしてい
る感覚かも知れない。誰が花鳥と来て、後に風月を付けたのか。そうゆう問題ではないだろう。な
んだか、このことに付いて触れるのも、おかしなものだが。大体次元の違う話しだろう。優雅で
高貴というものが、関係しているか。

  シャガの花、というのは知らないで、それで昔は高尾山も登った。これは東京都の高尾山で、
たしか当時もケーブルもリフトのようなものもあって、こちらの乗り物というと、乗ったことはな
い。乗る必要がなかった。でも、奥多摩の御嶽のケーブルというのは、その後に大岳山を登る予定
にしていて、乗ったことがある。たくさんのお客さんがいた。それくらいしか覚えていない。
  筑波のって筑波山だが、これのケーブルも乗ったことがある。これは下りである。どうゆうこと
か、気乗りしないでいったもので、上に着いたが下るというのが、大層難儀に思えて、考えるに人
の気持ちというのは、萎えてしまうと山を下るのも大変に思えて、その後、これは低山とか、丘陵と
かというレベルで、いってみると素人の方でも安全です、というお墨付きのところでも、登るはやさ
しく、下るのがむつかしいというのを思い知らされた。下るというのは、大変なことなのである。
余計に体力がいって、これは老化とかも似ている。

  それで、まずは高尾山の琵琶滝コースというのがあったはずだが、そこはなかなか面白い植物
がありそうで、しかし、滝があるくらいで、沢の地帯で、ここは日当たりは悪く、なかなか、ある意味
大変。光が足らない。そうゆう意味で、ここの植物は未知なるままで残っていたのかも。つまり、カメ
さんも暗くては役に立たないというわけ、帰ってきて惜しいとか思うものが多かった。
  でその辺りにももうシャガの花は季節がぴったり合えば、咲いていただろう。でも私が見たの
は、高尾の頂上へゆくところでなく、途中で山腹をほぼ登ることも降りることもなく、高低差のない、
そうゆう歩くコースのようで、そこに初めて、白いが、ちょっとしゃれた黄色い色やら、青色を見た
ような気がする。これは誰が見てもきれいだ、美しいという色だと思う。花が大きいし、と思う。
高尾のそれは小さいという感じはなかった。いってみると、例えば、アヤメの花よりは小さいが、
それに似ている大きさがあると思った。それくらいだと、誰の目にも飛び込んできて、より小さい高
尾特有のスミレとかは、見つからないが、また採取も持ち帰ることも出来ませんとかいう看板もあった
が、そうゆうものでもないようなで、そのシャガの群落を見て、これは美しく、またここに来よう
と思うくらいの魅力のあるものに思えた。
  そうゆうことがその後何度あったか。で、シャガの花というと、なかなか都会では見つからな
いもので、それは事実のようであった。

  結局、シャガの花というのは、あるときまで、高尾山以外で見たことはないような気がしたが、
その後時間がたって、さて花でも見ないとと思うころ、この辺りにもそのシャガの花が小さいがあっ
て、少し驚いた。小さいというのが少し引っかかる。もう少し大きい、シャガの花が見たいとか思う
のも当然だけど、特にそれがないと困るものでもないので、結局残ったのは、この季節、シャガの花が
咲く、という記憶だが、それがよみがえって、また花も見つけることが出来た。





  うまく、日が当たって、でも、この花は、少し弱い程度の光がちょうど
  いいようだ。




  少し奥まったところで。




  少し大きく。
  小さい、花が少しだけ出て来た、というところ。




  今の時期というと、八重のヤマブキというのもあるのかも知れない。
  八重のヤマブキは少し遅れるようで、で、ここのヤマブキは、小さく
  なってしまった。惜しい。



 
  ユキヤナギは、緑色になって、それでこれも花とはお別れ。



 
  これからは、こちらを見てくれ、というように、巨大なカエデの木は、
  若葉を鮮やかに誇らしげに拡げた。




  浅いというか、黄緑のすがすがしさと、後は花の赤い色がいかにも春ら
  しい。最近は聞かない、フィトンチッド、という言葉を思い出させても
  くれる瞬間でもある。



お寺の植物のその後

2010-04-21 16:20:08 | 植物・花(春)
  今日はだんだんとお天気が回復、それで太陽も出ていて、
  今頃いいお天気になっている。
  ただ北風である。これがないと暖かさも、また違った。
  風に当たると、さすがに暖かいという感じはなくなる。
  それでも思ったよりいい天気。

  お寺には大体いろいろな植物があるようで、
  ここの近くのお寺さんにも梅の木もあれば
  その他の木もあって、そうは今すぐたくさん書けない。
  
  今日は梅の木の、その後。それから、冬は「雪囲い」が
  きれいだった、ドウダンツツジの提灯型の花が美しい。





  お寺の外側から、お寺の屋根を眺めるという感じで。
  こちらのお庭も結構美しい。




  梅の緑。まだ、実は出来ていても、目でわかる大きさはないようだ。
  それで、葉の緑を観賞。



  
  さほど、葉っぱも多くない。でも、見方によって、密にも
  葉も出て来ていると感じることも出来る。




  公平に、少し上から眺めると、ちょっとスカスカした梅の木である。
  古木、あるは老木で、時代がある。




  イチョウの大木だが、もう緑は出ているのだが、何しろ雨の後の曇り空。
  それでも、黒白の階調でイチョウの芽吹きの、感じがわかると思う。




  新緑と、真っ白な、花を見事に付けた、ドウダンツツジ。




  まあるく、こんなにたくさん提灯型の花が咲くと、見事というしかない。
  これで、夜に発光するとなおさらいい。
  誰か、夜花が発光する、そうゆうドウダンツツジを開発してくれないか
  なー。


 

雨の朝は、かなり暗い

2010-04-21 06:42:32 | 散策


  この日、チューリップのところで10分くらい、粘っていた。




  だからこのような、ファイルは一杯あるのだが。



  朝のお天気は、雨。きのうの夕方もう雨が降っていたか、この辺りもおぼえて
いない。そうか、きのうは、もう一日雨だった。ただ弱かった。それで強くなった
のは、夜中。今また、その雨は弱い。でも雨。暗くて、それで、視界がきかない。
風はほとんど感じない。

  アメダスの6時の気温、10.9℃。気圧は1016.9hPa、湿度は99%。北東の風が、
4mとある。なるほど。それで、室温は15.7℃。湿度の99%が少し楽かも。

  夜中、窓から向こうを眺める。ちょうど、窓があって、必ずといっていいくら
い、向こうを見る。全体にモヤっとしていて、大雨の感じがある。簡単な雨では
ないようで、少し心配する。春だから、向こうも見えない、外灯も見えない雨に
なるのか、いつも同じことを思う。

  さて現実に戻ると、きのう今月というか、20日までの一ヶ月分の電力使用量と
いうのが、入っていて、なんと先月よりも多かった。あー、どうなっているの。
でも少し冷静になると、今月は先月より、3日間日が多い。そうゆうことか。それで
単純に割り算して、一日当たりの使用量というのを出し、それで3日分減らす、と
先月より、少し少ないか、同じで、
  今月もたくさん、電気を使わせてもらったと思う。それで値上げするとか聞く。
もっと驚くのは去年の同じ、月と比較して、25%くらい、使用量が多い。去年の値
は、400kWhくらいで、ことしは530kWh。なんだかどうなっているのか。わからん
わい。

  こまめに、使わない電気機器のスイッチというのは、切っていると思ってい
るが、それでもほったらかし、というのは多いということ。これに厳しくなりす
ぎると、生活がなんだかギクシャクもする。大体世の中、矛盾がある。金庫にお金
をしまって、開け方がわからない、みたいな。これを知る人は誰か。

  極端な話しで、お粗末でした。