光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨の雫で、映える花々

2010-04-20 18:49:02 | 植物・花(春)
  今日はひどい雨ではないが、傘はあった方がよく、また風が少しあって、その雨と風の中で
も、花は咲いて閉じているものは少なかった。

  雨もたまにいいと思えるときがあって、これは雪でも同じだけど、なんでも適度がよく、やり
過ぎとか降り過ぎとか、はいけない。そう思う。過多というのが似合わない。適度でちょうどよ
く、今日が春雨かどうか、また、五月雨などいう言葉もあるが、はたしてそれが妥当かというのは、
今ははてこれを使うに、いいことがあるだろうか、という思いがある。また間違ったというのが多
い。それで使わないと、まったく味気もない。たまに間違うのがよく、これも適度で、過度はだめ
だな、とか思う。
  鼻水というのが出る。で、クシャミというのも出る。出るときもあるが出ないときもあって、
おとなしく一日じっとしているというのもこれ、むつかしい。誰かに頼れるか、というと、もうそう
ゆうことはない。死ぬか生きるか、の分かれ目というときでないと、どうのこうのいうことがおか
しい、という感じで生きないといけない。それ以上は望めない。それに比べて、クシャミ、鼻水は
そうゆう話しと遠い。そうゆう風に思える。

  かくして、雨は降っている。そうゆうときもあって、風も吹いている、というときがあって、寒
気はないようで、突風もなく、雷もないようで、斜めの弱い雨がときにあって、いつものように
習慣になっている、体は動き出す。最近は、特にある出来事以降、どうしても短い道を歩くという、
そうゆうパターンになってしまって、本の少し前、多少余裕があったわけでないけど、歩くときは遠
回りをした。最初はそうはいかなかった。この辺りは細かく書くとややこしくなる。で、
  今は少し余裕も出る季節で、いくらか運動のたしにと遠回りを考えるが、その外のことを思う
と、例えば、今日は何曜日だったか、とか、そういえばもう一回灯油を、これは灯油ヒータ専用としてだ
が、頼もうかどうか、など一秒でも考えると、もう少しの遠回りというのは消えてしまって、最短
のコースというのを歩いてしまう。何とも自分も「ぼけた」ものだ、と後から思う。でも、
  これももうしょうがない。

  そうゆう話しで盛り上がることはない。それで小雨で、どうにもこの先は何もないだろうと
思いつつ、たしかにカメさんを持つ、雨専用でもないが。最新のもので、でもなかなか曲者で、いい
とも悪いともいえない。自分と似ている。似るところがある。それを持つ。ここまではまーまーだ。
  雨はポツポツと降る。傘はもちろん差している。風が吹けば大きな傘は飛びそうにもなって、慌て
る。それから帽子というのも、これもときに飛んでゆく。傘とカメは似合わないと思う。これは滑稽で
もある。そう思いつつそれをやると、そうでもないものであることがわかるが、これは痛い思いを
したことがないからだろう。雨にも風にも、また寒さにも、またマクロに、望遠に強いカメという
のは、ない。雨専用カメというのを、持っていなくて雨の映像というのを見ることは少ない。TV カメ
ラだと、例えばそれが放送局クラスだと、そうとうお金も張るし、雨でどうのこうのはなかなかな
く、くるりレンズを拭くブラックアウトも絵になる、というか、生々しい。
  カメさんの話しでなくて、雨という場合、これが似合う適度な降りかたはあるようで、昔の方が
もっとうまいとか自分で思う。それが似合う花はある。この辺が雪と一味も二味も違う。それに
暖かい雨で、花は閉じない。でも光の加減はどうしてもあるが。

  そうして、雨はゆるく、適度に風があり、また暖かかったというのは結果で、汗をかいていた。
春雨でも、五月雨でもない、4月の20日の雨。明日も雨かどうか、知らないが、乾燥するより雨
の方が今はいいと思う。





  時間というものは、変化でわかるようだが、妙でもないがスイセンが
  目立つ。これが目に入る。なんだか変。ポロリと先っぽが落ちたのかも
  知れないもの。右上。





  雨をはじいている、そうゆうものを探さないと。それで、プリムラ・
  ジュリアンはどこにもあるようなで、この花に水滴、雨滴は薄っすら
  あった。




  かなり歩いて、というのはちょうど真ん中辺りまで来たということだが、
  小さいがアネモネの花が、また出て来た。より小さいものもたくさん。
  これが、この4月の20日の出来事で、花もどうしたのか。




  いろいろ、と飛ばして、それで、あるところでは蕾で、あるところは
  満開に近い、チューリップで、小さな花壇で、花が咲いている。水滴が
  期待される。




  たしかに、このチューリップに水滴、雨の雫は付いている。この辺りで
  雨は小康。弱くなる。



 
  水滴、雫、かすかな期待と、それと「かけら」。この言葉がラジオから
  流れてくるので、どうしてもそれを思い出す。




  フキの花芽というと、フキノトウだが、これももうそう呼べないだろう。
  でもまだある。フキの葉っぱというと、カワズの雨傘という感じで、
  実際はカワズはこの上で、いっぷくしそう。




  カワズの座布団というところか。雨に濡れる、フキの葉。



青空に、若葉の色のいろいろ

2010-04-20 16:14:51 | 植物・花(春)
  今日は雨降りである。カエルがゲロゲロ 
  鳴き出すのも、そう遠くないような気がする。
  雨降りで、暖かめで、湿気もある。雨の程度も弱い。
  風は穏やかになって、歩けないという天気でもなく、
  ほどほどに歩いたら、汗が出て来た。
  いいのか悪いのか、わからない。

  それで、青葉若葉の候でもある。
  そうゆうものを眺めると、気分も幾分
  高揚する。


  きのうの、木々の様子で、きのうの続き。
  青空の程度は薄め。でも薄っすら青い。
  若葉の色のいろいろ。




  ヤマブキの花はもうないと思っていたら、これがあった。黄色い花で
  ゆくと、レンギョウもまだある。




  薄いが青空。それで少し浅めの緑、それからカエデの赤があって、ここは
  にぎやか。




  目に青葉とかいうと、もう少し濃い緑が欲しいところだが。




  カエデの赤。葉っぱの緑、木々の幹の色。




  少しずつ移動すると、この薄めの黄色か茶色の葉っぱがあって、これは
  きのうのものと同じ木だろう。春の若葉は、茶色いが緑がある。秋は、
  これが真っ赤になるような記憶がある。




  まだ赤いカエデ。




  ちょっと向きを変えて。多分同じカエデだったと思うが、黄色い色も
  出て来ている。

  青だの、赤だの、黄色だの、信号の色が出て、これは毎年同じものを
  出している。これを見ると記憶がよみがえる。


 

雨が早くも降ってきた。

2010-04-20 06:39:18 | 散策


  赤いチューリップ。朝から少し強烈。




  ほんの少し位置を変えると、ずいぶん見た目が変わる。



  朝のお天気は、曇りで、強風。それで、雨が加わった。
  南か、南西の風が強く、気温は高め。
  で、でも、うるさいと思えるときもある。
  その風が今は少し弱くなって、雨が降ってきた。

  アメダスの6時の気温、15.8℃。気圧は1017.3hPa、湿度は56%。
  南南西の風が、6mとある。室温は、15.5℃。

  
  暖かい時間が続く。少しムッと来るくらいで、
  それで眠っていて、夜中目が覚めると、鼻グズとクシャミ。
  花粉症にしては目の痒みとかはない。鼻風邪と考えるほうがいいか。
  いずれにしろ、いいことはない。今日はもう雨ということ。
  おとなしくしているのが一番。

新緑の木々と、木の芽どき

2010-04-19 18:50:34 | 植物・花(春)
  今日は、かなり暖かく、少しポカポカするものもあるようで、それはそれでありがたいものだ
が、なかなか体調という面からいうと、やはり鼻風邪の一つも引いたのかという気になるが、自分
から病気というと、いくらでもなれるものである。で、特にがんばる気もないが、ときにふにゃふに
ゃとした気分になるのもいいような、感じもある。いつも、ずいぶんとボケっとした、昔に比べて
それはあまり変化はないが、気でいるが、なおさらボケっとするのもいいもののようで、これは実
は人に言われなくても、実行している。

  ただあるところだけに、やたら繊細であり、気にしたり気に病んだりする。誰にでもあること
のようで、そう思う。こだわりとかそうゆうこと。ものを捨てないそうゆう主義があるようだが、
一つはなんだかわからないのは事実だが、はたしてこれを処分していいものか、迷う。迷う原因に
一つに、何かがそこに紛れることがある。そうすると、例えばそれが、いつ思い付いたのかはわから
ないが、ヘソクリだったりもして、それがゴミと一緒に出されてしまう。そうゆう危険性を感じる。
でも、それは今のところないようなで、裏金がどうのと、騒がれるお役人の世界、あるいは先生と
か言われる方々の世界ではないから、それはない。ないと思うが、ときに、ゴミを生ゴミでなく、
あるまとまった、書類の纏まりなり、あるいは郵便物でこれはいらない、と決断しないといけない
ときがあるが同時に、宝物をなくすのではないか、という不安はいつもある。
  大体ゴミ箱に、なぜかこれは必要だというのが落っこちる、そうゆう構造にゴミの箱の位置はあっ
て、しかしそこにしか、置くところはないのだ。でも、そこにゴミ以外の何かが転がることがあって、
そこからものを取り出すときは、これも嫌悪感を感じる。汚い、鼻をつまみたくなる。でも、そうは
汚いものはないだろう。もともとはみなきれいなものだ。この分かれ目はどこにあるか。髪の毛一つ
も、大切にする人が多い。で、それが人の体から抜け去ると、これくらいに嫌われるものはない。そ
れが自分のものであっても、頭にあってのもので、そうでないといかにも汚いと思うのは、これは
きっと何か洗脳されるものがある。

  例えば、引越しというと、若いころは結構さっぱりとものを捨てた。学校の生活も終わるという
とき、きれいにゴミを残してきて、一つに悪いことをしたと思うものがある。いらない、テキストなど
は、二度と読まないから、捨てた。そうゆうものがテキストあるいは、教科書としてあったかどうか。
高校のときのものは、どうなったかまったく記憶がないのは、そのとき引越しをするというとき、
私はそこにいなかったからで、恐らく多くの受験?参考書などは捨てられたのではないか。姉は自宅から、
学校にいっていたから、高校のあるいは大学のある本などは、確保して、しかしそれらはここに
置かれたままであって、世界少女文学全集など、まったく見向きもしない。当たり前か。
  私の、そうゆう類のものは、恐らくかなり捨てられて、結構さっぱりとしていて、その後、さて都
落ちをするとき、少しはものを持ってきたけど、しかしやっぱり大分捨てた。これが今は出来な
い。

  新緑の木々というと、一年前があって、さてくたびれた葉っぱはみなサラサラと散ってゆく、うま
いこと出来ていて、昔はみなこれを蓄えたか、あるときは落ち葉焚きにし、風呂の燃料に、その他同じ
働きをあちこちでした。今は、そうゆうものは、植物の栄養、あるいは肥料として使われる、ことも
少ないようだ。だから、濡れ落ち葉などいう言葉が出来て、なんだか身につまされる。そうゆう、緑
だけど、あるものはある年に徹底的に虫に食べられてしまって、残る姿は見るも無残なときがあ
る。もっともいくらかは、新しい葉は出てくるようだが、枯れ木になると、もう新しい葉も出な
い。まったく出ないかよくわからないが、あるとき人の手でみっともないとかいう理由で、切られてしま
う。まだわからないのに、と思うことがたびたびあった。
 
  それで、今は新緑の季節で、新しい芽があるものは、去年用意されてと思えたものだが、ようやく
緑になり、太陽光のエネルギを自らの栄養に変える、そうゆう作業を可能にするようになったようで、
よみがえったという、感じが強い。生き物でも、あるものはあっさりと今年の葉っぱは捨てて、
また来年新しいものを作り、それからその芽を多いに広げて、さらに芽を作り、葉っぱは青葉が茂
る状態になる。こうして、樹齢何十年、何百年という木々が残ることになるが、うまく出来ている
ものだと、感じるが、
  これと、そうものをポイポイ捨てる、こととは似ていないようである。いってみると、木々の枯れ
葉というのは、動物でいうと、排泄物ということなのだろう。木の芽どきである。これから木の芽ど
きになるのか。これには一つは、木々のまぶしさがあるようだ、あのように、新芽を植物は付ける
が、どうも自分という人間は、あーゆうように生きていけないとか思ったりもする。それが若いとき
にも感じられて、歳を重ねてそう思う。ゴミのことで迷ったり、どうにもならなくなったりとか、そ
れから「木の芽どき」というのは、やっぱり、これは人特有のものであって、なかなかこれに対
抗するいい策はない。いつもと同じ結論に達した。





  これは梅の木であるけど、他のところでも梅の青葉を見るが、実はまだ
  育っていない。で、いかにも美しい緑がある。




  ハナミズキの、多分そうだと思う、その花が咲く前が緑濃い。




  モヤっとしたものがようやく濃くなった芽吹き、木々の緑の一つ。




  他のもう少し大きな葉っぱを持つ、そうゆう木の緑も入れる。茶色い
  か、黄緑か。こうゆうものは一過性でもあって、貴重かも知れず、そう
  は見られないものだろう。




  はっきりとした、葉っぱ。




  もう一つ、違う木々の緑も見える。太陽が近く、木々の彩りは変容する。




  秋から冬は、この木の木の芽はときに銀色になったが、今日はまった
  く色を変えて、緑濃い新葉が出来上がっている。




  まったく羨ましい、再生がある。



ツバキの花に、アカタテハ

2010-04-19 16:12:52 | 虫、その他
  今日は、暖かくなって暑いくらいで、これでいいような
  気もするが、寒暖の差が、これまで激しすぎて、なんだか
  今一つ元気に結び付かないような感じである。
  穏やかに暖かくなっていってくれていたらと
  思わざるを得ない。

  それで、外を歩いていて、その気はなかったが、
  木々の芽吹き、新芽がきれいで、それまでくすんでいた
  ものが輝くようなので、
  短いところをカメさん持って歩いて、
  最後に、というところ、で、アカタテハらしきチョウを
  見つけた。
  最初は、小さい黒いものが、激しく動いている感じがあって
  それがツバキの花に止まって、ようやく
  アカタテハとわかった。




  さほど長い玉を付けてなく、これは望遠側で105mmなので、大きくは
  撮れない。ファイルのイメージ。

  


  それを拡大。ファインダで、翅を広げているのがわかった。その翅の
  感じから、アカタテハだと思う。小型で、もしかしてこの春羽化した
  ものか?。




  翅を閉じた。ファイルのイメージ。




  翅のモジャモジャ感から、やはりアカタテハだろう。
  もう少し長い焦点距離のレンズだったら、と思うが、またそれを付ける
  そうゆう機会はあるだろう。

  
  後は、きのう詳しく書いた、
  4月17日、夜の、月と金星の接近について。




  ISOは200、露光は1秒。ファイルのイメージ。
  少し右に月、それから下に向かって、金星、それと地上の灯り
  が写る。拡大して、ソフトで調節すると、地球照もわかる。




  同じく、ISOは200、露光は0.5秒。同じくファイルのイメージで
  こちらはより広角で撮っている。
  上にぼんやりは、雲でかげる月である。その下は同じで
  金星、地上の灯りと続く。



少しだけ暖かい朝

2010-04-19 06:45:32 | 散策


  スイセン、その一。春のお昼。




  ミニカメだと、同じ一枚におさまらず、別れ別れに。
  春のお昼の、スイセンのそよそよする感じ。



  朝のお天気は晴れ。雲がかなり多い。もう日が出て、かなり時間がたった。
だんだんと明るくなって来る感じがある。雲もこれから切れてなくなるのだろうか。
雲のおかげで、さほど外の気温も下がらなかった。風はほとんどなく、少しだけ
暖かい。

  アメダスの6時の気温、8.1℃。早くこれが二桁にならないか。気圧は1026.4hPa、
湿度は87%。南西の風が1mとあり、まずは穏やか、室温は12.5℃。ほどほど。

  雑草が伸びてきた。周りは緑濃くなるが、また蚊とかも出そうで、すでに出て
いる。エンジン音があちこちでするが、きのうかなり大規模な、なにかをやって
いる、そうゆうところを横目で見たが、なにか建物が立つとかいう感じはなく、
でも盛んに木を切っていて、木は痛そうで、これが人の散髪と同じかどうか。もったい
ない木の生長が、ここで失われてゆく。実にもったいない。それから、そこに棲んで
いた数々の鳥とか虫もどこかにいかざるを得ないだろう。かすかに残された聖地と
いうのも、重機が入るとあっという間に、赤土を露呈させる。
 
  同じエンジン音でも、これが手で扱う、そうゆう感じの音はこれも特有で、
今まで、大きなサザンカ、それから赤いカエデ、その他の庭木が生えていて、結構
きれいな感じのあった、また面白い造形美もあった、そうゆうご家庭の庭木も、
きれいに散髪されてしまった。それゆえ、サザンカとか、あと赤いカエデもスカ
スカになってしまう。幹だけ残ったものが多く、赤いカエデは一応、葉っぱは残っ
た。ボケ、赤ともも色のもの、これも三分刈りというところで丸坊主に近い、でも花
は残った。惜しいとか思う。

  ここのいえの、柿の木の葉っぱ、がまたまた大きくなってきて、その薄い緑色
が強調される。何年生きてきたか、そのうち枯れてしまう、そうゆう木だろうか。
わからないが、柿もその実を食べることはないが、残された少ない柿だなとか思っ
て、ことしもその姿を見る。

カエデの、新葉のいろいろ

2010-04-18 18:53:04 | 植物・花(春)
  大体過去のことから始まる。未来は永劫わからないようなで、せいぜい天気予報が当たればい
い。これが当たらないこともあって、少しイジイジもする。
  きのうは夜、晴れそうな気配はあった。それで、ある時間、もう宵の時間であって、月が細いよう
で、それでもくっきりと見えていたし、また宵の明星も、まだ少し高い位置にあって、月も、金星も
段々と地平に近くまで降りてくる、ということは予想出来た。空に、点の星があって、それから片方
は、円周、片方が、楕円に似てたぶん違う、そうゆう天体を肉眼で見ることが出来るのは、結構限られ
たときしかない。
  月はときに明るすぎて、昼の太陽のような働きをするときもあって、するとこれが他の淡い天体
を見るというとき、邪魔になるということも、ときにあって、これがプロの天体研究家、つまり科学
者、あるいはハイ・アマチュアの方々もこれを気にするし、また嫌う方もおられる。でも、それはとき
にであろう。いろいろ星空一つとっても大変なことは多い。

  それでも、もう曇りとかいうと、月でも見るかという気にはなるのではないか。その月も、と
きに消えたりもする。これにはみなびっくりして、でも皆既月食はそうは起こらない。それより、
月が見えないという、新月というときの方が不安というものは多いだろう。いつもは見える、そうゆう
ものが消えてしまう。で、きのうの月齢はどのくらいか、わからないが、程ほどの幅もある。それで、
もう少し地平近く降りてくると、撮影のチャンスかと思う。ただ
  月と、金星のその姿を撮ろうとする、一つのファイルにおさめるという、ただそれだけの楽しみ
であるが、もしかしたら、水星も写っているかと思ったのは、それは今日になってからで、そうゆう
肝心なことはいつも忘れている。今月の頭に、そうゆう情報を見ても忘れてしまう。それよりも、地
平の辺りに、雲があって、ということは、それよりも高い位置にも雲はあるということ。付け足すと、
金星もこれも拡大する、望遠鏡で見ると、月のように、欠けている。これを確認するに、さほど大きな
口径の望遠鏡はいらないが、あまりはっきりはわからない。ただぼんやりとした、まあるい、しかし点で
はない、そうゆうものが見えるだけで、この辺りが金星の魅力という点で、惜しいところ。これは
個人的な感想である。金星は思うに、点像で明るさが欲しい。

  それで、きのうのある時間、月は出ていて、それから金星もまだ沈まず、地平より上にあって、
ちょうどいい塩梅だった。それで、カメさんと窓の「桟」を利用して、長時間露光を可能にする方法という
のをやったのだが、その時間は1秒とかもあったのだけど、月も滲んで、結局金星もぼやけてという
結果に終わった。月の明るさ、金星の明るさに、差があり過ぎたのだが、途中雲が出てきて、天然の
フィルタでもあって、こうなると細い月、雲に隠れる、そうゆう月と明るい金星があって、これは状
況の説明がないと、なんでかなという結果になってしまう。
  結局、私はもしかして、水星も見えているということは頭の中にあったのだけど、それで双眼鏡も
出して、水星の明るさを探したが、もう時間も時間で、暗い空しかなく、またその後に、その長時間露光
のファイルに、ある小さな点がないか、探したがもちろんなかった。きのうは、はっきりいうと雲
が邪魔をして、月は細くなり、もう水星は見える条件はなかったということ。これのお天気の回復
が、一昨日だったらとも思うものだが、これもどうしようもない、感じがある。

  わずかに残されている、誰にでも出来ると思われる、星星の観察に、そこにカメさんを入れるの
は結構にややこしく、ほとんどの場合、運がよくても、知らないということは多いし、知っていても天
気が悪いとこれはどうしようもない。それに比較して、それこそチョウだのという虫は、その辺りに
いることはいる。でも、それもカメさんの対象にはなかなかならない、今年は思うに虫はあまり出な
いのではないか。チョウもたくさん空を飛ばないのではないかとも思ったりもする。すると困ったことに
もなるわけで、さてどうしてくれよう、という気にもなる。

  植物の状況を見るに、こちらは春は進捗している、と思われる。桜も早く咲いたし。で、今はもう
その先をいかないといけないが、一応春の花は出てしまった、感じもあって、これも困ったもの
だ。
  木々というと、杉だの、ヒノキだの花粉がどうのという感じであるが、まー杉はたしかに、あまりい
い感じはしない。で、ヒノキと、というと、これがどこにあるのかわからない。その点でゆくと、
カエデはどこにでもある。
  ようやくカエデにたどり着いた。カエデの緑こそ、この先しばらく、まずは付き合わないといけ
ない。この先はカエデ。後は一体にいつに、虫と名の付くものが出てくるか、それにかすかな期待の雫、
かけら、希望というものを寄せないといけないだろう。






  カエデを、日の当たるそうゆうところで、眺めると当然日がまぶしい。
  どうなっているか、これはカメさんの結果を見るしか、方法はないか。
  反射光のものを見るというのはあるが。上の方で眺めることが出来
  ないと。




  上のファイルを拡大。緑といっても黄緑ということだが、かなりはっき
  りとしてきた。





  違う枝。黄緑、薄い緑がやけにみずみずしい。




  これも、一つ上のファイルの拡大。




  も一つ。




  そういえば、虫のようなものが、この暖かさと緑で、一つだけあった。
  虫も大変で、逆さまになって、葉っぱかを齧っているようである。




  窓から眺める、朝のカエデ。上の方に、木漏れ日の水玉、それとそれ
  以外の白いものが写っているが、




  その一部をほぼ等倍に拡大する。無理なことをやっているが、木漏れ日の
  水玉がまずは見ていて、美しく、面白いようでもある。それと、
  さて白い、水玉以外のもの何か、
  これは蚊のような、つまりは翅のある虫のようで、これがらせん状に
  舞うように飛ぶのである。蚊柱現象に似ている。これがあちこちに
  見られた。



チョウが舞い、逆光のチューリップがある

2010-04-18 16:15:11 | 植物・花(春)
  朝は晴れで、ほぼ快晴。晴れ間が多かった。
  その後気温は予報どおり上がって、暖かくなった。
  でも曇り空が主で、それのほうが極端に暑くならず
  よかったかも知れない。これからは
  紫外線にも気を付けないといけないからなー。

  それで、チョウの一つと思う。
  たしかにチョウはフワフワと飛ぶ。でも飛ぶだけ。
  今日は、モンシロチョウ以外に、モンキチョウも
  また小型のアゲハも見たが、見ただけ。

  花壇か、花畑かというところ、色が濃くなり
  チューリップの花壇の花も、以前より生長。
  ここでは晴れていて、逆光がよかったと思う。




  シバザクラ、大きさは2m四方くらいか。突然大きさを書くと
  自分でもどうだったか、忘れる。でも、
  花はほぼ満開で、まー花の絨毯で、踏めません。




  この辺りは、畑で、いろいろ菜の花も、また他の花もある。で、
  モンシロチョウが飛ぶ。ときに、近付いて来る。これは本当で
  しかしそれだけ。
  何だか、小さな花が紺色か青色の、それで葉の色は、シソというの
  がある。




  モンシロチョウがフワフワ飛ぶのを見て、カメさんは下を向く。
  この花は一体に何か。きれいな花であるのは間違いない。今頃
  花が出て来た。




  チョウは見るだけ。チューリップのところへ。花も数も増えて
  大きくなった。




  カメラの向こうに、花と太陽がある。花びらが少し透けて見える。




  白というより、クリーム色のチューリップ。きれいなものですね。




  今日は雲の隙間から、太陽光がこぼれ落ちて、いい一日になった、と
  思う。
  クリーム色のチューリップが、画面一杯に広がった。



快晴、オルゴール

2010-04-18 06:33:57 | 散策


  雨のポートラム。ライトレールで、赤いのは信号。




  回転する、ポート君は、これで、おしまい。

  そういえば、新型車両というのが、南富山・大学前間を走るという。
  なんと全額税金で支払われるようだ。結構なこと。
  それが1時間に一本くらいのペースで、走るらしい。なかなか
  会えそうにない。
  訂正:全額ではなく、四分の三でした。申しわけありません。


  
  朝のお天気は、快晴。(何か消えたようでうまく埋められない。)今日は晴れ
で、もちろん太陽のほうが早く起きた。晴れの朝は寒く、冷え冷えする。
布団から出るのもう憂鬱。晴れだけど。

  アメダスの6時の気温、4.5℃。気圧は1028.9hPa、湿度は72%。南西の風が3mと
ある。一見穏やか。室温は、10℃。

  あと少しで起きる時間というころ、目が覚めてその後しばらく眠れず残念。
すぐに眠れるときもあるのだが、もう脳も眠くないとか思うと、だめなのだろう。
まずはろくでもないことしか考えない。

  昔むかし、それは今でも時々あるが、頭の中で勝手に、曲が流れるときがある。
これもなんだか嬉しくはない。便利なようで、頭の痛い問題である。消えない。こう
ゆうことをはっきりと文章に書いてある、書き物を見て、なるほど、作家の方もこ
うゆうことがある、と思うと気が少し楽になった。
 
  きのうがその日、でもほとんど毎日、この頭のオルゴールは回転しているのだ
ろう。それがきのうは意識されて、この曲は何だかわからないがいい感じであった。
頭が痛いから、ちょうどよかった。それは夜も消えず、ときどきいいときに流れて、
悪くはなかった。で眠ると、コロッと変わった。
  一回起きて、あれ、違う曲が流れているなと思う。

  それで、朝だ。勝手に、いろいろな曲を流している、そうゆう脳みそがある。
このようなことを考えていると、そりゃ眠れない。で、いろいろ候補は出た。ちょう
ど、もう起きる時間というとき、きのう流れていた、頭の中で回転していた、曲は
出て来た。歌詞とかでなく、鼻歌のような感じで、流れるのがいいが、探しすぎて、
歌詞まで思い出して、それはないほうがいいような感じだ。

久しぶりに、田舎道を歩いてみると

2010-04-17 18:54:52 | 散策
  今頃、晴れ晴れ、お天気は晴れ、風があって、それでも暖かくはない。風がなくても、暖かく
はないだろう。遅すぎる、お天気の回復があって、今から晴れると、あしたは冷えるから、返って
困る。

  お昼のニュースというと、土曜日でもあるから、一体に何があるかと思うが、立山黒部アルペン
ルートの開通とかが、流れていて、そのときコタツの中はあまり暖かくはなく、どっちだというと
寒いというものがあって、これは私の体調の不良もあるのだが、雪が降る今の気候で、かなり高い山々
にバスが走る、そうゆう不自然さを感じつつも、その景色にあこがれてやってこられる方の意思は尊重
しないといけないような、気がする。まずは、ここは頭を垂れる感じである。高い山に登る、という
のも大変で、いくら車でといっても考えるに楽ではない。この辺りは勢いもあるのだろうが、何と
あまり雪山登山という格好でなく、程ほどの寒さの程度の姿形で、カメラにおさまるのは、普通の人では
やれない。なんだか、アラスカとかもう考えられない、寒さのところへオーロラを見にゆく、冬の
ロッキー山脈、春のヨーロッパ・アルプスに出かけるのと同様、結構な意思、力強さ、感慨というものを
持ち合わせていないと、
  こうゆうところにはいけなく、なんだか差があり過ぎて、いってみると雲の上の方々のようにも
思える。そういえば、今日は、朝方お天気は悪くはなかった。でも、途中というか、またすぐ雲も出て
きて、雨風があったから、きっとアルペンルートは、雲の上にあって、そうゆうところを見学する、
方々をTVで見ている、そうゆう自分に安心もし、またこの時期の寒さにヘイチャラで生きてゆける、
そうゆう方々にまた感心もする。それにしても、雪ですよ。まーこちらは、平地では雪はないが、山
は雪。
  これは都心とか関東の平野のあるところでも味わえたようなで、もう雪は散々見たし、それで
くたびれ切った私としては、何ともいいようがない。3、4年分くらいの雪かきをした、と思う。もしも
今年も雪の厳しい年となると、これこそどうなるか、先が思い遣られる。まだまだ、猛暑が待ち構え
ているかも知れないというのに。寒気が去って、それでこの辺りは気温はやっぱり低め。で歩くかどう
か、頭痛もあって迷ったが、迷うときは歩いた方がいい。

  まー何ということというと、麦がせっせと生長して、フサフサしている。一体にどのくらい、麦
の姿を見なかったか、これも記憶にないが、一つは桜見物とかに、うつつを抜かしていたからかも。
いけないことでもないけれど、桜の美しさを再確認し、でも、もう少し山、あるいは低い丘陵辺り
までゆけると、それに越したことはなかった。いくらがんばっても、丘陵に咲く、桜の行列に小さな神社
仏閣の桜はやっぱり勝てない。巨大な桜の薗というと、それこそ大和路とか吉野熊野国立公園辺りに
出かけないといけない。そう思うが、まるで夢のような出来事。近くで桜の大きな木を見ることが
出来たのが幸いだった。また、丘陵の桜の咲きようも、少しだけ味わうことは出来た。これも運が
よかった。桜は、この寒さで山沿いの方はまだまだ見物が可能なようで、あっと驚くようなこと
もあるのだろう。
  なんともいつもの歩いている、そうゆう道での出来事で、ここに桜の一種と思えるようなもの
はあるが、それ以外はまずは地味なもので、一つは麦畑。もう一つは、花の散った、梅の新芽の緑の
様子というのが見所となる。その、麦一つで、麦も何にでもなる。昔は麦をご飯に入れていた。最
近まで入れていたが、その麦も今は入れない。忘れている。すべて忘れる。麦ご飯が懐かしい。だれ
だれは麦飯をとかいった人がいるらしいが、まったく正しいことを言っているようで、それこそ今こそ
麦飯を食べたいけど、どうしたらいいのかそれもわからない。その麦も今は、多くは輸入されていると
いう。それが事実で、小麦粉もぴんと跳ね上がった。わからんことが水平下に昔から行われて
いるのだ。知らないのだね。なんにも。で、
  今はあまりビールは飲みたいとかは思わないが、焼酎はいいかも。こんなことは書けないか。で
も、一番安価な、麦の焼酎も、その原料、麦は輸入品とのこと。どっちでもいいが、たまに芋、と考える
が、高級すぎてかまずは口に入らない。芋もいろいろ。

  そうして、麦を見て、この麦はどうなるかは考えなかった。梅の後、というのもこれも花の後だ
が、その木々は薄っすらかあるいはかなり緑色濃い状態にある。梅の実まで見ることが出来ないのは、
何とほとんど歩いている時間、雨が降っていたからでまた風も強かった。それこそ安定したお天気、
晴れ間というのは、午後も遅くからだ。寒いから、そうは長居は出来ず、最後には汗をかいた。頭
の痛いのは風邪かとか思うが、そうゆうことも忘れて歩いて、寒いけど汗がでた。まー書いていること
はいつも冷や汗か脂汗が出る。





  朝の西の空。青空がある。これで晴れると思うのが浅はかで、何とも
  雨がその後に降り始める。




  カエデの赤と黄色の混じって見える新葉に、強い太陽光が当たるが、
  これもわずかの時間であった。




  ちょうど、朝日が西の方角を照らすころ。大木と思えるその木々に枝に、
  薄緑か、鈍い緑色をしたものがあって、ついにこの木の枝に、細い細い
  枝にも葉っぱが出ていることがわかる。




  麦畑、フサフサしている。ずいぶんご無沙汰した。




  梅の緑。




  もう一つ。この辺も小雨。



  
  白いと思える菜の花。




  白続きで、ブロック塀で、日の当たらない感じの、スイセン。

  朝の方が天気はよかった。
  今はどうかな。