光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

木に囲まれたいえ、木に囲まれた田園

2010-04-12 18:50:53 | 植物・花(春)
  雨で少しだけ、木々の浅い緑の色が濃くなったようで、しかし寒いからか、震えるような
感じもあって、これは風が一つにはある。他に、雨が木の葉に当たって、それで枝葉が揺れる、という
のは何とも小さな変動で、それゆえ連鎖反応も起こったりもする。今日は、全国的に寒く、寒い中心
はもう太平洋側に移っているのかも知れない。暖房を付けると、そこそこ温度が上がって、それでも
何の花粉か知らないが、それが飛んでもいるようできのうもその花粉が何かしている、感じはあって、
アレルギ反応かは起こるようだ。
  昔は、10年前も、杉の木は多く、それよりもさらに昔だと、杉の木があって当たり前で、それゆえ
あまり視界もきかないということもあったようだ。それゆえか、今は街路樹もさほど大きくはなら
ない、そうゆう木々が植えられて、そうでないケヤキだのが植えられている昔からの道はようやく、
木は大きいが枯れ木であったその枝に、さらに細かい葉の芽が出てきて、それがモヤッとするの
は、これはその木にもようやく、葉っぱが出て来た証拠で、これはやはり例年よりも遅いだろう。
そうゆうところは除くと、まずはさほど木はない道路が多いし、それゆえ、小さなシデコブシで、
雨をしのげるかというと、それはない。
  近くで、木の切られるような音を感じるときはいやーな気がするが、それが誰の持ち物かもわから
ず、またこちらがどうのこうのいう権利もないし、木が切られるのもしょうがないか、という思いもあ
る。そうゆうときがあった。台風で、多くの杉の木が倒れたとき、その少し前に、ここのいえの、杉
の木もその背の高いのを多く切った。もっともそれをやったのは、なんだか知らないが、ものを置く、
それを「蔵」とかいうのはおかしな気がするが、その屋根が台風ですっ飛んだのであって、それに
まずは驚いたのであった。その後に杉の木も倒れる、そうゆう台風が来たのだが、その中間で、結局
安全のためだとかいうことで、杉の木を、高いものを切ってもらった。どのくらいの樹齢があったか、
少なくても100年とかはあるのではないか。高いものだと10m以上はあったし。

  そうゆうことを思い出すのも、その近くで、そこにまだ大き目の杉の木はあるが、高さは昔ここ
にあったものよりは低そうだが、で、そこで何か、木を切り倒したりしているので、今度は新しく何かが
建つのかとも思う。いろいろ想像し、もっとも詮索をいくら続けても意味はない。そこに棲んでいる、
鳥とか、その外の動物なり、小さな虫さえもその音に驚いて、そこからもういなくなったよう
な、感じもあるが。これもまたどうしようもないこと。ここで昔やったことと、変わらないようでも
あるし。でも、切られる木の方はきっと痛いだろう。私もここの杉の木が切られるときは、仕方ないが、
気が失せたし、どう考えても憂鬱感はしばらく残った。
  
  ここの昔の家は、平屋で、敷地も広く、でもただ広いだけで、長方形の建物を、例えば木の戸で、
それが杉で出来ていたりしたものだが、仕切っただけのものであった。で、いざとゆうとき、その敷居
の戸を取り外すと葬式も出来た。そうゆう感じで、建物の機密性というのはなく、プライバシーみたい
なものもなく、冬は寒く、また畳は多く、それから掃除をするのは、大変だっただろう。それも、箒でやっ
ていたのだ。傾いているようで、それから台所も風呂場も同じで、ってこれはもういいか。夜に大きな
柱時計が、時を知らせるので、その音を聞くと怖くて目が開いた。これももういいか。なんども書いた。
トイレは遠かった。これも書いたかも。でも、そうゆうものだったらしい。
  で、周りは木だらけで、杉の木があり、ケヤキも大きいのが2本あって、その落ち葉にクレームが
付いたかどうか、知らないが、結局そうゆうものを切ってくれるというところにお願いして、切って
もらったようだ。お金を払って切ってもらったのかどうかも知らない。そんなことはどうでもいい
ことのようで、つまりは昔から、この辺りのいえというと、たくさん木があって当たり前で、でも時
代とともにそれらは切られたらしい。そうゆう話しは、今も聞くことがある。

  田舎の印象は、ここのいえの昔の印象と同じで、何しろ夏、そうゆうときにおもに、ここに遊びに来
たが、緑の豊富さはもう、何ものにも変えられないくらいのものがあって、しかし少しは都会だったか
も知れない、当時住んでいたところと比べて、あまり差は感じなかった。そこそこ緑はあった、どこに
でも。それが減ったのはいうまでもないが。
  それから、北陸本線から見える、車窓はまずは緑で、そこに田んぼがあり、それから畦道があっ
て、そのそばの小川かに緑濃い木の一群があって、いわば小さな森があった。こうゆうところに
柿の木など植えてあって、カラスが食べたのだろう。そうでないと歌も出てこない。その北陸本線に、その
後結構時間がたって、例えば冬の信越本線が雪で列車が運行できないというとき、東海道新幹線で、
名古屋まで行き、そこから特急『しらさぎ』に乗り換えて、ここ富山まで帰って来るということ
もあったけど、このときはまー雪が多くて、それこそ北陸本線も止まるということもあったけれ
ど、その前から、田んぼに緑はどんどんと減っていったのを記憶していて、如何にその風景が昔と
見比べてッみすぼらしかったか、力説したことが、たしかあった。それが通じない。
  これでは、何をいってもあかんか、とかも思った。これ自体もものすごく昔の話しであって、
これと草をはやかすというのは、やっぱり次元の違う問題だろう。この時期はどんどんと近づいて
くる。すでに10cmくらい雑草は生えている。



  植えられた、花々の様子、きのうの続き。



  赤い、ボケの色の赤さ、再度登場。




  セイヨウサクラソウ。プリムラ・ジュリアン。この花、また畑の道の
  両脇に植えられて、この先もどんどん増えるようだ。




  そういえば、セイヨウサクラソウなどは、昔はなかったなー。




  シバザクラ、その一。




  その二。




  その三。シバザクラというのも、これも最近知ったもので、いったいに
  いつころからあるのだろう。




  赤い、アネモネ。アネモネ、これも知らなかった。




  赤いチューリップ。チューリップは昔から知っていたような感じがあ
  るが、これは地域を問わないのではないか。



月夜の、朝

2010-04-12 16:14:01 | 星空・天体・宇宙
  冷たい雨が結構陽性に降っていて、よく濡れてくれた。
  雨も大した距離もないのに歩くと、衣類を濡らす。
  で、そうは乾かない。で、布で拭き取る。
  一種の洗濯かとも、思えばいいか。

  それで雨、明日も大していい天気にならないような
  感じで、憂鬱でもあるが、これは明日にならないとわからない。

  そういえば、朝方の月があった。先週の土曜日の朝、
  つまり4月10日の、朝は月夜でもあって、その月は煌煌と
  輝いていたが、すぐに青空に消えたようであるが、
  さてどうか。




  朝は少し明るく、でも日の出まで時間があって、月ははっきりと
  する。もっと暗く月が見えていてよかった。




  剣・立山連峰の稜線の上の、雲の上に、月がある。




  もう少し、大きくしてみる。ちょっと膨れている、そう見える月がある。
  光が滲んでいるようだ。

  いつもなら、これで終わりだが、この日は続きがあった。
  明るくなって、かすかに白い月があったから。




  淡く、月らしくない、小さな白い雲のような月。




  同じように、拡大している。月らしくなってきた。まだ月の姿は、白い
  空に消えていかない。




  剱岳・立山連峰もはっきりと写って、それからその上に月らしい、白い
  月が残っていて、なんだかいい感じである。
  月の細さがわかる。




  よくある、青空に木々というものも、比較のため載せてみた。



今日の雨はありがたくない

2010-04-12 06:46:17 | 散策


  ヤマブキの花。だんだんと数が増えたが、これは露光時間が長かった。
  測光方法を変えるのだった。




  こうやって、ヤマブキの花に寄る、そうゆうときは中央重点測光は
  いいようである。



  朝のお天気は、雨。きのう、夕方から雨で、本格的。風がそのまま残っていて、
斜めの雨になって、さほどうるさくないが、まー寒そうなこと。いじける雨。この雨
どこからやってくるのか。豪快で暖かな雨があれば、貧相だが、冷たい雨がある。
この雨は、少し豪快で、で冷たい。こうゆう雨はいらない、今の私には。

  アメダスの6時の気温、8.2℃。これは高いなー。それで気圧は1016.3hPa、湿度は
98%。東の風が1mとある。でも、風はこの辺りはもっとあるだろう。また風の方向も
定まらないようで、東から北から吹いている。この雨はだから冷たい。室温は、12.3℃。
寒いと書いているのが何だかうそのようにも思える。

  4月の雨は寒い。そうゆう場合もある。ナタネ梅雨は冷たい雨。耳から感じる、
ナタネ梅雨はしかし暖かそう。
  いくら時間があっても何もわいて来ないので、さてきのうの寒い時間の出来事を
書くと、

  ここと少し離れた、お隣の集落を歩いていた。桜見学の後のこと。道の先には、
人影もなく、まったく人っ子一人いない。その先に茶色と白のネコが見えて、でも
そのネコはこちらに気が付かない。そうゆう風に見えた。もしかして、と思う。
ただ、カメさんにおさまるかというそうゆう期待がわずかにある。
  ネコは各ご家庭に寄ってゆくようで、でもまずは立ち止まらず、それゆえこちら
が少し早足でも、ネコはとことこ走るように歩いていて、その距離はだんだんと遠く
なる一方であった。飼いネコではないなー。
  寒さを感じ、それと曇り空の陰鬱さがある、そうゆう道をノラのネコは歩いて
いる。何だか似ているものを感じ、そのネコがいとおしくも思えるのは、一瞬の気
の緩みか。