光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

再び、宵の明星と、夕景

2010-04-27 16:22:21 | 星空・天体・宇宙
  今日はあっさりと、雨。風は意外と早くおさまったが、
  まったくないわけでなく、歩くと濡れる。
  雨はさほど強くはないが、歩くと濡れる雨である。
  気温も上がったが、今はまた下がり始める。
  午後3時のアメダスの、気温は、12.0℃。
  午後3時までの最高気温は、なんと19.7℃。

  さてまた、宵の明星である。日が沈んだ後、
  西の空に、明るく見えている金星。まだあまり太陽からは
  離れていない。でも、暗くなり始めるころに、もう見えている
  と思う。
  25日の日曜は晴れで、空は濁り始めた。時間は、午後7時過ぎ。
  窓の桟にカメさんを置く。少し斜めにするため、消しゴムを
  使った。後は手でカメさんを押さえる。壊さないくらいに。
  ISOはみな、200。

  今回は、夕景の青い空が少し印象的である。
  あとは失敗写真も。




  露光、0.25秒。画面中央少し上の点像が、金星。夕景の青い色
  が、印象的で、実際はもっと濁っていたようだ。




  露光、1.0秒。背景は時間とともに暗くなる。でも、1秒の露光では
  上のものより、空は明るく、金星もはっきり。




  露光、0.5秒。短くするとやけに暗さが目立つ。金星は明るいが。




  露光、2秒。背景は一番明るい。




  同じく2秒で、これはカメさんが動いて、金星が二個になった。




  同じく露光は、2秒。時間とともに、急速に空は暗くなる。




  露光は、1秒。この時間だと、ほぼ夕景というのは、真っ暗になってし
  まった。金星と、街の灯り、外灯、それと高い建築物のライトのみが
  明るい。




  露光の1秒は長く、さっとカメさんを動かしてしまったら、光跡が残った。


  

お隣さんのシャクナゲ

2010-04-27 06:46:01 | 散策


  麦の青葉。目に青葉、まさにその通り。
  麦の色は青い。



  朝のお天気は、曇り。風もかなり強い。もう雨が降りそうだが、それまで
風が吹いて、で気温も上がるはず。フェーン現象、あまりありがたくない。嵐に
近いから。それで雨で、また気温は下がるのか。

  アメダスの6時の気温、16.8℃、高いね。気圧は1019.7hPa、湿度は37%。ホ
ントかいな。南南東の風が10mとある。室温は、14.7℃。

  手が冷たいのは、給湯器のスイッチを入れてなかったから。それで、手だけ冷
えて、それで、なぜか、空気はヒンヤリしている。ものすごく寒くはないが、暖か
くもない。

  シャクヤクの花はまだで、ただそれが大きくなっているから、あちこちで目
に付く。シャクナゲの方は、もう花が見事に咲いていて、それをときどき見る。
実に素晴らしい、とか思うのだけど、よく見るとツツジと似ていて、でも、感じと
いうか、派手さはシャクナゲが飛びぬけている。

  お隣さんに回覧を回すということをやっているところだけど、それゆえお隣さ
んへと入っていくが、まーきれいである。何もかもが。なんだか雑草までがきれい。
でもその雑草がどこにあるか。探さないとわからないくらいだ。
  で、シャクナゲが実に美しく、ちょっと横までいってみる。撫ぜてあげたいく
らいだが、じっと我慢、5秒間その花に見入る。これで、観賞はおしまい。回覧も
たまにいいことがある。

  概して、シャクナゲは大きくなって、目立つことがあるが、これはここにはな
い。それゆえ、みなお隣さんか、さらにさらにお隣さん辺りにあることになる。
  シャクヤクはここにある。花の感じはぜんぜん違うが、シャクヤクが咲くのは
まだ先。でどうするか。ここはツツジを愛でるしかない。

青空が似合う、木々の緑

2010-04-26 19:06:42 | 散策
  空の青さは「はかない」とか思う。まったくの青空とかは滅多に見ないし、大体子供のときは、
空の青さは気にもならなかった。そういえば花鳥風月で、空の青さをどこに求めるか、考えるが、
花かも知れず、虫かも知れず、得体の知れない不気味さがある。一体に、いつから空は青かったの
か、というと、これは記憶でいうと、そろそろもういい年というとき、その空の青さを気にもし、
また青空が出るように祈らないといけない、そうゆうときがあって、それが子供のときは遠足とか、
また運動会だったりもした。

  それで、雨がという時は雨天順延というのがある。でも、これも面倒であろう。昔は結構鷹揚でも
あって、さほど厳しい取り決めもなかったようだが、今はTVの制作と同じような、秒刻みの厳しさとい
うか、スケジュールの設定があるようで、これにはもう少し卑近な、地域の運動会、その他春祭りと
かがあるようだが、このお祭りは別の次元に属するのかも知れない。祭りという字からもわかる。祭
りは、地元というか、一族郎党とかを思い出させるものがあってこれは、一所懸命という言葉も思
い出させる。でも、最近は一生懸命の方がいいような気にもなって、後者を使うことにしてい
る。
  月曜は週の始まりか、これはカレンダ、日記帳で異なるかも知れず、でも日曜が始まりは、カレ
ンダに多く、手帳は月曜が多い。今使う手帳も週ごとのページの始まりは、日曜でなく、月曜であ
る。で、月曜のラジオというのは耳が時間があれば、聞くことも可能だけど、何と、いつもの声がしな
い。しないというか、いつもの晴れ晴れしい声と違うものが聞こえて、しばらくして、それが電話の声
であるのがわかったりもする。
  これは、クラシック音楽が流れるものだが、何と、例のアイスランドの、火山の爆発で、飛行機
が飛ばないということで、偶然か出かけられていた、番組での話し手で、進行役、司会、音楽家とい
う方が、帰って来れないということであった。その声がいかにも悲しく、また物悲しく、かなりお
疲れのようでもあって、こうゆうことが日常のラジオ番組の制作にも支障を出したという、実際に出会
う、経験でもあった。これは、NHKも困ったし、またとうのご本人が一番、途方に暮れたであろう。無
事、戻られることを祈るだけだが、そうゆう意味でも、地球の空の青さが、重要とかも、そのときすで
に空に白い雲が出ていたようだが、思ったのであった。

  いろいろ、困ることというのはあるようで、私も幾つかそれを抱えていてほとんど自分の問題で
あったりもする。なかなか、しかし自分に関する、困った問題というのは、もう何十年と一緒に生きてい
て、これは直らないどころか、どんどんと悪い方へと、転がってゆくようである。つまりは、小さなこ
とでクヨクヨしたりもする。なんだか、一つこれはおかしいではないか、と思えるものがあると、
なんだかすべてが疑わしくも思えて来る。そうゆうところ、それで、そのようなところで、悩んで
それで時間を無駄にする。なんとかならないか、とか思うのだけど、そうはいかない、というもの
がある。自分が損をしていて、わかっているが、それが止められない。気にしだすとおかしくな
る一方である。で、これも年齢という問題もあるようだ。
  あるものは結構腹立たしく思えて、でも一晩眠るとコロッと忘れていたりもする。それが次の朝
まで残る、というときがある。これで早く目が覚めたりするのだけど、こうゆうものは本当に直ら
ないものだなー。それで、損をしている。執念というのもいい方で、働かせないといけない。どう
にもならないようなこと。そうゆうことで人はあーだのこーだの悩んで、それで落ち込んで、また
やってしまった、というような失敗を繰り返す。そうゆうようなところが多々ある。
  こうゆうものは、なかなか笑えないから、たちは悪い。期待しない。過度の期待は禁物。とか思
いつつ、今の生活の、かなりガツガツとした、結構厳密なとしかいえない、仕組みというのも、
昔と今とでは大違いだ。

  そうゆう意味からも、青空を見るのは大切か。これではお説教になってしまう。でっまーいい。
自分で、青空を見て、今日はいい時間を過ごせたと思うことは大切なようだ。心の有り様も、また体
の状態もさほどいいとはいえない。そう思うが、ときにふと、自分のやっていることが、笑えること
が出来る、そうゆう気持ちの余裕、あるいは心の広さというものを感じることが出来れば、それはそれで
最高なのだが。それでも、時代が時代だけにギスギスした、どっちだといつも選択を迫られる生活、
というのはこの先も続くのだろう。
  そう思うと、火山の爆発で、飛行機が飛ばない、というのは何か暗示するものがあって、でも
やっぱりそれはないに越したことはないか。





  信号の色、と書くとすべてがあせて見える。これは何の色というと、
  葉っぱの色でいいか。




  緑があって、向こうに浅い緑がある。いつ見てもいい緑。で、地球は青
  いというのを、空の青が示していないか。




  大きい方は、ケヤキかと思うが。よく見ると二種類あるようだ。




  ここは梅の木の緑、より、空の青さ、大きさ、ただただでかくて、その
  先に何もないというところに、感じ入る。





  背の高い木。




  カエデ。葉っぱが出てきて、ようやく寒さがなくなった。




  左は、これはケヤキ。この木も、ずっと枝しかなかったが、今はかなり
  青葉がある。




  初夏のころには、もう太陽は直接見えずに、木漏れ日のみが見えるだ
  ろう。この木の陰で、汗を拭き一休みする。

  

薄っすら、レンゲソウ

2010-04-26 16:08:32 | 植物・花(春)
  今日は、よくわからなかったが、北風。
  この風は、結構冷たいものだが、日向だと、少し 
  ポカポカした感じもあったのではないか。
  空は、晴れか、薄曇り。晴れのお天気も
  今日まで。

  で、もう道の反対側というところ、その先は少し広いが
  草の生えているところを進む。
  すると、ここは多分田んぼというところに
  少しだけど、薄いもも色の花があって、すぐに

  レンゲだとわかった。同じような田んぼもあるから。
  タネを播いているのかも知れない。でも「田起こし」まであまり
  時間がないと思う。その割に、花はチラホラ。


  そのレンゲソウ。




  ただ緑の草、しか見えない感じで、ッもも色の花が点在。




  一眼で、時間はかからない。ファイルのイメージ。




  上のものの拡大。北風で、そよそよと揺れる。




  大きめに。元気さが足りないかな。




  密集していなくて。それは一番最初を見るとわかるけど。探しても
  やはりない。




  これも上の拡大。(同じものが、出てしまいました、すいません。)




  真上から。レンゲなどの場合は、花があるとわかっていると、ミニカメで
  撮るほうが、いいものが出来る場合が多そうに思える。




  ハルジオン。ま、どこにでもある花だけど、賑やかで元気そう。でも、
  まだこの花も少ない。



今日も、晴れのお天気

2010-04-26 06:41:50 | 散策


  ムラサキケマン。花は、そよ風に揺れる。




  ウスバシロチョウというのが、ムラサキケマンを食草とする。で、
  そのようなチョウは、これはこの辺りにいない、と思う。


  朝のお天気は、晴れ。少しドンヨリとしている。靄がある。でも、晴れで、
ほとんど雲はない。晴れも三日続くと、空気は濁る。でも、もったいないような
お天気。風はほとんどなく、朝の冷え込みも少ない。

  アメダスの6時の気温、7.3℃。気圧は1028.2hPa、湿度は71%。南西の風が、
2mとある。室温は、12.3℃。部屋の中が、黄色い太陽光で満たされると、多少は
暖かさが感じられるようだ。
  4月も終わりで、連休で、休みのところがある。これを忘れそうで、カレンダ
をにらむが、3・4月は一枚で、5月はまだ出ていない。

  ツバメ。なかなか出なかった。ツバメが来たというのは、結構早かった。たし
か、3月。でもほとんどツバメを見ることがない。これを書こうと思うときもあるが
何しろ、見ないか見えないかで、すぐに忘れてしまう。力強い飛翔を見るのは心地
よく、早く現われないか待っていたが、このところ、ときどき程度だけど、見か
ける。で、巣作りというところまではいっていないようで、まずは全体的な数が
足らない。ツバメの2、3羽が空に舞うだけで、空は暇そうである。
  で、セキレイ。この鳥は一度、もう見かけない、と書いたら、翌日か見かけた。
なんだか忍者みたいな、鳥である。で、いるのは、白い、でも黒のところもある、
ハクセキレイか、セグロセキレイだろう。このセキレイがいつもツバメが巣を作
る、そうゆうお宅のそばにいる。
  一度、なにかをくわえているのを見た。それは痩せたカマキリではなく、どう
も、刈られた後の、スギナのようで、食べるわけでなくふと、巣作りをしているの
か、と思う。それが正しいようで、小さな空間から、セキレイが降りてきた。ツバ
メは、いえの中まで入って巣を作るが、セキレイは、なにか隙間があるといいらし
い。でも、それだと外からわかってしまう。そう思いつつ、小さな鳥が一生懸命
働くのを見ていて、多少は感動。

  で、そのセキレイが巣を作る、お宅は、いつもツバメが巣を作るのだが、まだ
そこにツバメの姿はない。連休ころまでに、その辺りにツバメの姿が見えるか、
どうか。

日曜漫歩は久々に晴れ

2010-04-25 18:56:09 | 植物・花(春)
  晴れで、ほぼ快晴で、このお天気は、ずっと朝から続いている。今は西の風が少し強く、気
温からいうとさほどでもないが、ちょうどいいかも知れない、そうゆう春の時間がある。
  ずっと晴れるとそのうち、また暗くなるとどうするか迷うが、そうゆうことは関係なしに、話し
は日曜のお昼過ぎ、歩いたというところに持っていかないといけない。日曜ゆえ、余計にダラッとし
た、時間を過ごすが、これがそうはいかないものがあって、頭の痛いことは起こるものだが、こうゆう
ものはやっぱり忘れるのが一番だろう。後々思い出すことはあるが、過ぎたことは忘れるしかない。
それにしても、いいお天気であった。

  日曜ゆえ、TVを午前に見るという変則的なことをやるが、ときにいいところを見逃す、というと
きがある。TVを見るに緊張するのは、あまり面白くない。で、それまで、例えば生の放送で、流せない
そうゆうものがあるが、またこちらも、いつでもその時間TVを見ているわけでなく、いってみると、
見逃しを見る。また放送されていないところを見るという意味もある、そうゆう番組だけど、これ
をまた見逃すことがある。それから、復習という意味で、言葉の端々を聞き取れぬという場合もある
が、再放送で同じようになに言っているか、わからない、というときもあって、こうゆうときは
どうしたらいいのだろう。
  時間はあってなきが如しで、で物事は忙しい人に頼むべきという言葉もあるが、なんだかそうで
もないようなことをいう、方もおられるようで、でも少し詳しくいうと、ちょっと違うことがわかって、
ことの重大さの問題かとも思える。大体、人は優先順位というのをやっぱり持っている。それゆえ
朝は、顔を洗いもするが、時間が間に合わぬというときは、それを省略して、次へと向かう。段取り
がある。ところで、日曜のお昼にそわそわするというのは、実際に情けないものがあるが、でも、も
うそろそろ出かけた方がいいのではないか。という思いはいつもある。それまで、ダラダラ時間を過ごし
すぎた、という思いが、正午を過ぎると強まる。困ったものだと思う。で、
  日曜漫歩ということになるのだけど、今日は、いいお天気だから、どこをどういこうとそれ
でいいとか思うわけだが、まずは出かけるというとき、ドキッとする。で、これも忘れて、で万歩計
はこれはもう持たない。あまりにそれを気にするのもよくないからだ。万歩計を持つに大体30分で、
何千歩というのはわかる。これで歩数とかはわかるが、これだと万歩計の意味もないか。歩いていな
い、というのはただただ歩くというときに、よくわかる。すぐに元に戻ってきてしまうからだ。

  今日は日曜で、それで晴れているから、そうは人は、特にお昼の時間だからいないとか思うが、
その通りである。
  歩いても、歩かなくても気が付かないことがある。珍しくレンゲが生えている。これが出てくる
というのは珍しいかも知れない。勝手にタネが飛んできてというときはある。ここのいえの、ある
ところにレンゲも生えることがあるから。カラスノエンドウはいつも生えるようだが。レンゲか、いい花だな。
  しばらく歩くと、麦畑。でもいつもはイネが植えられる。でも今年は麦。麦の、棘のようなもの
ももう見えている。2、3日見ないとずいぶんと違う。この麦の棘棘のようなものは、実際に見るの
はもしかして1年以上ぶりか。一昨年になるかもというとき、その麦を見た、と考えてやっぱり
去年だと思う。まー、麦の緑を見るもなかなかよろしい。何麦かというのもあるが。

  そうゆう生長を目で見えるものもあって、例えば、シロツメクサなどは、全然といっていい
ほど花は咲いていない。わずかだけ、葉っぱは緑だけど。これが普通かどうか。あるところで、
また麦畑に出て、それで、それ以外のところは、恐らくイネが植えられるのだろうが、今のところ
変化はない。草が少々というところ。
  梅の木、葉の緑。柿の木の薄い緑。これもみな出て来た。あちこちに、チューリップ以外の
花が咲かないか、と思う花壇があるが、そうゆうところはなぜか、まだ何も出ていない。この先が
待ち遠しい。で、またチューリップの咲くところで、立ち止まって、何枚かカシャカシャ、ミニカメ
のボタンを押した。
  
  で、何かを期待したか、チョウはふわっと飛ぶもの、モンシロチョウなりはいて、他に少し黒く
見える、そうゆうチョウが移動するのはわかるが、まずは他に動きはなく、これはしょうがない。
で、頭の片隅にあったのはイチョウの緑の葉っぱ。これを撮ること。でどうしたことか、滅多にそ
うは空っぽにならないミニカメ、これがピピピッと音を出して、もう残りのメモリはありませんと、
合図を出した。これだから、漫歩なのである。で、絵のサイズを小さくして、2、3枚梅の葉っぱを撮った。
そこに梅があって、しかし梅干しのもと、梅の実はどうか。それで、一番小さいサイズでも、もうカメ
さんは反応せず、その横にあった大きなイチョウの葉っぱを仰ぎ見ることもなく、すたこらと帰っ
て来たのはわれながら傑作というか、最後までぼけていた。



  ツツジというのは、この辺りではなかなか見かけない。庭の中のほうには
  あるのだろうが。ここのツツジは、長く咲かなかった、一昨年くらいから
  花の数は増えた。もともとあったものではなく、でも垣のツツジはもちろ
  んそうでなく、昔からあったと思われる。これもうまく咲くかどうかわか
  らないものである。




  白いツツジで、薄っすらもも色。



 
  花は少なめ、でも蕾もあるし、でももしかして剪定も考えないと。




  花にチョウの一匹でもと思うが、来ない。チョウは本当に今年は少ない。




  日付が、変わって。考えないが、数は少ないから同じものに目がゆく。




  あっち向いて、こっち向いて。




  これも同じものの、角度を変えてのものとなった。


  春らしい、新緑の少し。



  一段と、葉は大きく、色は濃く。




  出てくるものは、なんだか不明のものが多い。松が写っている。こうゆ
  うものが入ると、俄然容量が増えるが、しょうがない。




  青空に、アジサイの濃い緑というのを見ると、初夏という言葉さえ思い
  出す。


宵の明星と、真昼のような夜景

2010-04-25 16:10:52 | 星空・天体・宇宙
  今日のお天気は、ほぼ快晴、一日いいお天気。
  最高気温は午後3時までで、でも18.5℃、ということ。
  20℃はいかなかった。

  それで、23日(金)の、夕方からもうたしか、晴れていて
  宵の時間、金星が西の空に見えていて、それがやがて地平近くに
  降りてくる。その時間を待つ。
  狙いというか、目的は、金星と夜景。細かくは、
  一つは、窓の桟にカメさんを置いて、星を撮る、という簡易  
  撮影のため、もう一つは、夜景も入れないと面白くないかも
  という思いから。

  それで、それをどうにかやった。どうなったか。
  時間は午後の7時過ぎ。




  ISOは200。他も同じです。で、露光時間は、0.2秒。
  この時間、午後の7時過ぎとしては、少しかかなり暗いかも。
  画面、ほぼ中央の点が、金星。




  露光を、0.5秒に。だいぶ目で見た感じに近いか、少しだけ明る過ぎる
  かも知れない。




  露光は、1秒。どうにか、カメさんが動かないように、押さえる。
  空が明るくなっているが、ただこのとき、モードが、手動になって
  いなく、明る過ぎる場合、自動で、レンズを絞る状態になる。つまり、
  一番明るいところでは撮っていないということになる。




  これは、露光時間は、5秒。シャッタ速度優先にしていて、レンズは開放
  値より、かなり絞られている。でも、夜景のはずが、ほとんど昼、と
  いう状態になってしまった。手動なら、もっと明るく出来たはず。
  で、金星の方は、ぼけるし、これはカメさんが動くから、パッとしない。




  これは、モードを手動にし、レンズは開放にして、それで、露光時間は
  1.6秒。ほどほどの様子で、夜景と金星が写ったと思う。




  これは、日にちが違って、きのうの24日。時間も遅く、もう星も肉眼で
  見えていた。で、露光10秒という、設定でやっている。
  中央下、明るい点が金星。星のいくつかも写っている。が、星像が
  悪すぎるようである。といっても、ブレてもいるが。




快晴

2010-04-25 06:41:49 | 散策


  タンポポ畑。タンポポは元気そうです。



  朝のお天気は、快晴。きのうから大体、晴れ。それで、朝は早くから、明るい。
冷えた感じがある。朝の冷たい空気は、ちょっとまだ刺激が強すぎる。

  アメダスの6時の気温、4.8℃。気圧は1025.7hPa、湿度は73%。南西の風が、
3mとある。室温は、10.9℃。

  目が開くと、もう東の空に、太陽がある。部屋の中は、少し黄色い色をした、
光りで満ち溢れて、少しまぶしい。眠いがしょうがなく起きて、まずは着替えを
する。その他、いろいろ。

  水。この水道水の冷たさ。時間はもう午前6時を過ぎてしまった。天気情報もおち
おち見ていられない。で、この水の冷たさにまだ、耐えられなくて、お湯がやって
くるのを待つ。もう、2、3度、水道の水も冷たくない、と思ったものだが。水の
冷たさは、雪水のせいか。

  野菜も高い。大体今は安いと思えるものがない。キャベツは高いし、それを
食べると、なんだか紙を食べているような、感じがする。これ、切ない。
  果物というと、相変わらずリンゴ。朝はリンゴで、もう終わりだろうけど、
これに変わるものがなく、食べる。食べるが、今は切るとほとんどのものが中が
茶色く変色している。冷凍保存してあるものだろうけど。でも、中が茶色でも、
リンゴはリンゴで、これを食べる。外見から、リンゴの中はわからない。でも、リンゴ。

お米、大豆、黒豆

2010-04-24 18:55:29 | 散策
  今日はいいお天気で、今頃、まだ日は沈まない。月が、南東の空高く、白いままあって、これ
はもう少し前から見えていた。つまり、晴れていたので、空は青い。月は白い。気温が今一つ上
がらない。20℃近くあっても、それに慣れると、寒ささえ感じる。平熱の体温が36℃ないという、
多分だが、体調で、それでも十分な感じがあるが、人が暖かさを感じるのは、そのときの気温にも
よるけれど、やっぱし25℃くらいは必要ではないか。夏は、それこそ25℃だと、寒く思える。そ
うゆう気もするが、この夏はどうなるか、それはそのときにならないとわからない。田んぼに水が入
るときが近い。もう用水に水は流れて、それで、それが田に入れば、カワズの鳴き声もする。どこ
に、カエルはいたか、いつも不思議に思う。でも、特にマジックはない。

  姉が土曜日に、来てくれて、母を買い物と、その辺りの見学に連れて行ってくれる。母は、こ
の時間を楽しみにしている。していて、冬の時期、それ以外もなかなか当日となると行かない、と
がんばって、その気にさせるのに、苦労するが、最近はあまりそうゆうことなく、その点はありが
たい。でも、体の方が大変のようで、見ていて少しいたたまれない。
  姉はときどき、というより2週に一度黒豆の炊いた、あるいは煮た、ほとんど甘みのない、つまり
は黒豆だけを煮たものを持って来てくれる。これを私もときどき、頂くし、母も結構たくさん、食
べる。黒豆は、結構おいしいもので、これにうまみを感じるに、時間が必要かという問題もあるが、
何しろどちらかというと、正月料理にもあるような甘く煮たものが多い。これは売っている。恐らく、砂
糖を入れないで、ただ煮ただけというものもあるのだろうが、まずは持ってきてくれるそれだけで
ありがたく、またその黒豆は豆の味があっておいしい。きょうは、珍しく、硬くて食べられない
かも知れない、と散々修飾して、そのものを食べるのに注意を促したが、ちょっとつまんでみた
ところ、そうゆうことはまったくなかった。でも、これは冷凍されて保存されていて、氷が一緒にま
だ残るという、ときがある時間続く、これも含めていつもと変わらなかった。何かへんな夢で
も見たのではないか。

  で、付けくわえるに、黒豆の硬いというものも、それこそ石のように硬いと、これは食べられな
い。でも程ほどに硬いと、味が締まってかうまい、と思ったことは何度かある。

  大体に、人はまずはご飯を食べる。でも最近私は、夜も納豆を食べて、お米は食べていな
い。ご飯が嫌いというわけでなく、そうゆうものはするすると胃の中に入ってゆく。それに比べる
と、納豆の場合これも嫌いではないので、問題はないが、多少の粘っこさが、慎重を要求する。今
の納豆というのは味は大豆で、匂い香りはほとんどなく、そうゆう場合好きな人にとっては、損だろ
うと思う。これも、販売の戦略とかがあるのだろう。関西で育って、納豆はもっとおいしいもの
をも、子供のときに食べた。
  お米、それと大豆。さらに、黒豆と来た。なんだかご馳走が並んだ、感じがある。黒豆ご飯など
はもう高級すぎて食べられない。多分栄養的に、黒豆の皮の黒さは、恐らく今は体にいいとされる、
そうゆうもののせいで、これは決して悪いものではない。黒豆はたしかに黒いが、煮汁を見ると紫が
かっている。もう、こうゆうものは、赤ワインのその色、それからブルーベリーの、その赤紫という
ものと同じようなで、ポリフェノールが主たるものであろう。これ以外に、例えば大豆と同じよう
に、タンパク質も多いならば、それこそ、これくらいに、おいしくて体にいいものはないように思え
る。

  黒豆と言わず、つまりは澱粉を多めに含む、あるいは脂質、脂肪を多めに含む、そうゆう種子が
あって、いってみると、種子であって、これは動物では卵とかに相当する。種子は何でも持っていな
いと、その次世代のものの再生はない。それはほぼ確実に受け継がれて、また黒豆の種子から、黒豆と
いう植物は生長し、さらに繁栄を繰り返すということになる。大体、生きんがためのすべてを含む。
そうゆう意味からも、この食べ物はありがたいといえる。
  お米、大豆、そうゆうものがあって、なぜか黒豆がある。大豆の煮たものもおいしいし、ま
た地元産、つまり国産の大豆の納豆というのは食べると味が違うのがわかるが、これはすぐになく
なった。採算が合わないのだろう。で、黒豆の納豆というと、これこそあってもいいと思うが、で
ももしこれが商品となると、高くなりそうである。
  お米を誉めて、大豆に乾杯して、黒豆を愛でる。やけに現実的な話しを書いた。





  ハナミズキと思われる、そうゆう花を、これも続けて撮っていて、今は
  このような感じになる。草もちみたいだな。




  浅い黄緑を遠くに見て、あまり感じるものはないが、今頃白い、花を
  付けるようだ。そこへとゆくと、




  ちゃんと、白い花があった。

  後は、毎度のカエデの緑。




  その一。




  その二。どのくらいまで、雪を被っていて、ある枝はぽきぽきと折れた。
  残ったものが、芽吹いて、今はフサフサと新葉、若葉、浅い黄緑を出す。




  その三。彼方の太陽光に照らされる。




  その四。大きくなった、若葉。わずかな明と暗がある。



個人的な、チューリップ祭り

2010-04-24 16:17:59 | 植物・花(春)
  寒かった、朝があって、ようやく午後は少し暖かく
  外を歩くと、北風で、でも暖かさを感じる太陽の光りが
  強かったようだ。
 
  それで、どこへ行くとも考えず、結局チューリップとか咲いている
  それ以外の花も咲いている、そうゆうところへ、自然と足は動く。
  家庭菜園のようなところで、人が何かを植えている。
  こちらはそれを眺めつつも、先を急ぐ。
  チューリップもそろそろ、ここの花壇は満開。
  明日も晴れ、で、チューリップは見事に咲いていて、
  新しいものも出ていた。
  お祭りという気分になって、結構苦しい姿勢で、この花の様子を
  撮る。

  くたびれる作業でもあると思える。




  これを見ると、春も満開。きのうまでの寒さも嘘のようで、
  でも寒さは、まだ引きずるものがあるのだろう。




  もも色の、ギザギザのある花はこの前はなかった。出て来た
  花は予想しないもの。




  これはそれゆえ、上からも眺める。




  このチューリップはちょっと残っているが、クリーム色が主だった。
  今日いってみると、白いという感じが強い。




  逆光で、白チューリップ。




  白チューリップ、透明にならないか。




  なんだか地面は傾いている。
  今回もたくさん撮ったけれど、それよりも時計を見てびっくり。
  慌てて帰って来た、小チューリップ祭り。