きのう夕方、まだ日が出ているので、夕方にしているが、宵の時間でもいいようなで。
時計も見ていたが、こんな時間でも夕日が見える驚きはあったが、この様子は撮った。
すっきりと晴れていると、これはまぶしすぎるので、なかなかその気にならないものだが、
わずかに雲もあって、なおかつ、私はこの光景をずっと見ているので、すぐにわかったが、明らかに
夏至の太陽が沈む位置より、いまはその位置が真西に向かって移動している、ということも
確認出来た。少しうれしかった。これくらいわからないといけない。
お米はいまは食べないけど、食事は三度で、これも飽きない。同じように、何度見ていても、飽きないものは
あるが、もちろん見たくはないものも多い。忘却、あるいは痴呆、もの忘れ、いろいろあるが、やはりいい
ものはいい。真っ青な青空は、それが続くと、今日は止めておこうとなるが、ここまで書いて来て、
多少は考えは変わることもあったと思う。明るすぎる、太陽ぎらぎらの日没は、いまは恐らく目をより悪く
するということもあるが、撮らないかも知れない。撮らないときはあった、程度問題はある。最近は、夜晴れ
ないからいいが、晴れても気力がないことも多い。
日没の位置が変わる。四季がある。1年がわかる。秋分は、9月のいつだろうか。日の出の位置ももちろん変わって
いるがこれがわかりにくい。
今朝もきれいな空はたくさんあって、何度かカメラは持った。これもまだ出来る。出来なくなるのは、なるべく
水平にとか、あるいは身体をぐいっとひねって撮ること。
きのう29日の日没、いつもの位置と1mほどずれている。いつもの窓には、まだ遮光板を置いてある。
わずかに相対的な位置は異なるが、日没の位置の変化がわからない、というようなものではない。
その一。
その二。この画像で、太陽は左側、その後ろに比較的近い位置だが、家はあってその屋根でいうと、ほとんど
一番左に太陽。その右側に、こんもりとまあるいものの影が見えるが、これは大きな木。この境が少しくぼん
でいる。夏至の日だと、このくぼんだところよりも右側に日は沈む。竹があってわかりにくいが、画像と
肉眼で見るものは違う。これを目でも見て、安堵したのは、よっぽどはっきりとわかった、ということ
から。
その三。
その四。この竹、もだんだんと傷んでゆく。雨、風、台風、酷暑に残暑。秋が来て冬が来れば、どう
なっているか。観察。
7月30日、ただ、明日は7月31日で、間違えそうになるが、まだ7月。
今朝の、日の出のころのファイルの中で、もっともよかったもの。
その五。
その六。ホワイトバランスを、太陽光に変えた。その五は曇りである。
その七。このときは、あまりに日の光が強すぎるので、目によくないのは明白なので、短い時間で済ませて
いる。雲はあるが、まぶしい。
その八。
その九。朝はこういった雲があると、なかなかにぎやかで、好みの画像が出来る。
朝から日が出ているので、雲はあるがすぐに30℃になった。
しばらくセミは鳴いていなかったが、いまはまたある程度アブラゼミが鳴いている。
風がないので、かなり辛い時間だったが、10時半ころから、ようやく風が出始めて、汗も出ているので
適度な涼しさは感じられるが、もちろんべたつくものはある。
今日は土曜日だが、朝から、いやきのうくらいから、一昨日かも知れないが、冷蔵庫の中がスカスカになって
ゆくのがよくわかる。夏、真夏はものは腐る。冷蔵庫の中でも腐るだろう。
マイナス20℃になっているはずの、冷凍庫はあるが、ここにいれるものは、生鮮食料品、畜肉と魚だけ。
大き目の冷凍庫もあるが、いつのものかわからない、パンなども入っている。捨てないといけないが、
そのときになると忘れる。しかし、いまはもう捨てるものはない。最近買っているものは、みな食べているが
どうも、タマネギだけはなかなかうまく調理出来ない。
涙目になることもあるが、結局はめんどくさがりなのだろう。ちょっとした作業で終わってしまう。何度かやったが
続けてやれない。
これは冷蔵なので、いつ買ったかわからないものの一つから、芽が出ている。ものぐさ、どうしようもない。
タマネギの効用、どうゆうものがあるのだろう。タマネギを使った、タマネギが必須な料理はたくさん
あるが。
時計も見ていたが、こんな時間でも夕日が見える驚きはあったが、この様子は撮った。
すっきりと晴れていると、これはまぶしすぎるので、なかなかその気にならないものだが、
わずかに雲もあって、なおかつ、私はこの光景をずっと見ているので、すぐにわかったが、明らかに
夏至の太陽が沈む位置より、いまはその位置が真西に向かって移動している、ということも
確認出来た。少しうれしかった。これくらいわからないといけない。
お米はいまは食べないけど、食事は三度で、これも飽きない。同じように、何度見ていても、飽きないものは
あるが、もちろん見たくはないものも多い。忘却、あるいは痴呆、もの忘れ、いろいろあるが、やはりいい
ものはいい。真っ青な青空は、それが続くと、今日は止めておこうとなるが、ここまで書いて来て、
多少は考えは変わることもあったと思う。明るすぎる、太陽ぎらぎらの日没は、いまは恐らく目をより悪く
するということもあるが、撮らないかも知れない。撮らないときはあった、程度問題はある。最近は、夜晴れ
ないからいいが、晴れても気力がないことも多い。
日没の位置が変わる。四季がある。1年がわかる。秋分は、9月のいつだろうか。日の出の位置ももちろん変わって
いるがこれがわかりにくい。
今朝もきれいな空はたくさんあって、何度かカメラは持った。これもまだ出来る。出来なくなるのは、なるべく
水平にとか、あるいは身体をぐいっとひねって撮ること。
きのう29日の日没、いつもの位置と1mほどずれている。いつもの窓には、まだ遮光板を置いてある。
わずかに相対的な位置は異なるが、日没の位置の変化がわからない、というようなものではない。
その一。
その二。この画像で、太陽は左側、その後ろに比較的近い位置だが、家はあってその屋根でいうと、ほとんど
一番左に太陽。その右側に、こんもりとまあるいものの影が見えるが、これは大きな木。この境が少しくぼん
でいる。夏至の日だと、このくぼんだところよりも右側に日は沈む。竹があってわかりにくいが、画像と
肉眼で見るものは違う。これを目でも見て、安堵したのは、よっぽどはっきりとわかった、ということ
から。
その三。
その四。この竹、もだんだんと傷んでゆく。雨、風、台風、酷暑に残暑。秋が来て冬が来れば、どう
なっているか。観察。
7月30日、ただ、明日は7月31日で、間違えそうになるが、まだ7月。
今朝の、日の出のころのファイルの中で、もっともよかったもの。
その五。
その六。ホワイトバランスを、太陽光に変えた。その五は曇りである。
その七。このときは、あまりに日の光が強すぎるので、目によくないのは明白なので、短い時間で済ませて
いる。雲はあるが、まぶしい。
その八。
その九。朝はこういった雲があると、なかなかにぎやかで、好みの画像が出来る。
朝から日が出ているので、雲はあるがすぐに30℃になった。
しばらくセミは鳴いていなかったが、いまはまたある程度アブラゼミが鳴いている。
風がないので、かなり辛い時間だったが、10時半ころから、ようやく風が出始めて、汗も出ているので
適度な涼しさは感じられるが、もちろんべたつくものはある。
今日は土曜日だが、朝から、いやきのうくらいから、一昨日かも知れないが、冷蔵庫の中がスカスカになって
ゆくのがよくわかる。夏、真夏はものは腐る。冷蔵庫の中でも腐るだろう。
マイナス20℃になっているはずの、冷凍庫はあるが、ここにいれるものは、生鮮食料品、畜肉と魚だけ。
大き目の冷凍庫もあるが、いつのものかわからない、パンなども入っている。捨てないといけないが、
そのときになると忘れる。しかし、いまはもう捨てるものはない。最近買っているものは、みな食べているが
どうも、タマネギだけはなかなかうまく調理出来ない。
涙目になることもあるが、結局はめんどくさがりなのだろう。ちょっとした作業で終わってしまう。何度かやったが
続けてやれない。
これは冷蔵なので、いつ買ったかわからないものの一つから、芽が出ている。ものぐさ、どうしようもない。
タマネギの効用、どうゆうものがあるのだろう。タマネギを使った、タマネギが必須な料理はたくさん
あるが。