ほとんど、理屈とかはなく、11月になって秋の最近の画像を見ていると、撮るものも残るものも
赤い色が多くなる。もう何か理由とかはないようである。
天気がよくはない。このところ晴れていたので、よけいにこの雨続きの天気が長く思えるが、面白くないTVを
見ていても、あるいはこれは面白いと思う、そうゆうTVを見ていても、その時間がやたら長く感じられるのは
どうゆうことか考えているからだと思う。やたら説明的な語りがある、それを詳しくしゃべると、どんなものでも
ある程度時間がかかって、また文字に直すを長くなる。私がむかし、ノートに日々の記憶を書いていたように。
でも日記にどのくらいの時間を使っていたか、一日のことを書くのに、30分あれば十分だろう。それで、24時間の
うち、8時間以上は眠っていて、働いていたときは、夜の11時過ぎに帰って来ることもあったが、そのときは
翌日にでも書いたのか。でもあまり時間をかけていることは少ないと思う。
でも一日24時間で、眠っている時間は8時間として、残りの16時間をどのように文字で表わすか、考えてみると
ほとんど省略していて、フィルターに残っているものが、ゴミみたいなものだな、文字に残る。そう考えると
本来はもう少し時間をかけてもいいような気もするが、朝何食べた、ということも書いていても、そうは長い
ものにはならない。何か矛盾がある。
自分自身のことを書いているのだから、いろいろ省略は出来る。いちいち名前から書くこともないし。
NHKで、どのくらいの時間ニュースが放送されているか、これもはっきりとしたものはつかみようがない。
いまは30分のニュースを見ることもなく、データのほうで文字を読む。これのほうが何を考えているかわかり
やすいが、単純に、ニュースではあるけど、それ以上の何ものでもなく、またNHKが、こうゆうことしか
伝えることがないのか、という疑問はある。「これだけかい」という意味でもある。他にあるだろう、そう
思うものも多い。TVのニュースは断片的でもないようで、TV番組で多い、一種のルールの中にある。
あることを伝える。それを並列的に、あるいはつなげて、すると時間はたつ。考える、それで終わってしまう。
なんだったのだろう、そうゆうポカンとした気分になる。
この極東の国に、列島の国にいったいに何人の人がいるか、これもいちいち数えると作業として成り立たない
気がする。番号始め、という号令をかけて、1から始まって、いったいに何時になったら、その数字が1億、という
単位までゆくだろうか。1時間は、3600秒だが、一人1秒は必要だろう。で、1時間で、3600人か、長い時間に
なりそうだな。1億人いる。本当だろうか。
となると、1億という文字は、昔から何度も多分使われているはずだが、ある意味で、ものすごく多いとか、大きい。
そうゆう例えにはなる。1億あればなんとかなるだろう。そんな感じだ。
昭和の歴史の中に、あるいは平成の歴史の中に、1億という言葉、あるいは文字が入る、そうゆう言葉や、掛け声、
スローガン、レッテル、批評は、はっきりといって書きたくはないが、だいたい否定的な意味で、後ろに来る言葉だと
「白」という漢字が入るのは忘れられない。
宝くじ、これの一等の当選金額はいくらだろうか。3億円か、1億円か。あるいは10億円か。
これはやけに具体的な感じがするが、私も1億円くらい持っていれば、もう少し余裕ある時間を過ごせると思うが
また考えも変わると思うが、それは夢また夢の話で、細かいことではあるが、1円単位のことを気にすることが
多い。それでも、別の世界だと、1円以下の値、いくらでも考えられて、1000個で一円なんてこともあるのだろろ
うか。1ドルが何円か。
ときどき、しかたなしに忘れている言葉を「ねっと検索」するが、このときとんでもないボタンを押してしまう
ことがある。これも困ったものだ。
0.01円、これが一銭か。銭という単位がすぐに出なくなった。
列島の国に、総理大臣以下、多くの国務大臣がいて、また霞ヶ関に、これまた多くのお役人がいるが、一日に
概算でもいいが、どのくらいのお金が支払われているのだろうか。これはわかりにくいかも知れない。
どのくらいの金額が、職務をまっとうするのに使われているかということ。国会が開かれると、一日で
どのくらいの税金が必要になるか。きっと、想像できない金額になる。一日億単位かな、もっとだろう。
TVを見ていると、やたら30分なり1時間が長く感じられるが、その理由は何か、考えていて、逐次説明的になるからで
朗読劇のようでもあるが、そりゃ時間もかかれば、退屈なら長い。学校の授業のように。
しかし面白いものだなと思っても、その時間の長さは同じだな。
1億と聞くと、1億円欲しい、と思う。これ以外にはない。平和裏に、1億円、夢は夢だよ。
新聞見ていたからこんなことも書いているのか。
秋の赤い色。これもみな飽きられるものばかりだが。そんな中から選んでいるが。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。同じものが出ていて、予定していたものに直しました。
その十。
ここのいえの柿の実、何度か見ているが、やはりもうない。鳥の食べた後の蔕だけが残る。
きのうまで付いていた、たとえばカエデの葉、ヤマハゼと思われる葉、これもきのうから今日の雨で
ハラハラとかなり散っている。
赤い色が多くなる。もう何か理由とかはないようである。
天気がよくはない。このところ晴れていたので、よけいにこの雨続きの天気が長く思えるが、面白くないTVを
見ていても、あるいはこれは面白いと思う、そうゆうTVを見ていても、その時間がやたら長く感じられるのは
どうゆうことか考えているからだと思う。やたら説明的な語りがある、それを詳しくしゃべると、どんなものでも
ある程度時間がかかって、また文字に直すを長くなる。私がむかし、ノートに日々の記憶を書いていたように。
でも日記にどのくらいの時間を使っていたか、一日のことを書くのに、30分あれば十分だろう。それで、24時間の
うち、8時間以上は眠っていて、働いていたときは、夜の11時過ぎに帰って来ることもあったが、そのときは
翌日にでも書いたのか。でもあまり時間をかけていることは少ないと思う。
でも一日24時間で、眠っている時間は8時間として、残りの16時間をどのように文字で表わすか、考えてみると
ほとんど省略していて、フィルターに残っているものが、ゴミみたいなものだな、文字に残る。そう考えると
本来はもう少し時間をかけてもいいような気もするが、朝何食べた、ということも書いていても、そうは長い
ものにはならない。何か矛盾がある。
自分自身のことを書いているのだから、いろいろ省略は出来る。いちいち名前から書くこともないし。
NHKで、どのくらいの時間ニュースが放送されているか、これもはっきりとしたものはつかみようがない。
いまは30分のニュースを見ることもなく、データのほうで文字を読む。これのほうが何を考えているかわかり
やすいが、単純に、ニュースではあるけど、それ以上の何ものでもなく、またNHKが、こうゆうことしか
伝えることがないのか、という疑問はある。「これだけかい」という意味でもある。他にあるだろう、そう
思うものも多い。TVのニュースは断片的でもないようで、TV番組で多い、一種のルールの中にある。
あることを伝える。それを並列的に、あるいはつなげて、すると時間はたつ。考える、それで終わってしまう。
なんだったのだろう、そうゆうポカンとした気分になる。
この極東の国に、列島の国にいったいに何人の人がいるか、これもいちいち数えると作業として成り立たない
気がする。番号始め、という号令をかけて、1から始まって、いったいに何時になったら、その数字が1億、という
単位までゆくだろうか。1時間は、3600秒だが、一人1秒は必要だろう。で、1時間で、3600人か、長い時間に
なりそうだな。1億人いる。本当だろうか。
となると、1億という文字は、昔から何度も多分使われているはずだが、ある意味で、ものすごく多いとか、大きい。
そうゆう例えにはなる。1億あればなんとかなるだろう。そんな感じだ。
昭和の歴史の中に、あるいは平成の歴史の中に、1億という言葉、あるいは文字が入る、そうゆう言葉や、掛け声、
スローガン、レッテル、批評は、はっきりといって書きたくはないが、だいたい否定的な意味で、後ろに来る言葉だと
「白」という漢字が入るのは忘れられない。
宝くじ、これの一等の当選金額はいくらだろうか。3億円か、1億円か。あるいは10億円か。
これはやけに具体的な感じがするが、私も1億円くらい持っていれば、もう少し余裕ある時間を過ごせると思うが
また考えも変わると思うが、それは夢また夢の話で、細かいことではあるが、1円単位のことを気にすることが
多い。それでも、別の世界だと、1円以下の値、いくらでも考えられて、1000個で一円なんてこともあるのだろろ
うか。1ドルが何円か。
ときどき、しかたなしに忘れている言葉を「ねっと検索」するが、このときとんでもないボタンを押してしまう
ことがある。これも困ったものだ。
0.01円、これが一銭か。銭という単位がすぐに出なくなった。
列島の国に、総理大臣以下、多くの国務大臣がいて、また霞ヶ関に、これまた多くのお役人がいるが、一日に
概算でもいいが、どのくらいのお金が支払われているのだろうか。これはわかりにくいかも知れない。
どのくらいの金額が、職務をまっとうするのに使われているかということ。国会が開かれると、一日で
どのくらいの税金が必要になるか。きっと、想像できない金額になる。一日億単位かな、もっとだろう。
TVを見ていると、やたら30分なり1時間が長く感じられるが、その理由は何か、考えていて、逐次説明的になるからで
朗読劇のようでもあるが、そりゃ時間もかかれば、退屈なら長い。学校の授業のように。
しかし面白いものだなと思っても、その時間の長さは同じだな。
1億と聞くと、1億円欲しい、と思う。これ以外にはない。平和裏に、1億円、夢は夢だよ。
新聞見ていたからこんなことも書いているのか。
秋の赤い色。これもみな飽きられるものばかりだが。そんな中から選んでいるが。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。同じものが出ていて、予定していたものに直しました。
その十。
ここのいえの柿の実、何度か見ているが、やはりもうない。鳥の食べた後の蔕だけが残る。
きのうまで付いていた、たとえばカエデの葉、ヤマハゼと思われる葉、これもきのうから今日の雨で
ハラハラとかなり散っている。