光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

少し涼しくなってきた。それでも秋で、しつこく秋の赤い色を並べる。

2015-11-10 14:15:59 | 植物・花(秋)
  ほとんど、理屈とかはなく、11月になって秋の最近の画像を見ていると、撮るものも残るものも

  赤い色が多くなる。もう何か理由とかはないようである。


  天気がよくはない。このところ晴れていたので、よけいにこの雨続きの天気が長く思えるが、面白くないTVを

  見ていても、あるいはこれは面白いと思う、そうゆうTVを見ていても、その時間がやたら長く感じられるのは

  どうゆうことか考えているからだと思う。やたら説明的な語りがある、それを詳しくしゃべると、どんなものでも

  ある程度時間がかかって、また文字に直すを長くなる。私がむかし、ノートに日々の記憶を書いていたように。


  でも日記にどのくらいの時間を使っていたか、一日のことを書くのに、30分あれば十分だろう。それで、24時間の

  うち、8時間以上は眠っていて、働いていたときは、夜の11時過ぎに帰って来ることもあったが、そのときは

  翌日にでも書いたのか。でもあまり時間をかけていることは少ないと思う。


  でも一日24時間で、眠っている時間は8時間として、残りの16時間をどのように文字で表わすか、考えてみると

  ほとんど省略していて、フィルターに残っているものが、ゴミみたいなものだな、文字に残る。そう考えると

  本来はもう少し時間をかけてもいいような気もするが、朝何食べた、ということも書いていても、そうは長い

  ものにはならない。何か矛盾がある。

  自分自身のことを書いているのだから、いろいろ省略は出来る。いちいち名前から書くこともないし。


  NHKで、どのくらいの時間ニュースが放送されているか、これもはっきりとしたものはつかみようがない。

  いまは30分のニュースを見ることもなく、データのほうで文字を読む。これのほうが何を考えているかわかり

  やすいが、単純に、ニュースではあるけど、それ以上の何ものでもなく、またNHKが、こうゆうことしか

  伝えることがないのか、という疑問はある。「これだけかい」という意味でもある。他にあるだろう、そう

  思うものも多い。TVのニュースは断片的でもないようで、TV番組で多い、一種のルールの中にある。

  あることを伝える。それを並列的に、あるいはつなげて、すると時間はたつ。考える、それで終わってしまう。

  なんだったのだろう、そうゆうポカンとした気分になる。


  この極東の国に、列島の国にいったいに何人の人がいるか、これもいちいち数えると作業として成り立たない

  気がする。番号始め、という号令をかけて、1から始まって、いったいに何時になったら、その数字が1億、という

  単位までゆくだろうか。1時間は、3600秒だが、一人1秒は必要だろう。で、1時間で、3600人か、長い時間に

  なりそうだな。1億人いる。本当だろうか。

   
  となると、1億という文字は、昔から何度も多分使われているはずだが、ある意味で、ものすごく多いとか、大きい。

  そうゆう例えにはなる。1億あればなんとかなるだろう。そんな感じだ。

  昭和の歴史の中に、あるいは平成の歴史の中に、1億という言葉、あるいは文字が入る、そうゆう言葉や、掛け声、

  スローガン、レッテル、批評は、はっきりといって書きたくはないが、だいたい否定的な意味で、後ろに来る言葉だと

  「白」という漢字が入るのは忘れられない。
 

  宝くじ、これの一等の当選金額はいくらだろうか。3億円か、1億円か。あるいは10億円か。

  これはやけに具体的な感じがするが、私も1億円くらい持っていれば、もう少し余裕ある時間を過ごせると思うが

  また考えも変わると思うが、それは夢また夢の話で、細かいことではあるが、1円単位のことを気にすることが

  多い。それでも、別の世界だと、1円以下の値、いくらでも考えられて、1000個で一円なんてこともあるのだろろ

  うか。1ドルが何円か。


  ときどき、しかたなしに忘れている言葉を「ねっと検索」するが、このときとんでもないボタンを押してしまう

  ことがある。これも困ったものだ。

  0.01円、これが一銭か。銭という単位がすぐに出なくなった。


  列島の国に、総理大臣以下、多くの国務大臣がいて、また霞ヶ関に、これまた多くのお役人がいるが、一日に

  概算でもいいが、どのくらいのお金が支払われているのだろうか。これはわかりにくいかも知れない。

  どのくらいの金額が、職務をまっとうするのに使われているかということ。国会が開かれると、一日で

  どのくらいの税金が必要になるか。きっと、想像できない金額になる。一日億単位かな、もっとだろう。

 
  TVを見ていると、やたら30分なり1時間が長く感じられるが、その理由は何か、考えていて、逐次説明的になるからで

  朗読劇のようでもあるが、そりゃ時間もかかれば、退屈なら長い。学校の授業のように。

  しかし面白いものだなと思っても、その時間の長さは同じだな。


  1億と聞くと、1億円欲しい、と思う。これ以外にはない。平和裏に、1億円、夢は夢だよ。

  新聞見ていたからこんなことも書いているのか。



  秋の赤い色。これもみな飽きられるものばかりだが。そんな中から選んでいるが。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。同じものが出ていて、予定していたものに直しました。




  その十。


 
  ここのいえの柿の実、何度か見ているが、やはりもうない。鳥の食べた後の蔕だけが残る。

  きのうまで付いていた、たとえばカエデの葉、ヤマハゼと思われる葉、これもきのうから今日の雨で

  ハラハラとかなり散っている。



北風で雨。明るくなって、ようやく鳥の鳴き声少し。

2015-11-10 07:13:12 | 散策
  気温としては低い感じはしない。


  きのうもほとんど小雨程度だったが、夜になって雨の程度はさらにわからなくなった。

  ただ、気象台のアメダスのきのうの観測値を見ていると、午後8時ころから風の方向が変わって

  一転北風に。暖冬になりそう、というのとこれは特に矛盾しないけど。建物の中にいては、風の向きの変化も

  わからないけれど。

 
  TVの音を聞いていて、その後は珍しく、2011年か2010年かの、天文ガイドを見ていて、ちょうど12月号なので

  中身はいまの季節にあっている。これを見ていると、しかしどうゆうわけか気持ちも暗くなって来たのは

  その時代に生きている人が、いまは鬼籍に入っている、ということもあるからかな。


  最近まったく天文関係の雑誌を見る機会がない。でもこれのいいところは、1月号から12月号まで

  年度の変化があっても、季節季節の星の紹介にあまり変化のないことで、他には、いくら2010年でも

  あるいは2005年でも、ものすごくむかしの感じはなく、まだそのころのほうが内容が充実しているのでは

  ないか。と、思えることもある。


  その後、夜はかなり雨が降っていたのは夢を見ていてもわかって、あまりいい感じはしなかった。

  
  朝は多少の雨でも、鳥が鳴く。今朝は先ほどヒヨドリの鳴き声。柿の木に実がなくなった。

  これからは、モチノキに赤い実がなる。今年はなりそうで、青い実も見えている。これが赤くなると

  ヒヨドリはこれを食べる。ムクドリはどうかな。ヒヨドリが一番多いと思う。


  天気は、いまの空の明るさを見ていると、かなり雨も降ったので、もう空に水分はなく、止んでくれそうな

  という希望は持つ。

  この天気で、しかし自転車通学は厳しいだろうな。やったことないけど。

  でも夕方の小雨の中でも、余裕でチャリを転がしているのを見ると、男女関係なくだが、あー若いのねとなる。



  まだ引きずっている、11月4日の日の、夕暮れの山。4日か5日前に、トリミングして出しているが

  もともとの画像、撮ったままの画像。これも出すことにした。こだわっていたが、こだわりをこれでは

  捨てた。

  センスないな、自分でもよくわかる。










  これ、ぞっとする。







  この2枚も、なんかやけになっている。


  雨3日目。