光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日曜日から雨で、月、火、水の午後、よくやく晴れ間が見えそうな気がする

2015-11-11 14:17:06 | 散策
  長かった。朝の天気、なかなか好転せず、相変わらず、ときどき小雨。ただ気温的には、ひどく冷たくは

  ない。でもきのうの夜は晴れると思ったので、この予想が外れて、かなり気落ちした。


  気分屋である。これも本当かどうかはっきりとしないが、夜に晴れると元気は出ないが、元気にならないといけ

  ない、と思う。

  雨の日が続くと特にそう思う。それでも朝からでも昼からでも晴れていると、夜の晴れ間は少ししんどい。

  晴れ続きで、いい加減雨が降って欲しい。これもよく思う。三寒四温ととか、なんのことかわからないような

  気もしないでもあるが。なんとかに晴れの3日はなし。これは南アメリカの先端、南極に近いところの

  話ではもちろんないが、極地に近いと、晴れるという発想はないようだ。特に冬は。

  南極はいまは夏に向かっているはずだが、地球全体としては、進む方向は冬で、実際は温暖化か。

  でも地球にとってはこれは冬だ、絶望しかないと言う意味での冬。ここに何か希望を見出すのはむつかしい。

  それに反することを平気のヘイで、やる人間がいる。


  話となると、この年齢もあるが、だいたい年上の人のことが話題にはなって、その反対は少ない、そう思う。

  私がもともと、生まれも育ちもここではない。ここは富山、で生まれは川崎の鄙びたところで、それも昭和29年で

  ある。生まれるかどうか、わからない運命にあった、そのようなことを聞いたこともある。


  それで、これまた話となると、歳の下の人とはなく、同い年か、学年が同じ、あるいはそれよりも上、そうゆう

  場合が多いようだ。実際の年齢は知らなくても、話として聞いていると、3つも4つも違えば、話としては合わない。

  その逆があると書くと、これ矛盾していることになるが、でも話すのは私で、相手は年上だとやりやすい。遠慮がちで

  あるが、仲良くなればある程度、いいたいこともいえる。相手の度量。


  父の妹のうち、いまは一人だけがまだ元気でいるはずで、でも最近は電話もない。でも何かあると、伝わるはず

  である。もう一人の妹、私にとってもう一人の年齢は若い叔母は、後から知ったが、母よりは先に亡くなっていて

  連絡はなかった。これには理由がある。でもここに書くことではない。

  この多分いまもい仙台で一人で生きているはずの叔母は突然、私の前に現われたが、これも少し書いたことがあるが、

  私が生まれたときは、同じ住居にいたとかで、これは父を頼って、東京にまで出てきていた、ということだが、

  はっきりと叔母は言わない。

  
  この叔母のことを私が知ったのは、恐らく父方の祖父が亡くなるというころくらいだと思うが、その後何度か

  まー程ほどでもあるが、半分は喧嘩みたいな話方にまでよくなった。これも叔母は叔母で、この子供のくせにと

  思いつつも、兄の子供だから、半分はしょうがないかとか思いながら、あるいは甥っ子だからという考えは

  もちろんあった。でもこの昭和の5年か8年生まれの叔母が受けた教育は、あまりに私と違って、またこの辺りは

  たしか浄土真宗のお西、東かも知れないが、その信仰あついこともあって、話が合うわけがなかった。

  でもこの宗教観というものも、生きてゆく上には必要で、これがないとその後の北海道の厳しい生活に

  耐えることは出来なかっただろう。北陸生まれだから、寒さに問題はない。それはまた違うと思う。


  北海道の寒さは知らない。旦那さんが、北海道で教師になったから、そこに行かざるを得なかったが、もともと

  ご主人も富山のここの近くの人だ。

  私の父がもう助かる見込みはないというときには、わざわざ息子さんと一緒に見舞いにも来てくれた。だが母の

  ことも意識してか、ここのいえに来ず、駅前のホテルにいたようである。こうゆうところも、何か叔母の性格を

  表わしている。父がまだ元気だったころ、息子さん、私にとっては従弟にあたるわけだが、彼が富山に出張で

  来たときがあって、ここのいえにもちろん泊まった。この従弟のUさんは、私は名前をまた忘れてしまったが

  ひどく親思いの人で、また性格が丸く、私とも普通に話はした。ただ、何かについて、話が合うということは

  なかったようで、これの一つに、年齢差はあったと思う。実際の年齢も知らないが、いくらか下であるのは

  間違いない。


  この父方の叔母、もう何年も会っていない。でも1年に一回くらい、電話はあった。元気でいるはずで、

  もともと一番私が驚いたのは、あの東日本大震災で、いえがガタガタになっていても、ひどい目にあったとは

  思ってはいるだろうが、電話で元気だよ、と声を聞いたとき。本当に気丈な人だな、このただ一言だけ

  印象にいまも残っている。


  遅めに書き出していて、話題もないので、内輪の話を書いているが、今朝出かけて来てこれも、私としては話の出来る

  数少ない方の一人だが、話の途中で私の知らない、この辺りはここの人間ということになると思うが、ある方の

  息子さん、亡くなられた、それも去年。そうゆうことを聞いて、これまた驚いたのだが、なぜかというと

  そんなに離れていない。簡潔にいうと、お隣さんの話であって、私ももちろん、生活しているところは

  別ということは知っていた。そうゆうこともあるのかー。でもどうしようもないけれど。


  どう考えても、人に寿命はあって残りあと何年というのが予想できる年齢になっている。とりわけ気になる

  ときもあればそうでないときもある。ある意味で、この列島の国の「おまつりごと」に関心を持ってそれに

  対して

  何やってるんだい、なんて

  いえる時間があるのは、ことの本質は抜きにして、影響ないので、それはそれでいいのかも知れない。

  今日は書いていないけど。


  朝からの空の変化。




  その一。このときも細かい雨があったかどうか。




  その二。




  その三。




  その四。雨が降っていながら、お日様は見えている。




  その五。放射状に。





  その六。




  その七。




  その八。黄色くても金色でも、大丈夫か、と思いたくなる色だ。



  
  その九。




  その十。


  風はなくなっている。寒さというのは感じない。完全に晴れているようではないが、もう雨だけはしばらくは

  降らないだろう。

  長い長い雨の時間は量が少なくても、憂鬱感がひどすぎる。



のんびりとした朝で、雨降ってもいるが、お日様も出ている

2015-11-11 07:04:31 | 散策
  朝は、5時40分の目覚ましが鳴った。夢を見ていて、これもずいぶんと長い時間の夢のようだが

  TVに出るタレントさんが出ていて、話の内容は奇想天外性はあまりなく、現実を少し変えたもの。

  このタレントさんが出てくるというのが、ある年齢に達して初めてのようで、限られる。


  きのうの午後もかなり強い北風が吹いていて、しかし雨は降りそうにはかった。

  この北風がなかなかやまず、しかし雨はないので明日は晴れるのではないか、と思った。

  この風が止んだとまではいかないが、弱くなったのが宵の時間で、いくらか晴れ間と星も見えた。

  風に冷たさはなくなっているかのようだが、これは感じ方だな。


  で結果としては、夜は白い雲が、多分あるときはほぼ空の全部を覆って、あるときはいくらか星が見える程度。

  朝は、雨である。ただ東の空に、晴天域があって、だがその上がまだ分厚い雲がある。

  この景色はたまに現われる。

  午前3時半過ぎ、金星だけは見えた。


  晴れそうな天気予報が出ていたので、この雨も止むだろう。第一、秋の雨でもないし、冬の雨でもない。


  このあと空は華々しい変化を見せたが、なかなかこれを文字に書き表わすことは大変で、頭はのんびりで

  天気ものんびりのようだが、いったいにこの天気、いつはっきりとするだろうか。




  散るもの。







  茶色い葉。




  実がなくなった柿。


  まだゆっくりと落ちる音もしない雨が日に輝いてキラキラ。

  この雲なかなか消えそうにないか。

  厄介な雲。