光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

風が出てきて涼しさが感じられるが、どうなるかな。日の出のあと、日没前の太陽像。

2015-08-02 13:55:19 | 散策
  忘れないうちに、いまいろいろたしかめるときに、見ている『大辞林』は、第三版だった。

  二分冊、のものも以前買った。すると、それは第二版か。大辞林は知らなく、広辞苑は知っていたが、

  父が多分、20世紀のときに、大辞林を購入して、それを見て少し感動したのが私だけど。



  ときどきあるが、文章が一番画面の下にあると、ときどき画像を見たり他を見たりで、すでに書いていたこと

  を忘れて、続きの文を書いたりもする。すると、一番最後、画像のあと、ちょっとした付けたしのあとに残る。

  一応文章になっている。三行か四行だが。

  もう終わりというときに、最後に出てくる。よく見ないで、勢いで空き、白地を減らす作業をやっているので

  ずるずると最初のほうを消す。これはもうしょうがないので、全部削除するしかない。

  余裕があればもう一度入れられるのだが。


  きのうもそれがあった。なかってもよかったが、「暑い熱い」とアナウンサはいいつつ、放送局の中、スタジオの中は

  涼しいだろう。いやもっと涼しい場所がある。放送にいろいろな機械がいる。機械のための部屋がある。機器室。

  そこは恒温で、年中20℃くらいかな。スタジオは、特に慣れている方意外だと、ものすごい緊張感で、熱気がすごいか

  というと、やはりそれはない。たぶん涼しいという環境で、マイクの前にいる。若干暑いという実感は伝わらない。

  で、帰り、放送局を出て駐車場まで、これが地獄の暑さ、熱さ。ここまでは書いていなかったが。でもそうでないと

  この仕事はやれない。会社の中で、人はどんな気温にも耐えられるが、機械はだめだ。


  もちろん、これはオーバーな書き方をしていて、人の耐えられる高い温度は、どのくらいかな。

  こうゆう経験はいまは多いだろうと思う。

  それでは、涼しいいあるいは寒い、凍える、そうゆうところはどこにある。むかし、学校だと、涼しいところは、

  低温室で、大体プラスの4℃。この4℃に意味はあるのだろう。そうは長くはいたくないところ。密室である。

  中からちゃんと鍵開けて出られるが、停電になると、真っ暗、あー怖い。密室。閉じ込められたら、ということは

  当時は考えなかった。2時間が限度かな。がんばって4時間か。真夏は体に悪い。70年代の学校で、いまとは比べ物に

  ならないと思うが、いろいろな値の高そうな機器はあって、恒温室に置かれていた。電気代だけで、予算のどれだけ

  飛んでゆく、そうゆうことが問題になっている時代でも。

  
  普通の実験室でも、冷蔵庫は普通で、遠心分離機は冷却装置付いていた。タンパクを保存するのに、冷凍庫で

  これは、マイナスの20℃だろう。むかしの話である。他に、暖房冷房はどうかな。忘れた、ということはなかった。


  会社だと、大きな冷凍庫で、マイナス20℃は当たり前で、むかしからマイナス80℃まではすでに話に聞いていたが

  たぶん入っていない。マイナス20℃の冷凍庫はある。中の温度より、閉じ込められるほうが怖かったが。

  あのマイナス20℃の中で、平気で作業する、そうゆう気にはなれない。安全だとわかっていても、今度は凍死

  しないか。

  マイナス80℃、考えられないな。でも、そこまでいかなくても、冬になれば、雪山の気温はどのくらいまで

  下がるのだろうか。北海道だと、平地でも、マイナス30℃とかの値になり、これも記録の残るものだけがわかるので

  もっと低い温度になっていてもおかしくはない。極地はどうか。


  最近しかし、省エネで、いろいろなお店、事務所、そんなに冷房を強くしていないようで、この前、酒屋さんに行ったが

  程ほどによかった。ものすごく涼しくはなく、いまである。去年よりやんわり。

  銀行でも28℃設定かな。


  通勤列車、これで寒いはないと思う。私はそんな長くは乗っていないが、平均乗車率200%を超えるのだから、いくら冷房

  強くても、車内は普通か少しまだムシムシ。地下鉄は構造上、そんなに冷やせないはずだが。

  むかし話だけど。夏の土曜日で、昼帰るとすいている。でもあまり土曜は行かなかったか。この時代、しかし

  喫茶店とかは結構涼しかったはずだ。そう思う。富山でも、消費税が導入されるまでは、郵便局などは冷え

  切っていた。銀行も。

  都会にいたころに戻ると、一番この冷房は異常だと思ったのは、休みの日の、西武線で、それは池袋から出て、そこに戻る

  路線だったが、あまりお客さんもいないが、ガンガンに冷房、寒い、で窓を開けて風入れたら、より若いという人に

  睨まれた。

  低い山登って帰ってくる、そうゆうとき。いまは西武鉄道、どうなっているのかな。なくなることはないだろうが。

  むかしは、そんなに夏が暑くなかったということはないだろうと思う。でも冷房は強いところが多かった。


  富山からでも上野からでも、帰省のときは、約6時間満員の特急列車の中で立ちっ放し。トイレいったかな。ないか。

  何も食べられないし飲めない、水だけど。

  それでも、列車が到着して、ドアから駅のホームに下りたときの、あの異様な暑さは忘れなれないな。。そうか、富山が

  降りる駅の場合は、満員はなかったかな。長野、上越辺りで、降りる人も多かったし。



  時間たって、最近のお日様の様子。一応丸く写るもの。


  日の出の後だと、これがちょっとどころかかなり見にくいが、



  その一。7月31日。




  その二。8月1日。




  その三。8月2日、今日。窓ガラスのゴミがひどい。



  日の入り前の様子。



  その四。これは7月26日。なかなかいいお天気。




  その五。目を閉じて、撮っているかな。




  その六。7月31日。これはしくじった。時計合わせに時間かかって。わずかに屋根の左側に
  少し明るいところ、これが太陽。


  それで、きのう8月1日、これは雲があって、まん丸に見えていて。



  その七。




  その八。




  その九。




  その十。




  その十一。露出変えて、いろいろな明るさで。トリミングしているものが多いが。


  風がある。

  東の空に入道雲。



きのうだが、夕方気温下がって何もなく、その後また気温上がるって、高等戦術

2015-08-02 07:10:41 | 散策
  うまく出来ている。


  日が出てくるのが午前5時過ぎで、正確な表現ではないけど、それから1時間半と少したったいま

  ちょうどPCのモニタの画面を太陽光が直射する。まばゆい。そうゆう時期でもあるが、暑い。

  温度計にも当たるので、もう30℃越えている。もっとも5時半で、28℃あった。


  じわじわとこの熱効果が人の機能を低下させるが、きのうの夕方である。日曜でなく土曜だが、

  まだ半分日曜の感覚が残るが、なぜか涼しい。北風が強くなった。あれだけ汗かいていたのに。

  実際に風が涼しい、何か変だなではなく、これはありがたいと思ったのはそれでいい。

  涼しいとはっきりと楽だというのはわかっているし、気持ちも入れ替わる。


  しかし透明度のある空に、少し翳りも出てきた。寒気がそこにというのにまだ気が付いていない。

  夕食は決まった時間にとることにしている。火はさすがに熱いので、扇風機で弱い風のときもあるが

  きのうはそれの必要もなかった。


  ニュースで、なんだかどこもかもいや局地的かな、大雨に、最高気温が40℃に届きそうな、というのは

  いったい何時だったか。


  で、食べると身体は重い。元気になりそうにない。食欲はあるが。不思議だ。

  この天気はしかしおかしい。それに気が付いた。きのうより昼間は空の様子はよかった。

  しかし風が出てきて、気温下がってはやっぱりこのあと、一発ドカンと雷雨が来る。

  そうゆう気配が空に見えて、わずかに期待で、これが土砂降りで、時間当たり50mmだとどうしよう。

  ラクダの顔を見ながら考えた。なかなかすごい生き物。


  まだか、まだか、まだか、空も見た。多治見のニュースも奥多摩の大雨のそれも終わった。

  キナ臭い色の空。しかし、空気が生暖かい。どうゆうこと、風が止んだ。暖房入れたような熱風が来る。

  だまされた、ようやく気が付いたが、それでも降っている所は降っているのだろう。


  午後8時である。その前から、ドカン。すごいのはドンで、これは衝撃波のようで、違うが、どこかで

  反射しているのか、減衰せず、ドンのあと、何度か弱いドンが、0.3秒間隔くらいで聞こえる。

  これは花火大会、神通川の、毎度。夜はしかしよく響く。ものすごいのもあって、しかしガラス窓の振動は

  なかった。


  月が出たのは、午後8時ごろかもう少しあとで、夜月明かりはさほどわからなかった。

  日曜か、そうゆう感じはないなー。

  
  8月1日、朝。







  色はいいけど、これがずっと続くのは。








  生きているのが不思議だなー。