忘れないうちに、いまいろいろたしかめるときに、見ている『大辞林』は、第三版だった。
二分冊、のものも以前買った。すると、それは第二版か。大辞林は知らなく、広辞苑は知っていたが、
父が多分、20世紀のときに、大辞林を購入して、それを見て少し感動したのが私だけど。
ときどきあるが、文章が一番画面の下にあると、ときどき画像を見たり他を見たりで、すでに書いていたこと
を忘れて、続きの文を書いたりもする。すると、一番最後、画像のあと、ちょっとした付けたしのあとに残る。
一応文章になっている。三行か四行だが。
もう終わりというときに、最後に出てくる。よく見ないで、勢いで空き、白地を減らす作業をやっているので
ずるずると最初のほうを消す。これはもうしょうがないので、全部削除するしかない。
余裕があればもう一度入れられるのだが。
きのうもそれがあった。なかってもよかったが、「暑い熱い」とアナウンサはいいつつ、放送局の中、スタジオの中は
涼しいだろう。いやもっと涼しい場所がある。放送にいろいろな機械がいる。機械のための部屋がある。機器室。
そこは恒温で、年中20℃くらいかな。スタジオは、特に慣れている方意外だと、ものすごい緊張感で、熱気がすごいか
というと、やはりそれはない。たぶん涼しいという環境で、マイクの前にいる。若干暑いという実感は伝わらない。
で、帰り、放送局を出て駐車場まで、これが地獄の暑さ、熱さ。ここまでは書いていなかったが。でもそうでないと
この仕事はやれない。会社の中で、人はどんな気温にも耐えられるが、機械はだめだ。
もちろん、これはオーバーな書き方をしていて、人の耐えられる高い温度は、どのくらいかな。
こうゆう経験はいまは多いだろうと思う。
それでは、涼しいいあるいは寒い、凍える、そうゆうところはどこにある。むかし、学校だと、涼しいところは、
低温室で、大体プラスの4℃。この4℃に意味はあるのだろう。そうは長くはいたくないところ。密室である。
中からちゃんと鍵開けて出られるが、停電になると、真っ暗、あー怖い。密室。閉じ込められたら、ということは
当時は考えなかった。2時間が限度かな。がんばって4時間か。真夏は体に悪い。70年代の学校で、いまとは比べ物に
ならないと思うが、いろいろな値の高そうな機器はあって、恒温室に置かれていた。電気代だけで、予算のどれだけ
飛んでゆく、そうゆうことが問題になっている時代でも。
普通の実験室でも、冷蔵庫は普通で、遠心分離機は冷却装置付いていた。タンパクを保存するのに、冷凍庫で
これは、マイナスの20℃だろう。むかしの話である。他に、暖房冷房はどうかな。忘れた、ということはなかった。
会社だと、大きな冷凍庫で、マイナス20℃は当たり前で、むかしからマイナス80℃まではすでに話に聞いていたが
たぶん入っていない。マイナス20℃の冷凍庫はある。中の温度より、閉じ込められるほうが怖かったが。
あのマイナス20℃の中で、平気で作業する、そうゆう気にはなれない。安全だとわかっていても、今度は凍死
しないか。
マイナス80℃、考えられないな。でも、そこまでいかなくても、冬になれば、雪山の気温はどのくらいまで
下がるのだろうか。北海道だと、平地でも、マイナス30℃とかの値になり、これも記録の残るものだけがわかるので
もっと低い温度になっていてもおかしくはない。極地はどうか。
最近しかし、省エネで、いろいろなお店、事務所、そんなに冷房を強くしていないようで、この前、酒屋さんに行ったが
程ほどによかった。ものすごく涼しくはなく、いまである。去年よりやんわり。
銀行でも28℃設定かな。
通勤列車、これで寒いはないと思う。私はそんな長くは乗っていないが、平均乗車率200%を超えるのだから、いくら冷房
強くても、車内は普通か少しまだムシムシ。地下鉄は構造上、そんなに冷やせないはずだが。
むかし話だけど。夏の土曜日で、昼帰るとすいている。でもあまり土曜は行かなかったか。この時代、しかし
喫茶店とかは結構涼しかったはずだ。そう思う。富山でも、消費税が導入されるまでは、郵便局などは冷え
切っていた。銀行も。
都会にいたころに戻ると、一番この冷房は異常だと思ったのは、休みの日の、西武線で、それは池袋から出て、そこに戻る
路線だったが、あまりお客さんもいないが、ガンガンに冷房、寒い、で窓を開けて風入れたら、より若いという人に
睨まれた。
低い山登って帰ってくる、そうゆうとき。いまは西武鉄道、どうなっているのかな。なくなることはないだろうが。
むかしは、そんなに夏が暑くなかったということはないだろうと思う。でも冷房は強いところが多かった。
富山からでも上野からでも、帰省のときは、約6時間満員の特急列車の中で立ちっ放し。トイレいったかな。ないか。
何も食べられないし飲めない、水だけど。
それでも、列車が到着して、ドアから駅のホームに下りたときの、あの異様な暑さは忘れなれないな。。そうか、富山が
降りる駅の場合は、満員はなかったかな。長野、上越辺りで、降りる人も多かったし。
時間たって、最近のお日様の様子。一応丸く写るもの。
日の出の後だと、これがちょっとどころかかなり見にくいが、
その一。7月31日。
その二。8月1日。
その三。8月2日、今日。窓ガラスのゴミがひどい。
日の入り前の様子。
その四。これは7月26日。なかなかいいお天気。
その五。目を閉じて、撮っているかな。
その六。7月31日。これはしくじった。時計合わせに時間かかって。わずかに屋根の左側に
少し明るいところ、これが太陽。
それで、きのう8月1日、これは雲があって、まん丸に見えていて。
その七。
その八。
その九。
その十。
その十一。露出変えて、いろいろな明るさで。トリミングしているものが多いが。
風がある。
東の空に入道雲。
二分冊、のものも以前買った。すると、それは第二版か。大辞林は知らなく、広辞苑は知っていたが、
父が多分、20世紀のときに、大辞林を購入して、それを見て少し感動したのが私だけど。
ときどきあるが、文章が一番画面の下にあると、ときどき画像を見たり他を見たりで、すでに書いていたこと
を忘れて、続きの文を書いたりもする。すると、一番最後、画像のあと、ちょっとした付けたしのあとに残る。
一応文章になっている。三行か四行だが。
もう終わりというときに、最後に出てくる。よく見ないで、勢いで空き、白地を減らす作業をやっているので
ずるずると最初のほうを消す。これはもうしょうがないので、全部削除するしかない。
余裕があればもう一度入れられるのだが。
きのうもそれがあった。なかってもよかったが、「暑い熱い」とアナウンサはいいつつ、放送局の中、スタジオの中は
涼しいだろう。いやもっと涼しい場所がある。放送にいろいろな機械がいる。機械のための部屋がある。機器室。
そこは恒温で、年中20℃くらいかな。スタジオは、特に慣れている方意外だと、ものすごい緊張感で、熱気がすごいか
というと、やはりそれはない。たぶん涼しいという環境で、マイクの前にいる。若干暑いという実感は伝わらない。
で、帰り、放送局を出て駐車場まで、これが地獄の暑さ、熱さ。ここまでは書いていなかったが。でもそうでないと
この仕事はやれない。会社の中で、人はどんな気温にも耐えられるが、機械はだめだ。
もちろん、これはオーバーな書き方をしていて、人の耐えられる高い温度は、どのくらいかな。
こうゆう経験はいまは多いだろうと思う。
それでは、涼しいいあるいは寒い、凍える、そうゆうところはどこにある。むかし、学校だと、涼しいところは、
低温室で、大体プラスの4℃。この4℃に意味はあるのだろう。そうは長くはいたくないところ。密室である。
中からちゃんと鍵開けて出られるが、停電になると、真っ暗、あー怖い。密室。閉じ込められたら、ということは
当時は考えなかった。2時間が限度かな。がんばって4時間か。真夏は体に悪い。70年代の学校で、いまとは比べ物に
ならないと思うが、いろいろな値の高そうな機器はあって、恒温室に置かれていた。電気代だけで、予算のどれだけ
飛んでゆく、そうゆうことが問題になっている時代でも。
普通の実験室でも、冷蔵庫は普通で、遠心分離機は冷却装置付いていた。タンパクを保存するのに、冷凍庫で
これは、マイナスの20℃だろう。むかしの話である。他に、暖房冷房はどうかな。忘れた、ということはなかった。
会社だと、大きな冷凍庫で、マイナス20℃は当たり前で、むかしからマイナス80℃まではすでに話に聞いていたが
たぶん入っていない。マイナス20℃の冷凍庫はある。中の温度より、閉じ込められるほうが怖かったが。
あのマイナス20℃の中で、平気で作業する、そうゆう気にはなれない。安全だとわかっていても、今度は凍死
しないか。
マイナス80℃、考えられないな。でも、そこまでいかなくても、冬になれば、雪山の気温はどのくらいまで
下がるのだろうか。北海道だと、平地でも、マイナス30℃とかの値になり、これも記録の残るものだけがわかるので
もっと低い温度になっていてもおかしくはない。極地はどうか。
最近しかし、省エネで、いろいろなお店、事務所、そんなに冷房を強くしていないようで、この前、酒屋さんに行ったが
程ほどによかった。ものすごく涼しくはなく、いまである。去年よりやんわり。
銀行でも28℃設定かな。
通勤列車、これで寒いはないと思う。私はそんな長くは乗っていないが、平均乗車率200%を超えるのだから、いくら冷房
強くても、車内は普通か少しまだムシムシ。地下鉄は構造上、そんなに冷やせないはずだが。
むかし話だけど。夏の土曜日で、昼帰るとすいている。でもあまり土曜は行かなかったか。この時代、しかし
喫茶店とかは結構涼しかったはずだ。そう思う。富山でも、消費税が導入されるまでは、郵便局などは冷え
切っていた。銀行も。
都会にいたころに戻ると、一番この冷房は異常だと思ったのは、休みの日の、西武線で、それは池袋から出て、そこに戻る
路線だったが、あまりお客さんもいないが、ガンガンに冷房、寒い、で窓を開けて風入れたら、より若いという人に
睨まれた。
低い山登って帰ってくる、そうゆうとき。いまは西武鉄道、どうなっているのかな。なくなることはないだろうが。
むかしは、そんなに夏が暑くなかったということはないだろうと思う。でも冷房は強いところが多かった。
富山からでも上野からでも、帰省のときは、約6時間満員の特急列車の中で立ちっ放し。トイレいったかな。ないか。
何も食べられないし飲めない、水だけど。
それでも、列車が到着して、ドアから駅のホームに下りたときの、あの異様な暑さは忘れなれないな。。そうか、富山が
降りる駅の場合は、満員はなかったかな。長野、上越辺りで、降りる人も多かったし。
時間たって、最近のお日様の様子。一応丸く写るもの。
日の出の後だと、これがちょっとどころかかなり見にくいが、
その一。7月31日。
その二。8月1日。
その三。8月2日、今日。窓ガラスのゴミがひどい。
日の入り前の様子。
その四。これは7月26日。なかなかいいお天気。
その五。目を閉じて、撮っているかな。
その六。7月31日。これはしくじった。時計合わせに時間かかって。わずかに屋根の左側に
少し明るいところ、これが太陽。
それで、きのう8月1日、これは雲があって、まん丸に見えていて。
その七。
その八。
その九。
その十。
その十一。露出変えて、いろいろな明るさで。トリミングしているものが多いが。
風がある。
東の空に入道雲。
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