本日は、道真の手紙の内容の二つ目です。ここで道真が語ったのは、橘広相自身の功績についてでした。
〈 2. 藤原氏のため書かれた内容 〉
・広相は、陽成・光孝・宇多三代の天皇の侍講 ( 君主に学問を講義した人 ) である。
・特に学問好きの宇多天皇にとっては、親王時代からの師である。
・しかも娘は宇多天皇の女御 ( にょうご )で、すでに二人の子供がある。
・功績においても縁戚においても、基経に勝っている。
・藤原氏は古来功績の多い氏族であるが、近頃は優れた人物が少ない。
・基経は太政大臣として先祖に相応しいが、広相のような功績・能力も高く、縁故の深い者を陥れては、将来に禍根を残すのではないか。
時の権力者に対し、よくもここまで遠慮なく言ったと思いますが、渡部氏は驚いていません。
「道真のこうした論議には、基経の心を動かすところがあったと考えて良いであろう。宇多天皇にとって、最大の屈辱であった〈 阿衡の紛議 〉に関し、学問的にも正当に、また道理のかなったことを述べた道真については、直接・間接にお耳に入ったに違いない。」
氏は道真の意見が、基経の心を動かしたという穏やかな表現をしていますが、事実はそんなものではないはずです。基経の横車だった〈 阿衡の紛議 〉が天皇に屈辱を与えた事績だったのと同様、道真の手紙の内容は、基経に致命的な屈辱を与えたのではなかったでしょうか。ぐうの音も出なくなった彼が、「言葉いじり」を止めたと考える方が自然でしょう。
紫宸 ( ししん ) の障子 賢聖を列す
衣冠済済拝跪 ( はいき ) せむと欲す
惜しむ可し精神無し
何れの時か可否を献ぜむ
龍を画 ( えが ) き龍を求めて真龍出づ
ここで氏が、頼山陽の詩の五行目までの解説をしているので紹介します。
「宇多天皇は名臣を求めて〈賢聖の障子〉を作らせたが、求めよさらば与えられんというべきか、真の名臣である道真が出たというのが詩の五行までであろう。意訳すれば次のようになる。」
紫宸殿に賢聖障子を画かせ 22人の古代シナの名臣を並べた
これらの画像は冠を被り服装を整え、威儀をただして並び、いかにもうやうやしく皇帝にお仕えする姿を示している
残念なことには生きた人間でないから、魂が入っていない
皇帝に対して、( 可否 ) の意見を言上することができない
龍に例えて功臣を描かせたのは、龍の如き功臣を求めたからであるが、果たして本物の龍のごとき人物、菅原道真が出てきた
頼山陽は「真龍」の真の文字を、道真の真の字とかけているとの説明ですが、これで一件落着となりました。しかし人間の怨念は落着せず、次の醍醐天皇の時代となった時、基経の後を継いだ藤原時平の仕返しが始まり、道真に不幸が訪れます。
庶民である私たちも、高位の貴族も同じ人間であり、人である点において喜怒哀楽の情に変わりがありません。恨みや妬みも、同じです。残る三行に道真の不幸が語られますので、できることならここで止めたくなりますが、それでは、道真の出世と左遷の史実が息子たちに正しく伝わりません。
庶民に比べ、高貴な人々は富と権力に開きがあり、きらびやかな姿が目立ちますが、人間の喜怒哀楽に大きな開きはないようです。「奢る平家は久しからず、ただ春の世の夢のごとし」という平家物語の無常観は、善人・悪人の別なく当てはまることも教えてくれます。
「今の日本と、今の日本人だけが、過酷な時を生きているのではありません。いつも時代でも、人がいる限り、同じ歴史を繰り返します。何を嘆くことがありましょう。」
息子たちに伝えるためというより、自分に言い聞かせるため、次回も山陽の詩を紹介します。