goo blog サービス終了のお知らせ 

ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戸川猪佐武氏著『素顔の昭和 』( 戦後 ) - 6 ( 原因は進歩的教授たちの扇動 )

2019-02-19 15:25:41 | 徒然の記

   昨年の12月に、佐々淳行氏の『彼らが日本を滅す』を読みましたが、これは民主党政権を糾弾する著作でした。

 戸川氏も、佐々氏もすでに亡くなっていますので、二冊の本を両氏の「遺書」と受け止め、大切に読んでいます。

 学生運動の真っ只中で、機動隊の指揮をしていたのが佐々氏でした。横道へ逸れますが参考のため、再度氏の経歴を紹介します。

   ・昭和5年に東京で生まれ、平成30年10月に逝去。」

  ・昭和29年東大卒業後、国家地方警察本部 ( 現警察庁 ) に入庁。」

  ・入庁後は、主に警備警察の分野を歩み、

  ・昭和35年代から、昭和45年代の東大安田講堂事件、浅間山荘事件、ひめゆりの塔事件など、数多くの学生運動や、新左翼のテロに対する、警備指揮をした。

 『彼らが日本を滅す』と、佐々氏が著作の表題にしている彼らとは、学生運動家たちのことです。

 戸川氏は、単に学生活動家と書いていますが、佐々氏の著作では実名が述べられています。氏は民主党内の四人組として、菅直人、仙谷由人、岡田克也、枝野幸男各氏を挙げていました。

  浅間山荘事件で、佐々氏は大事な部下二名を学生の銃弾で失っただけでなく、多数の警官を負傷させられています。指揮官だった氏は、過激派学生が作った民主党内閣が許せなかったのだと思います。
 
 鳩山総理の後を継いだ菅内閣に関する、佐々氏の意見を紹介します。
 
  ・鳩山総理の後継になったのは、市民運動家出身の菅直人氏。官房長官には、人権派弁護士だった仙谷由人氏。共にかって学生活動家であった二人が継いだ。
 
  ・組織防衛上の危機管理原則は、腐ったリンゴは樽から出せだ。
 
 ・しかしながら鳩山、小沢、岡田、菅、仙谷、枝野と、自らが、揃いも揃って腐ったリンゴだから、樽から出しようがないのである。
 
 回り道をしましたが佐々氏の著作を頭に入れて、戸川氏の本へ戻ります。
 
  ・全学連は、総評やベ平連のベトナム戦争反対運動に乗じて、その暴力闘争をエスカレートさせた。
 
  ・それは昭和41年5月の、アメリカ原子力潜水艦の横須賀入港反対デモ、米潜水艦シードラゴン入港反対デモなどに示されている。
 
  ・彼らの反対運動は昭和43年1月の、エンタープライズの佐世保入港反対に至って最高潮に達した。
 
  ・市内では早朝から、賛否両派の海上パレード、デモがあり、
 
    「防衛意識高揚」
 
    「核基地化・ベトナム戦争反対」
 
     と、相対するスローガンが街にあふれた。
 
 「全学連」は佐世保港で警官隊と衝突するだけでなく、各地で騒ぎを起こしました。氏の詳細な説明を割愛し、事実だけを紹介します。
 
    1. 霞が関の外務省に乱入、89人が逮捕
 
    2. 社会党、共産党に合流し、佐世保の米軍基地に乱入、負傷者160名
 
    3. 東京・王子の米軍野戦病院に暴力的デモをし、350人逮捕、300人負傷、市民1人の死者
 
    4. 反日共系の全学連各派が、山手線、中央線、総武線などをストップさせ、市民ら300人負傷、144名が逮捕
 
    5. 首相官邸に乱入しり、404人が逮捕
 
    6. 反日共系の全学連各派が、野次馬とともに新宿駅に乱入占拠 734名が逮捕、警官隊と双方に、140名の負傷者
 
    7. 沖縄返還交渉のため渡米する愛知外相に反対し、羽田で警官隊と衝突、350名が逮捕
 
    8. 伊東で開催された、ASPAC会議に押しかけ乱闘、440名が逮捕
 
    9. 成田空港阻止闘争は、日共系全学連が反対派農民と組み、反戦労働者達と組織化。運動を政治化、暴力化の方向へ進めた。
 
 どの事件もテレビが映像で流し、新聞が大見出しで報道しましたから、多くの人が記憶していると思います。事件を検証してみますと、学生運動が政党や労働組合と連携して動いているのが分かります。
 
 政治家からの情報がなければ、原子力空母の正確な入港日時や、自民党政治家の訪米日程など、学生たちには入手できません。
 
 学生運動の指導者の多くは、佐々氏が語るように危険なデモの先頭に立たず、安全な場所から指示を出しています。純粋で真面目一筋の学生たちが、要領の良い者に利用される事実も判明しています。
 
 ネットで別途調べた、事件の説明を紹介します

  ・内ゲバや、赤軍派に代表される、爆弾や銃による武装のエスカレート、連合赤軍内での12名のリンチ殺人事件などが発覚したことで、学生運動は急速にその支持を失っていく。

  ・さらに昭和47年の沖縄返還などで、日本人の反米感情が薄れ、日本社会が豊かになるにつれ、たちは潮が引くように学生運動から遠のいていった。

 これが、第二次の学生運動の推移ですが、ここで戸川氏が大事な指摘をしています。学生運動の総括として、息子たちに紹介します。

  ・これまでの大学紛争が、収集のつかないまま長期化していた一つの原因は、いわゆる進歩的教授たちの扇動、あるいは、無力な教授たちの傍観にあった。

 進歩的教授たちについて、「ねこ庭」では『変節した学者たち』として取り上げました。「無力な教授たち」は、「無力な一般学生」と置き換えて見れば理解できます。

 しかしこれらの人々は腐っても鯛、腐っても大学教授ですから、一般学生と同様には見過ごしてはいけません。

 明日の日本のためには、反日左翼教授や学者を追放することが大事です。反日左翼のマスコミは、未だにこうした教授や学者たちを、「進歩的」「リベラル」と褒め言葉で紹介しています。

 ですから私たち国民は、まだ気を緩めてはなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする