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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戸川猪佐武氏著『素顔の昭和 』( 戦後 ) - 3 ( 老人となった学生運動家への敬意と軽蔑 )

2019-02-16 13:56:46 | 徒然の記

   昭和時代を語るとき、学生運動を省略することはできません。

 しかしこれを、息子たちに説明するのは至難の技です。離合集散する野党を説明するややこしさと同じです。若い頃は注意を払っていませんでしたが、学生運動は政党との結びつきが深く、党の対立と抗争に連動していました。

 共産党を別にし、現在も野党は離合集散・消滅を繰り返しています。立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、社会民主党、自由党、希望の党、沖縄社会大衆党など、覚えるだけで大変です。まして一般人に馴染みのない学生運動の、対立抗争となれば、一般の人にはどうでも良いことになります。

 氏の本に戻る前に学生運動の輪郭だけでもと、調べてみました。

   ・第二次世界大戦中、完全に解体されていた学生運動は戦後すぐに復活した。

  ・GHQの指導の下、多くの大学で学内の民主化運動が行われ、昭和23年に「全日本学生自治会総連合(全学連)」が結成された。

  ・全学連は当初「日本共産党」の影響が強く、その活動方針と軌を一にしていた。

  ・しかし昭和30年の日本共産党第六回全国協議会で、共産党が現場の運動家を半ば置き去りにする形で「路線変更」を行ったことを契機とし、学生運動から徐々に距離を置くようになった。

  ・共産党に除名された学生達が中心となった、「新左翼共産主義者同盟(ブント)」が全学連の主導権を握った。

  私が大学生だった時、早大紛争がありました。学内で騒いでいたのは、「社青同」、「社学同」、「民青」という組織でした。

 調べてみますと、「社青同」は「日本社会主義青年同盟」の略称で、社会党の左派と関係がありました。

 「社学同」は「社会主義学生同盟」の略称で、上部団体が共産党の分派です。最後の「民青」ですが、これは「日本民主青年同盟」の略称で共産党の下部組織でした。」

 当時でも今でも私には、「社青同」や「社学同」や「民青」が「全学連」の中で、どういう位置づけにあり、どんな関係にあったのか知りません。

  所属する組織が違っていても、彼らは皆マルクス主義者で、信じるもののため猪突猛進する学生たちでした。

   「君はなぜ、傍観者のままでいるのか。」

   「この腐れ切った社会を見て、怒りを覚えないのか。」

   「ノンポリのままで、恥ずかしくないのか。」

 クラスの活動家たちに教室で度々追求され、その度に私は逆らいました。

   「君たちは、この思想で一生を貫くのか。」

   「マルクスの思想は、君の一生を捧げるに値するのか。」

   「それだけの価値が有る思想だと、君はどうして言い切れるのか。」

 目的のためなら反対者を殺せという憎しみの思想に、私は馴染めませんでした。私が大切にするのは、理論より自分の気持でした。

 彼らは感情論と嘲笑しましたが、自分の気持が納得しない理論に、他人を巻き込む彼らの軽率さを嫌悪していました。

 左翼活動家の友が言いました。彼は真面目で穏やかだったので親しくしていました。

   「一生なんて、僕は考えていない。」

   「この社会の、現在の不合理を見て僕は戦う。」

   「もしかすると、卒業したらこんなことはやれないのかもしれない。」

   「そんなら、自由な学生の間だけでも、自分の信じるもののために僕は戦う。」

 私は彼に言いました。

   「卒業したら、やめるような活動なら僕はやらない。」

   「思想を信じるというのは、それで一生を貫くということだ。」

 きちんと反論したのか、しどろもどろの反論だったのか覚えていません。それ以来彼とは一線を引き、距離が離れました。それから以来私は、彼らにノンポリと蔑視されました。

 しかし今でも、自分の正しさを疑っていません。

  「一つの思想を信じるということは、一生を貫く覚悟があって言えること。」

  「学生の間だけというのなら、真剣に見えても無責任な遊びに過ぎない。」

  75才になり、自分の一生を貫くべき思想に巡り合いました。思想という言葉で表すものなのか、そこは分かりませんが自分の考えであることは間違いありません。

   1. 自分の国を愛すること。 ( 歴史や文化を大切にする ) 

   2. ご先祖を敬うこと。   ( 日本人のご先祖である天皇を敬う )

   3. 自然に感謝すること。  ( 八百万の神様を信じる )

   4. 人間は自然の一部であること。( 対立はなく、協調と同化がある  )

 現実を忘れた読書をしているのでなく、現実の上に立ち、昭和の学生運動を語る外川氏の本を読んでいると、息子たちに話せる気がしています。

   [ 追 記 ]

 一生を貫き、一つの思想のために戦っている面からすると、沖縄で基地反対運動を続けている老人たちに、私は敬意を表すべきかもしれません。

 彼らはおそらく私と同年輩の、学生運動家の成れの果てです。

 敬意を覚えても軽蔑せずにおれないのは、マルクシズムの誤りと虚構に、いい年になっても気づけない愚かさです。彼らが社会に流す害毒は、敬意を凌駕し息子や孫たちの代まで汚染します。

 敬意を感じても、肯定する訳に参りません。

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戸川猪佐武氏著『素顔の昭和 ( 戦後 )』 - 2 ( 日本を再建したのは、国民の頑張り )

2019-02-16 07:14:58 | 徒然の記

  平成がすでに31年目となり、5月には皇太子殿下が新天皇となられます。

 昭和は一昔前の時代となりましたが、懐かしい思い出の詰まった宝石箱のような年月です。『素顔の昭和 ( 戦後 )』を書いた戸川氏は、両親と年代が同じです。氏の著書を読んでいると、自分の思い出と重なります。

 氏の著書は年代順に書かれていますが、それを無視し思いつくページを開き紹介をしようと思います。

   ・ロカビリーが掻き立てる社会の喧噪や、勤務評定反対の日教組の怒号

   ・新安保反対の社共両党、総評、全学連のシュプレヒコールとは関係なく、昭和32から34年までの3年間、貧困と窮乏の戦後はすでに遠くなりつつあった。

   ・なにしろ大東亜戦争さえ知らない、戦後生まれが着実に増えてきたのだ。

 氏の叙述が思い出と重なり、懐かしさが胸をいっぱいにします。

   ・戦後を遠いものにした要因の一つは、都市に続々とマンモス団地が林立し始めたことである。

   ・顕著になるのは昭和34年頃からであり、次第に団地族、なるものが増加していった。

   ・戸建て住宅は望むべくもない時代、たいていは戦後にできた粗末なアパート住まいという中で、団地は大衆の憧れであり、そこに入ることがエリート感覚をくすぐるものであった。

 これはもう、歴史的な文章です。私は戸建ての住宅に住んでいますが、会社に勤めていた頃は団地族でした。典型的な2LDKで、子供部屋さえ満足に作れず、外国からは「日本人の住まいは、うさぎ小屋」と笑われていました。

 名前は「マンション」と洒落た呼び名でしたが、団地であることに間違いありませんでした。その団地が「大衆の憧れ」「エリート感覚をくすぐるもの」というのですから、信じられない昔話です。

   ・この時期には食生活も、戦前、戦後とはまるきり一変した。朝食はトーストとコーヒー、またはオートミール、コーンフレークスと、アメリカナイズされてきた。

   ・戦前は米食率が80%で主食の王座を占めていた米が、その席の一部をパン食に譲るようになった。昭和34年度には、パン食率が26パーセントにのぼっている。

   ・副食はさらに贅沢になり、ミルク、バター、チーズなどの畜産品、スイカや桃、りんご、みかんなど果実の消費が目立ってきた。

   ・飲み物では緑茶の消費率が落ち、日本酒の率が減って、コーヒー、ビールやウイスキーなど洋酒類が増加した。それに従って、栄養の摂取量が向上したことは言うまでもない。

 ミルクやバターやチーズが贅沢品と言われても、子供たちにはピンとこないはずです。果物にしても飲み物にしても、近所のスーパーへ行けばいくらでも手に入ります。この文章を書いている氏自身からして、今では博物館にでもいるような昔人間になっています。

 文章を懐かしんでいる私も、子供たちから見れば同じなのかもしれません。

   ・着るものも昭和28年頃までは、必需的な衣料に重点がかけられていたが、それから後は、奢侈的な衣料にウエートが置かれるようになった。

   ・特にその中でも、ナイロンやビニロン、テトロンなどの合成化学繊維が、圧倒的に伸長してきた。

 今私たちの周りで、合成繊維の衣類を奢侈的衣料と考える人が何人いるでしょうか。だが昭和に生きた人たちは、氏の本を読んで笑わないはずです。笑うどころか、自分の両親や大人たちへ感謝の気持ちを新たにするに違いありません。

 貧しさの中から今の日本を築き、自分たちを育ててくれた親たちの苦労を、昨日のことのように思い出すからです。資本家階級の搾取だとか、労働者たちの目覚めが日本の近代化を進めたとか、そんな左翼の主張が、取るに足らないへ理屈であることが本を読めば分かります。

 左翼の理論が日本を再建したのでなく、私の親たちのような名もない庶民が、家族のためにせっせと働いたから今の日本があるのです。マルクスや、レーニンや、スターリンなど、親たちには何の関係もありません。

 氏は、戦後の日本の事件や出来事を叙述しています。教条的左翼理論に触れないことによって、氏は逆に彼らの意見を批判しています。

 息子たちに言います。

 顔を真っ赤にして反論するだけが、批判ではありません。一言も触れず無視することも、立派な批判になる事例を氏の本から学んでください。

  『素顔の昭和』では、反日学者たちの言う左翼理論が日本を再建したのでなく、庶民の頑張りだったと教えています。と、「ねこ庭」は氏の著書をそのように解釈しています。

 朝から粉雪の舞う、寒い一日でした。石油ストーブを終日つけ、「ねこ庭」から溶けていく雪を眺めながら、本の紹介をしました。

 本日はここで終わりとして、続きは次回とします。

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