ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自虐史観 ( 元外務官僚藤崎一郎氏の正論 )

2016-07-28 14:05:31 | 徒然の記

 誰が言い出したのか知らないが、言い得て妙の言葉である。だが最近の私は、これを「自己否定史観」あるいは、「自滅史観」と言い換えたい衝動にかられる。

 四、五日前のNHKの番組で、藤崎一郎という元外交官が出ていた。温厚な語り口の紳士で、中々の好人物と見えたが、その意見には落胆させられた。

 「日本は、明治以来二つの大きな間違いをしました。」「一つは、軍国主義へ走ったこと。」「二つ目は、第二次大戦を引き起こしたこと。」正確な表現を覚えていないが、内容は間違えていないと思う。

 列強がアジアを侵略していた、あの時代を考えれば、富国強兵を国是として孤軍奮闘した日本を、それほど簡単に責められるのか。ましてこれが間違っていたなど、なぜ言い切れるのか。第二次世界大戦にしても、日本が引き起こしたものでなく、欧州ではヒトラーのドイツが台頭し、ムッソリーニのイタリアが続き、もともと政情が不安定になっていた。

 アジアでは依然として欧米列強の植民地が存在し、ロシアでは暴力革命を旗印にする共産党が政権を樹立していた。中国では赤い毛沢東が蒋介石と交戦しており、遅かれ早かれ、日本以外の要因で、世界は戦乱に突入していた。しかるにこの藤崎氏は、あたかも日本にだけ責任があるという論調で、さらりと意見を述べている。

 どういう人物かとネットで調べてみたら、なんと氏は外交官の父を持つだけでなく、明治の元勲伊藤博文の玄孫だという。氏自身も北米局長をし、米国駐劄特命全権大使までやっている、外務省エリートの一人だ。こういう人物までが、自虐史観を身につけ、まっとうな顔をして日本滅亡に協力しているのかと、今更ながら外務省の如何ともしがたい体質を知らされた。

 さて、83才と自称する人物のブログを見て、こんな意見もあるのかと驚いたのは、昨夜だった。老い先短いからなんでも思ったことを言うのだと、そんな調子で書かれていた。

 「拉致問題は、永久に解決しない。」「拉致問題はその内風化し、忘れられる。」「実態を知っていながら、北朝鮮と折衝しようとしている安倍総理は、馬鹿だ。」

 拉致家族の苦しみを無視し、頑張っている者たちの苦労も思いやらず、何とひどい意見かと腹が立った。しかし、前後のブログを読み進む内、納得せずにおれない意見に出会った。

 「北朝鮮と話し合いをしても、解決などあるはずがない。」「彼らは日本の金が欲しいだけで、拉致問題を解決しようなんて、頭から考えていない。」「日本に残されている道は、二つしかない。」「ひとつは、自衛隊を使って武力で被害者を奪い返す方法。」「今一つは、拉致被害者のことを断念する方法だ。」

 「今の憲法では、自衛隊は北朝鮮へ出ていけない。」「国民を救うための武力が使えない、そこが分かっているから、北朝鮮は日本が恐ろしくも何ともない。」「主導権は、永遠に北朝鮮にあり、日本は金をせびられるだけだ。」

 「話し合えば解決するなどという者がいるが、一体何年話し合っているというのか。」「話し合っている間に、拉致家族の親たちは死んでしまう。」「自衛隊という武力を動かせなくて、北朝鮮と話し合うのは無駄なこと。」「自衛隊を動かすには、憲法を改正しなくてならない。」「だが、国内ではそれができない。」「だとすれば、もう結論は一つしかない。」「拉致被害者の救出を断念し、諦めること。」

 左翼も、自民党の反日議員も、この老人のように、現実を見つめ、本気で議論する勇気を失っている。拉致問題だけでなく、尖閣への領海侵犯だって、行き着くところは「憲法改正」だ。自分の国を守るための軍を持つ・・・・。ただこの一言に尽きる。

 戦争ができない国になっている日本を、普通の国にすること。つまり亡国の野党や、反日の自民党議員が言うところの、「戦争のできる国」にすること。大事なのは、この83才の老人が指摘するとおり、「戦争ができる」ことと、「戦争をしたがる」ことは別なのだ。自滅史観の愚か者たちは、憲法改正によって、あたかも日本が戦争をしたがる国へと変貌するように騒ぐが、これこそが大間違いの詭弁だ。

 都知事選に立候補している鳥越氏は、「尖閣に中国が上陸してきたら、」「あんな無人島のために戦争するのですか。」と、冷笑した。こんな人間を、どうして都知事という要職に就かせられるのだろう。無人島であれなんであれ、国の主権を守るためなら、戦争も辞さないという覚悟があって、初めて国の安全が担保される。

 それならば、あんな無人島、いや、島とも言えないサンゴ礁に、なぜ中国は国運を賭けるのか。国際社会の非難を無視し、埋め立て工事を敢行し、軍事施設を作っている中国の不気味さが見えないような鳥越氏の姿に、反日左翼たちの亡国ぶりを見る。

 83才の老人に比べれば、73才の私は若すぎるが、それでも、こういう正論を言う老人は、大切にしなければならない。そして私も、もういい加減、本音のブログが書きたいものだ。都知事選において、自虐史観の人間どもを当選させてはならない。国を自己否定し、自滅の道を進もうとする左翼思想を拒絶しなくてはならないと、遠慮なく言いたい。

 見習うべき老人の正論だが、ひとつだけ自分との違いがあるとすれば、それは「過激的言動の否定」だ。右であれ左であれ、過激で勇ましい言辞は、日本のためにならない。日本民族は世界一優秀だとか、日本が世界の一等国だとか、独りよがりの自惚れた主張を、私は嫌悪している。

 自分の国が一番だと、多くの国の人間が心に思っているのだから、先ずそれを事実として認めなくてならない。内心で誇りを持つことと、大声で主張し他者を排斥することは、別次元の話だ。自己正当化と、自己賛美を押し通すことは、やがて世界の平和と秩序を乱す要因となる。

 私のブログで、乱暴な言葉が使われ、過激と見える言い回しがあるとしても、それはここに言う「過激」でなく、独りよがりの自惚れた主張でもない。

 勝手なことを言うと思う向きもあるだろうが、分かる人には分かってもらえるはずだ。

 

 ねこ庭の木で、セミが鳴いている。雨らしい雨が降らなかったが、明日あたりには、気象庁が梅雨明け宣言をするのではなかろうか。優秀な人材が集まっていると言われる気象庁だが、最近はなぜか権威を失ってしまった。「梅雨明けになったと、思われます。」・・・・なんて、ひどく自信のない宣言をしている。

 しかしこれも、昔と違って、独りよがりの主張をやめた結果だと思えば、是としなくてはなるまいか。 

コメント (12)
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