ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大本襲撃

2016-07-17 19:43:20 | 徒然の記

 早瀬圭一氏著「大本襲撃」(平成19年刊 毎日新聞社)を、読了。

 氏は昭和12年大阪に生まれ、同志社大学卒業後毎日新聞社へ入社している。客員編集委員を経たのち、東洋英和女子学院の教授、北陸学院大学副学長となっている。

 大本教(おおもと)については、かって国のひどい弾圧があったとか、力を持った教団だったとか、その程度のことしか知らない。格別知りたいとも思わず今日まで来たが、氏のお陰というか、叔父の蔵書のお陰というのか、図らずも理解させてもらった。左翼平和主義者やマスコミが、戦前の日本は酷かったと言っているので、自分には、戦前の日本について知りたいという気持ちが常にある。

図らずもこの本が、そうした私の願いの一端を叶えてくれたので、結果として感謝している。これが事実だとすれば、戦前の公安警察は、中国に劣らない残虐さで、社会への不安を煽る思想に対峙していたのだと、分かった。左翼であれ、右翼であれ、社会秩序を乱すと判断されれば、容赦なく弾圧される。

 警察による大本教弾圧は、一回目が大正10年、二回目が昭和10年だ。二回目の弾圧は酷いもので、頑丈な本部の建物が爆薬で破壊され、検挙者は教祖以下およそ千名にのぼっている。一回目は不敬罪、二回目は治安維持法違反である。甘粕大尉に検挙され、大杉栄、伊藤野枝、甥の宗一 (6才)が拷問で惨殺されたのが、大正12年で、昭和8年には、小林多喜二が、築地警察署でなぶり殺しにされている。

 第二回目の検挙で、厳しい警察の拷問を受けた大本の信者は、一年間の間に自殺者1名、衰弱死者2名、自殺未遂2名と書かれており、当時の警察の残虐さに心が冷える。三代目の教祖となる若い日出麿は、連日の拷問で精神異常となり、一生回復しなかった。

 この本は、二代教主の出口すみを中心に話が書かれている。大本教は教主は男でなく、女がなるものと決められているらしく、平成の現在は五代教主紅氏だ。ややこしいのは、初代の出口なおを補佐する形で大本の基礎を作った王仁三郎が、教祖と呼ばれて崇められているところだ。二代教主のすみは、初代教主なおの三女で、王仁三郎はその夫である。

 すみは王仁三郎が存命の間は、教団の表にあまり出ず、財産の管理や資金管理、信者の管理など実務面で力を発揮している。胆力のある女性らしく、逆境にあっても笑顔を絶やさず、子供のような純真さを持ち、周囲の人間を惹きつけていた。王仁三郎が亡くなった時、再起不能の三代目の日出麿を抱えながら、「わしが今日から、教団を指導する。」と宣言し、落ち込む信者たちをとりまとめ、教主の真価を発揮したという。

 私は信者でないから、著者のように、すみの話に感動しないが、大本教の話に心を動かされた。初代教祖なおは、当初「天照大御神」を拝んでいたが、ある日突然に神かがりとなり、自分は「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の生まれ変わりだと称する。艮の金神は、別名を國之常立命( くにのとこたちのみこと)と言い、日本書紀の中に出てくる。

 天之常立命(あめのとこたちのみこと)と並ぶ、根元神で、始原神とも言われ、この世に現れた最初の神であるらしい。つまり、天と、地とを造った最初の神様だから、天照大御神より前の神様である。

 教祖なおは、この艮の金神の生まれ変わりだと公言し、自分が乱れた世の中を変える、すなわち「世直しをする」と語る。無学文盲の彼女が神がかりになって語り、その思いをかな文字で記す。これが有名な「お筆書き」と言われるもので、大本教の教えの基本となる。曖昧なお筆書きの言葉を解釈し、補強し、信者たちに伝えたのが、王仁三郎である。

 敗戦後の日本は、誰が何を言おうとお構い無しの社会になっているため、多くの人間には、弾圧される理由が分からないのではなかろうか。しかし、有難いことに今の自分は理解できる。大本教主は天皇陛下より以前の神、この世の根元の神の生まれ変わりで、この世を作り直すというのだから、天皇陛下の御代を否定する、憎むべき破壊思想ということになる。つまり、共産主義同様の危険思想ということだ。

 私が知るべきというか、覚悟しておくべきことが、この本で語られている。

右であれ、左であれ、政治を語る者は、好むと好まざるにかかわらず、時の政権とぶつかる。その時に、みっともない姿を晒さないように気をつけること・・・・・。安倍政権が本当に自主独立の国として日本を再生した時、はたして反日・売国の左翼は生き残れるのだろうか。

 あるいは、赤い皇后陛下を批判し、皇室の伝統と文化を崩壊させる雅子妃を批判する私は、果たして無事でおれるのだろうか。「不敬罪」とか、「不穏思想」とかで、警察に連行されないだろうか。

 日本が普通の国として独立し、自前の軍隊で国を守り、米軍の駐留も無くなった時、社会がどうなるのか。良識とか、バランス感覚とか、国民の意識とか、色々なものがきちんと確立していないと、中庸の社会は生まれないのだと、ここはしっかり考えておかなくてならない。

 今のように反日のマスコミが跋扈する社会も腹立たしいが、反対するものを排斥してしまう狭量な保守も唾棄すべきものだ。今回の知事選挙で、自民党の都連が石原氏の名前で、党の公認者以外を応援した議員は、家族縁者がそれをしても除名すると、こんな馬鹿な文書を出している。不用意な話だが、要するにこれが、個人の思想弾圧というもので、自民党が隠している爪だ。

 右も左も、国民がしっかりしていないと、過激な愚か者は、こうした締め付けや弾圧を平気で実行するということだ。知事選を観察しつつ、この本を読めば、生きた社会学が学べる。国民が賢明でないと、議員もマスコミも、左右に大きく振れるということを、歴史の中からしっかり学ばなくてならない。他人がどうであれ、自分をちゃんとしておきたいから、これからも本を読むこととする。

 

 蒸し暑い一日だった。そして、やたら蒸し暑い本だった。傍らのテーブルには、叔父の遺品である本がまだ26冊ある。どんな気持ちで、叔父はこの本を読んだのだろうか。全部を読み終えたら、無口だった叔父の心が、分かるのだろうか。それもまた、私の楽しい宿題だ。人は亡くなっても、残った者に語りかけると、こういうことなのだろうか。

 

コメント (4)
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