ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

創価学会 公明党をぶった切る

2016-07-20 21:49:01 | 徒然の記

 藤原弘達氏著「創価学会 公明党をぶった切る」(昭和60年刊 (株)日新報道)を、読んだ。

 氏は大正10年広島県に生まれ、東大卒業後に政治評論家になった。攻撃的な右翼的政治評論で名を挙げ、マスコミの寵児だったらしい。当時ノンポリだった自分は、何も覚えていない。それでも、中身を知らないが、氏が「創価学会を切る」という本を出版するとき、なにやら騒動があったという記憶はある。

 どうして氏が、これほど創価学会を目の敵にしたのか、読後の今でも理解できない。結論から述べれば、つまらない本だったとその一言だ。昭和44年に氏が「創価学会を切る」という本を出そうとしたとき、学会の激しい妨害に会い、当時の自民党幹事長だった田中角栄氏が仲介に立っている。出版する本を全部買いあげたいと、いかにも金権政治家の田中氏らしい申し出だった。

 氏が断ると、今度は笹川良一氏が、同じ提案をしたらしい。だが本は出版され、国会での論戦に使われ、池田氏の証人喚問をするかしないかで大揉めになった。当時の日本は高度成長期の最中で、新入社員の私には何しろ暇がなかった。土日も祝日も出勤し、それでも人手が足りず、残業に追われる毎日だった。

 今回読んだのは、その16年後に出版された昭和60年の著作で、「創価学会 公明党をぶった切る」と、更に扇動的な書名になっている。目次も、俗悪週刊誌の見出しにそっくりだ。もしかすると、最近の週刊誌の際どい見出しは、マスコミを闊歩していた氏が先鞭をつけたのかもしれない。

「月刊ペン事件にみる汚辱の構図」「学会の三流スパイ大作戦・電話盗聴」「ヤクザまがいの大石寺対学会の縄張り争い」「宗教法人をかたる営利集団」「ビジョンなき政権欲ボケ」「公明党は池田の私物的存在から抜け出せるか」

 目次のタイトルの一部だが、暴露記事ばかりで終始されると、真面目にものを考える人間は辟易する。これも叔父の蔵書の一冊だが、どうやらあまり関心を払われていなかったようだ。気に入った本に、叔父は購入月日と購入書店を記入している。もっと大切な本には、自分でカバーを掛け、剥がれないようテープで貼っている。

 そうしたものが無いところを見ると、、叔父は、内容の低劣さに気落ちしたのではなかろうか。出版妨害や電話の盗聴、本山との争いなど、どれも見過ごせない重大な学会の恥部だ。やっきになり、出版を止めさせようとしたのだから、創価学会にとっては、世間に知られたくない爆弾みたいな内容だったに違いない。

 私は創価学会親派でなく、むしろ苦々しい思いのすることの方が多いが、それでも氏に賛同し、学会を非難攻撃する気にならない。激しい言辞が並んでいるが、氏の言葉には、心に響く誠がこもっていない。

 世間を騒がす話題を提供し、雑誌でも週刊誌でも売れれば良いという、利益優先のジャーナリズム根性が目につく。右翼的評論家などと言われながら、共産党と手を組み、創価学会を攻撃していると知れば、人間性にも疑問符がついてくる。共産党が目をつけて政治利用したのか、氏の方が歩調を合わせたのか、それは知らない。目的のためなら手段を選ばないというのでは、右翼的評論家の名が廃るのではないか。

 つい二年前だったが、自民党の役員までした古参議員が、こともあろうに赤旗へ寄稿し、安倍総理を批判したことがあった。何でもありの議員など、国民は相手にするわけが無い。安倍氏に批判的な自分だが、あんな亡国政党の手を借りるなど思いつきもしない。ついでだから再確認のため、その愚かしい売国議員の名前を記しておこう。加藤紘一、古賀誠、野中広務の三氏だ。

 目的のためなら手段を選ばずでは、まともな人間に相手にされない。藤原氏の主張は、事実を踏まえなされているが、感情論が先に立っている。冷静なジャーナリストの目が曇っていると懸念するのは、創価学会だけが恥部を持ち、暗い闇を引きずっているのかというところにある。

 批判は正論だが、宗教法人はどこも似たり寄ったりでないのだろうか。物欲、金銭欲、出世欲、個人崇拝など、暴露されないだけの話だと私は推察している。氏の本を読んで喝采するのは、要するに無知なる庶民であり、お花畑の住民たちだ。氏のやっていることは、一過性の批判や反感を掻き立て、いっとき世間を騒がせるだけの川面の泡でしかないと、そんな気がした。

  本の最終章で、氏は次のように述べる。

「公明党には、恥も外聞もなし」「公明党には、国民党としての資格なし」「公明党は、乗り心地の良い船に乗る」「公明党は、ファッショの起爆剤、危険がいっぱい」そしてこれが、結論だ。

 「やはり公明党は、解党すべし」あたかも公明党さえなくなれば、日本が正しい国になると言わんばかりだ。だが戦前から敗戦後にかけ、そして現在において、共産党がやってきたことは、創価学会の悪辣さの何倍になるというのか。

 事実に基づいていても、他の事実との比較なしに述べられる意見は、偏見という名で呼ばれるのではないか。針小棒大、大山鳴動してネズミ一匹では、冷静な評論家であるはずがない。叔父がこの本を評価していないのを、正しい態度だと納得する。

 ネットの情報によると、氏はすでに亡くなられているらしいので、これ以上は言及すまい。生きておられる時はマスコミ界の実力者だったから、皆に沢山お世辞を言われたに違いない。それでつい、自分の意見が何でも世間に通ると勘違いし、こんな本を出されたのだろう。追従する取り巻きは、人の判断力を曇らせるのだから、ほんとに罪な人間たちだ。

 氏が亡くなったあとも、マスコミ界で評論家として名を売り、持ち上げられている自称ジャーナリストが、今も沢山いる。間違いなくその中の一人が、都知事選に立候補した反日の鳥越俊太郎氏だ。追従する取り巻きが、個人でなく、売国の野党であるだけに今回は始末が悪い。

 こんな体たらくでは、推薦した野党の党首たちも、鳥越氏本人も、双方進退極まっているのではないか。


 

コメント (5)
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