ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ノルウエーを知るための60章 - 2

2016-03-24 22:43:15 | 徒然の記
 本によると、ノルウエーの国土面積は、日本とほぼ同じだという。
ここに500万人の国民が住む。なんとこの広さに、神奈川県(360万人)と北海道(190万人)を合わせた人数しか居住していない。つまりノルウエーの人口は、国全体でも東京都(900万人)の人口より少ないということだ。

 そうなると、北欧の他の国がどうなのか知りたくなる。
理工系の人間でないから、私は大雑把な理解で事足りる。そんな人間のため、親切な本にはちゃんと数字が載せてある。スエーデンは日本の国土面積のおよそ1.2倍のところに、959万人、デンマークはほぼ九州と同じ面積の国土に、561万人、フィンランドは日本よりやや小さい国土に、543万人の人口だ。

 日本は小国だと教わってきたが、人口から見ると大国ではないか。
問題だらけの国みたいに、反日マスコミが日々悪意に満ちた報道をしているが、この狭い国土にこれだけの人数を住まわせ、衣食住を賄っているのだから、大したものだ。

 ハノイ市の人口が700万人だから、ベトナムは一つの市だけでノルウエーの国民総数を上回っている。まだ貧しいベトナムを思えば、人口が多いから大国だと、そんな風には考えないが、ノルウエーとの生活レベルを比較しても日本は遜色がない。

 ノルウエーの貨幣単位はクローネで、1クローネが約15円だから、円安の現在は物価がとても高い。街のレストランでコーヒーとサンドイッチを注文すると、2,500円くらい取られる。アルコール類は特に高く、ビヤホールで地ビールを500mlのグラスで頼んだら、およそ1,200円だった。

 石造りの建物が多かったイタリアやスペイン、イギリスに比較すると、ノルウエーはほとんどの民家が木造だった。土台は石造りでも、家々は木造りで、彩の美しい街並みは、豊かさというより、貧しさ、言葉が適切でないのなら、質素な暮らしぶりだった。大昔はバイキングの略奪で近隣諸國を悩ました国だが、イギリスやスペインのようにアジアやアフリカに植民地まで作り、悪辣な収奪をしていないから、その分だけ富の集積がないのかもしれない。

 本の解説によると、これだけ対立した過去を持ちながら、北欧の三国は助け合い協調しあいつつ、今も国際社会で頑張っているとのこと。わが国では毎日のように、「憎むべき日帝の35年間の支配」などと隣国が騒ぎ、腐れマスコミが一緒になって合唱している。沢山の資金を投じながら、結局は憎しみしか残せなかった日本も反省すべきだが、ノルウエーの510年間に比べればいったい何なんだろう。もちろん本には書いていないが、中国や韓国問題について、ねじれの大元に宗教があるのではないかと、私は密かに思考した。

 北欧4国の宗教を本から抜粋すると、ノルウエーは「福音ルーテル派教会」が国民の多数を占めると、書いてある。スエーデンは「スエーデン・ルーテル福音教会」が国教で、国民の80%、デンマークは、「デンマーク・ルーテル福音教会」が国教で、国民の80%、フィンランドは、「フィンランド・ルーテル福音教会」が78%と説明されている。国は違っても、同じ「ルーテル福音教会」であり、プロテスタントのキリスト教だ。

 翻って日本は「八百万の神々」の鎮座する神道があり、寛容の多神教だ。中国は、古来儒教・道教・仏教等が混在していたが、儒教によって中華思想を確立し、「世界の中心は中国で、他の国はすべて蛮族だ」という排他的思考に成り果てた。その儒教は、宗教なのか学問なのか、今もって不可解な思想でもある。この中国もついこの間、共産党が政権を取って以来、「宗教はアヘンだ」とするマルクスに従い、すべての宗教を禁じてしまった。

 事大主義の韓国は、昔から中国に寄りそうことで、国の存立を保持してきた国だ。本家の中国以上に儒教を浸透させ、満洲族の支配する清朝は最早昔の中国ではないと、勝手に決めつけ、朝鮮こそが世界の中心であるという、小中華思想に固まってしまった。中国は親だが日本は弟だと、彼らは儒教的序列を断りもなく作り、日本が何を言おうと「弟の分際で生意気だ」と、相手にしなくなった。
だから韓国の度を越した自尊心と横柄さは、昨日今日の話でなく、江戸、幕末、明治から続くもので、福沢諭吉ですら見限ったほどの頑迷さだ。

 国ごとに少し呼称が異なるとはいえ、北欧の国々の神様は同じキリスト教だ。
内部を覗けば、諍いや対立の種が転がっているのかも知れないが、同じ一神教で、イエス様を拝んでいるのだから、魂の底に流れるのは「神の愛」や「罪の意識」だ。時間をかけて話し合えば、共通の思考が生まれる余地があるに違いない。

 ましてノルウエーとスエーデン、デンマークは王様の国だ。
先祖を辿れば、兄弟だったり、従兄弟同士だったり、遠い親戚だったりしている。歴史上で利害の対立が幾つあっても、周囲の強国から自国を守るためなら、小国同士の連合を大切にする。弱肉強食の国際社会を生き抜く知恵として、王様たちはリアリストだ。

 本の何ページだったか、もう忘れたが、そんなことが書いてあった。
どう考えても、北欧諸国の状況は、日本の参考にならない。こんな中国や韓国と、首脳同士が膝詰め談判をしたって、共通の何かが生まれるわけがない。その上日本には、国内に親中・親韓の「お花畑」があり、花たちが政府を糾弾ばかりするため、まとまる話だって壊れてしまう。こともあろうにこの花たちが、マスコミ界に蔓延っているのだから始末に負えない。あっちのマスコミは政府と歩調を合わせているのに、こっちの日本ではマスコミが政府に背を向け、隣の国に手を振っている。自国を憎む売国の花が咲き乱れる日本みたいな国は、北欧のどこにもないし、世界中にもないのではなかろうか。
 
 政治や文化や歴史のページを読むたび、ノルウエーの羨ましさに、私は何度も本を閉じた。


 一方で私は、今回の旅で、日本の若者たちへの希望も覚えた。
今回利用した成田発デンマーク行きSASは、200人乗りの飛行機だった。文科系の私は数字に大雑把なので、正確さに自信はないが、この内の70人くらいが日本人だったと思う。その中の30人くらいが若者で、学生の団体だったり、友人同士の個人旅行だったりであった。

 不審な老人と警戒されのたかもしれないが、私は周りの若者に質問した。
「学生さんですか?」「クラブ活動なんですか?」・・・・・。若者たちは、面倒がらずに答えてくれた。「姉妹なんです。」「友だち同士で、卒業旅行です。」

「どこまで行くのですか。」
「フィンランドです。オーロラを見に行きます。」「ノルウエーで、オーロラを見ます。」

 何という屈託のなさか。そして何という日本国政府の変貌か。
自分が学生だった頃の53年前、政府は私の願いをすべて拒絶した。貧しかった日本は厳しい為替管理をし、一般人の観光旅行を一切認めなかった。たとえ日本円があったとしても、外貨を割り当ててくれなかった。忘れもしない、外務省の為替管理局旅券課の課長は、大学の先輩だったにも拘らず冷酷無情な対応をしてくれた。
「貴重な外貨は、政府の要人、マスコミ関係者、経済界の要人にしか割り当てられないんだ。」
「君みたいな、学生に何で外貨が割り当てられるか。」
「君は、英語もロクに話せない。外国の歴史も知らないし、知識もない。」
「そんな馬鹿な学生にうろつかれたら、日本の恥だ。」

 その先輩は、果たして存命でおられるのかどうか。あの悔しさと屈辱感は、53年経った今でも鮮明な記憶だ。

 話がすっかりそれてしまったが、水杯で別れをしたという、明治時代の洋行者などを思えば、現在の若者の置かれている状況の変化が、いかに大きいかを言いたかっただけだ。

 若者たちが機内で座席の前のテレビで、飛行ルートの画面を見ていた。
馴染み深いメルカトールの世界地図でなく、北極を真ん中にした地図だった。画面ではSASの機体が北海道を通過し、シベリア大陸へと進んでいた。自分たちが進む道を、リアルタイムで確認できるという驚き。
そんな私を知るはずもない若者たちは、当たり前のように画面を眺め、驚くこともなく世界地図を見ていた。

 何気ない光景だったけれど、私はそこに、自分とは違う新しい日本人を発見した。
彼らは世界地図の中の日本を、ごく普通のこととして見ている。英語が上手に喋れなくても、恥じ入ったり尻込みしたりせず、日常の顔で外国へ行こうとしている。息子たちもそうだったが、下手な英語をものともせず、堂々と外国人と会話している。

 自分とは違う日本人が、育っているという実感は、何故かしら日本の未来への希望を抱かせてくれた。
この若者たちは、親たちのように、戦争の記憶に縛られ、必要以上の罪悪感や自己嫌悪に陥ることなく、自分の気持ちが述べられるのでないか。得手勝手な中国や韓国に臆することなく、自分の思いを語るのではないか。

 シールズのような馬鹿な若者が千人いても、国を愛する若者が千人いるのなら、間違いなく日本が変わる。
「世界地図の中で日本を考える。」・・・・・。会社勤めをしていた頃、そんなことを言った会社の社長が経済紙で賞賛されたことがあった。しかしもう、そんな肩に力を入れた、気負いの時代は去っている。

 若者たちは意識することなく、世界地図の中の日本を眺め、外国を見ている。
それだけに私は、日本のマスコミの偏向と、反日・売国の報道が気になる。希望の若者を、シールズのようなバカ者へと変貌させる捏造記事を憎む。

 だがもしかすると、若者たちは、氾濫する反日記事の醜さを嫌悪し、かっての自分みたいに、「中国や韓国、アメリカやソ連がそんなに好きなら、あなた達はその国に行けばいい。」と、日本人としての怒りを抱くのではないか。

 「ミミズの戯言」らしく、最後は自分に都合の良い結末にしてしまったが、朝日新聞やNHKに比べれば可愛いものでないか。多少独りよがりの編集があるとしても、社会に流す影響たるや、太平洋に垂らした、一滴の砂糖水・・・・と、そんなものでないのか。






コメント (2)
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