「議会主義への道」と題する章で、次のように書かれている。
・19世紀半ばまでのノルウエーは、官僚の主導によって、経済の近代化、伝統的特権や規制の廃止が進められる一方で、地方や市民社会の自立は遅れていた。
・「歴史家 J・A・サイプは、この時代を官僚国家と呼んでいる。
・当時の人口がどのくらいだったのか知らないが、政府、議会、司法、国教会のすべての領域を支配していた官僚の人数は、なんとたったの2,000人だという。
・ノルウエーがどれだけコンパクトな国だったのかが、これからも推し量れる。
・徐々に、特権や規制に縛られなくなった市民が、自発的な組織を作り始めた。
・都市の商人と職人が組合を結成したほか、1850年頃には正式な選挙を前にし、「 試験選挙」 を自発的に実施するなど、政治的関心を高めていた。
・法律教育を経て官僚になる以外にも、医師、技師、建築家、農業技術者などとして活躍する専門家が増え、官僚エリート以外の議員の割合も上昇した。
ペリーが日本へ来たのが1854年だから、幕末の頃のノルウエーの話だ。
・ノルウエーの議会主義発展の中で、左翼党と右翼党の背景になったのは、議会と、国王・政府との権力闘争だった。
・同時に「都市に対する農村」「東部に対する西部・南部」「中央集権に対する地方自治」「国教会の権威に対する非国教会派など、様々な対抗要素がこれに反映していた。」
ノルウエーにおける右派と左派は、国王・政府の権力側が右派で、異議を唱える市民勢力を左派と呼んでいるに過ぎない。複雑な要素が絡むと説明されているが、自分の国を憎み、歴史を否定するような主義・主張はどこにもない。
勤王か佐幕かで国論が分かれ、親兄弟が血の争いをした幕末の日本でも、国そのものを否定する意見はなかった。
ノルウエーを見ても、幕末を考えても、現在の日本のように祖国を否定し、憎悪するいかがわしい左派はいなかった。敗戦後の政治家は日本人の矜持を失い、魂を失くし、国民をどんな未来へ導こうとしているのだろうか。
当時のノルウエー議会では、レジスタンス活躍の功で共産党が11議席を占めていた。スターリンがフィンランドに対し、衛星国とした東欧諸国と同じ条約の締結を迫ったのは、ソ連が軍事介入したチェコ事件の後だった。
ソ連が北欧への進出を狙っているとイギリスのタイムズが報道し、ノルウエー議会が大騒ぎになった。共産党議員が即座に外交委員会からはずされ、翌年の選挙で共産党はすべての議席を失った。
ソ連との緊張が一気に高まり、直ぐさまスエーデンが「スカンジナビア中立防衛同盟構想」を提案した。スエーデンを中心に北欧3国が、平時での中立同盟を形成するというもので、迫り来る東西対立の荒波から、北欧の中立を守るための意思表明だった。
デンマークがすぐに呼応し、ノルウエーの援護に動いた。
「スカンジナビア中立防衛同盟構想」は実を結ばなかったが、私の心を捉えたのは、ノルウエー議会の議員たちの決断だった。
・ソ連の北欧への進出を阻止する。
・スカンジナビアの中立をまもる。
・ノルウエー議会の共産党議員11名を追放する。
悲願とした国家独立のため510年間共同して戦い、最後のドイツ戦では命を共にした共産党だった。ノルウェー議会は、国益のため、盟友とも言える共産党議員の追放を決断した。本には書かれていないが、様々な人間のドラマがあったはずだ。
ノルウエーの政治家の決断を知ると、わが国の保守系議員の不甲斐なさを同時に知る。戦後70年たっても反日左翼議員と決別できず、自民党の政治家は利権にまみれて腐敗した。そんな自民党を嫌悪した国民が、反日左翼の民主党政権を誕生させた。
うっかり政権を渡した結果が今日の有様だ。
・中国公船が、沖縄尖閣の領海に侵入しても抗議をしない。
・不法な中国漁船が、日本の巡視船に体当たりしても反撃させない
・日本の竹島を韓国軍に不法占拠されても、放任している。
事件は民主党政権下で発生したが、火種を残して来た責任はそれまでの自民党政権にある。ノルウエーの本を読むほどに、日本の保守政治家の無気力と無責任さが見えてくる。同時に、私たち国民の愚かさも再発見する。
ノルウエー国民は共産党の議員を全員落選させたが、日本国民の中には共産党員を落選させない「お花畑」の住民がいる。
現在のノルウエーに関する解説を。紹介する。
・1960 ( 昭和35 ) 年から70 ( 昭和45 ) 年にかけて、ヨーロッパ各国は経済成長へと向かった。
・特にノルウエーの場合、本格化する北海油田の採掘が、国民経済を全く異なったものにした。
・70年以来上昇を続けているGDPが、2000( 平成12 ) 年にはほぼ3倍になっり、石油収入を運用する年金基金は、国家財政の2倍になっている。
・北欧の中で一番豊かなノルウエーは、こうして生まれた。
・豊富な蓄えに油断することなく、やがて枯渇する石油の代わりを求め、ロシアとの友好関係構築に余念がない。
・NATOの一員であるが、EUには加盟していないノルウエーと、EUには加盟しているがNATOに加わっていないデンマークとスエーデンなど、北欧諸国は複雑だ。
北欧諸国の政治家はしたたかで、逞しいと、私はそんなことは言わない。
それぞれの国が置かれた状況で政治を行い、政治家が考え行動する。どれほど複雑に見えても、積み上げられた歴史の中での行為に過ぎない。日本には日本の事情があるので、同じようには語れない。
私はここで、北欧4国の国歌につけられた名前を、本から抜粋して紹介する。
・スエーデン ・・「古き自由な北の国」
・デンマーク ・・「麗しき国」
・フィンランド ・・「われらの地」
・ノルウエー ・・「われらこの国を愛す」
ノルウエーの国歌の名前を読んだとき、私は不覚にも涙がこぼれた。510年をかけて独立を勝ち取った国ならではの名前だった。「国を愛す」、こんな当たり前の言葉でさえ、日本では口にできない。2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか70年だ。GHQによる占領は、たったの7年だ。敗戦で全てをひっくり返され、軍国主義の名の下に塵芥のように切り捨てられた指導者たちがいる。
GHQが実施した「日本弱体化政策」を、どうしてそのまま受け入れてしまうのか。日本の事情に合わせ、ノルウエーの議員諸氏との比較で言えば、私は次のように提案する。
・議員諸氏は、盟友の共産党議員を苦渋の決断で議会から追放した。
・共産党議員も、議会の決定を受け入れた。
これと同じ重さを持つ課題は、
・GHQが実施した「日本弱体化政策」の見直しである。
・これはすなわち、「東京裁判史観」の見直しであり、「日本国憲法」の改正である。
今の日本では「愛国」という言葉が忌避され、「国旗」すら掲揚されず、「国歌」も歌われない風潮が支配している。反日左翼の野党より、反日のマスコミより責任が重いのは、自民党の政治家でなかったのかと最近の私は考える。
文豪イプセンや作曲家グーリグのこと、あるいは出光石油のことなど、紹介したいことはまだあるが、今回で終わろうと思う。
保守自民党の議員諸氏だけが不甲斐ないのか、私たち国民も同じなのか。本を枕にしばらく考えてみたくなった。