戸部民夫氏著「日本の神様が、よくわかる本」(平成16年刊 PHP文庫)、を読了。
天照大神や、高天原、八百万の神々と、断片的な言葉を知っていたが、読後の状況は五里霧中である。よくわかる本なのに、読んでますます分からなくなった日本の神様だ。
物事を理解するには、まず体系からと、私は無意識のうちに考える。
ところが氏の本は、別の観点から書かれている。前書きの部分を抜粋してみよう。
「本書では、日本の神様九十九神を取り上げているが、」
「大別すると 1. メジャーで万能の神様で、日本中どこででも会える神様、」
「 2. 職業の守護神や、地域密着型など専門的でユニークな神様、ということになる。」
「困った時にどういう神様が頼りになるか、一目でわかるように、神徳(ご利益)を示し、」「その神様を祀る、主な神社も紹介した。」
「頼りになる神様を探す、ガイドブックとして活用していただけたら幸いである。」
私みたいな者のために書かれた本でないと、分かったが、図書館の廃棄図書として、無料で手に入れた書だし、贅沢は言っておれない。
天照大神は、どのように天皇とつながっているのか、八百万の神様の相互関係はどうなっているか等々、戸部氏はとんと重要視していない。著者の目的がどうであれ、日本の神様が知りたいのだから、私には読み進むしかない。
八章の構成は、私の頭を混乱させるためにだけ、組み立てられていた。
1. 人気の高い霊位神 2. 創生と万物生成に関する根源の神々
3. 聖母と純愛の女神 4. 山・水・海に関する神様
5. 農耕生産に関する神様 6. 鉱・工業生産に関する神様
7. 諸産業に関する神様 8. 生活・文化・芸能に関する神様
こんな中身では、神様の関係も体系もあったものでない。
親子だったり、夫婦だったり、兄弟だったり、突然神様が紹介されるから、目を白黒させるばかりだ。それでも気を取り直し、神様を知るための基礎知識を整理してみた。本の中から、引用する。
「現在全国にある神社は、八万とも十万とも言われている。」「幅が広いのは、政府の神社台帳に登録されていない神社が数多くあるせいであり、」「さらに言えば個人や企業の祀る神社など、どこまでを独立した社と数えるかという難しさがある。」
なるほどそういうものかと納得するが、仏教にも政府の寺院台帳があるのだろうか。キリスト教やイスラム教についても、台帳があるのかと、次々に疑問が湧いてくる。(でもまあ、これは今のところ別の問題だ。)
「神社数に関する古い記録としては、平安初期の " 延喜式神名帳 " があり、」「そこには、二千八百六十一社が登録されている。」「これはいわば、中央の公認した神社(官幣社)」であり、」「実際にはこの5倍の数があったとされている。」
「明治三十九年の調査では、約十九万三千社、」「その後合祀(神社の統廃合)が進められて、」「昭和二十年の終戦時には、十万六千百三十七社となっている。」(敗戦時と言わず、終戦時と言っているのが気に入らないが、これも今は関係がない。)
「さらに市町村合併など、社会の変化にともなって、多少減少しつつ今日に至っている。」
しかし他との比較がないと、この数が多いのか少ないのか、判断ができない。そこで中断し、ネットで調べてみた。
「H25年の統計では、仏教寺院数は約七万五千、本体の仏像が三十万体となっている。」
他教については、調査年度も不明のまま、「現在の日本には、九千二百七十七のキリスト教会がある。」「イスラム教のモスクと礼拝堂が、六十三ある。」と記されているだけだ。
ここで分かったことは、神社と仏教寺院が、数では圧倒的に多く、どうやら神道以外には、政府の台帳が存在していないという事実だった。
最もらしく活字表示されていても、ネットで出回る情報が、かなりいい加減なものだということも、ついでに知った。発信者を明示しないまま、こんな説明があった。
「現代の日本人は、特定の宗教をもっておらず、」「自らを、仏教徒と意識する機会がない人が多い。」「2013年度版のブリタニカ国際年鑑では、99%の日本人が、広義の仏教徒とされている。」
同じネットの中に、調査元不表示のまま、H18年の日本人の宗教について、次の数字が示されていた。
「無宗教 51.8% 仏教 34.9% 神道 4% キリスト教 2.3%」。
同じ画面の別データには、平成24年の文化庁の調査結果として、
「神道 79.2% 仏教 66.8% キリスト教1.5% その他 7.1% 」となっている。
信頼性の無い数字が、どれだけ世間に発信されているかという事実だ。どのデータを正しいとするのか、見ている人間が選択するしかない。戸部氏の本から離れたが、結局神様については、分からないことが多いと、いう話なのだろうか。
「神社というのは、神様を祀るところである。」「だから神社には、いつでも神様がいると思っている人が多いだろうが、実はそうとは限らない。」「本来神社というのは、天(あるいは山や海の彼方)から、飛来する神様が、一時的にとどまる仮の宿だからだ。」
「つまり神様の、出張所兼宿泊所のようなもので、用事(神祭り)が終われば、また天に帰ってしまう。」「社殿がいくら立派であろうと、神様にとっては仮の宿に変わりはない。」
こうした説明の仕方は、仏教にもキリスト教にもないもので、神道特有の思考だろう。古代信仰では、祭事の都度、神は天から聖地に降りてくるとされていた。聖地とは、山や水辺や島、あるいは神が依つく、樹木や岩がある場所だった。
氏によると、神様が降臨する聖なる場所が、神社となり、依り憑くものが、御神体に象徴されているとの説明だ。象徴としての御神体が、いわゆる三種の神器である。しからば三種の神器に無縁な、別系統の神様は何を御神体としているのかと、別の疑問が生じる。こうなるから神様の話は、いつも私を、果てない迷路へと導く。
人も亡くなれば、神様になるという神道では、菅原道真も、加藤清正も、東郷元帥も、死後に神となり、祀られている。柿本人麻呂や、安倍晴明も神様になっているとは、本を読むまで知らなかった。
大和朝廷に逆らった出雲の神様は、大黒様の名で知られる大国主の命(みこと)だった。この神様も、その他豪族が先祖代々祀ってきた神様たちも、いつしか、八百万の神様に仲間入りしている。
この神様たちが、戦ったり殺しあったり、人間顔負けの争いをする。死んだ神様の口から目から鼻から、おまけに性器からも植物の芽が生じ、これらが人間の大切な食物となっていく話などは、なんだか汚らしくて受け入れがたい。
融通無碍というのか、無節操というべきか、ここまで大らかな神道は、どうしたって、一神教を信じる他国からは、理解されないはずだ。
「ウガヤフキアエズの尊(みこと)という、変わった名前の神様は、」「海幸・山幸神話で、主人公の山幸彦(彦火火出見命)が、海神(わたつみのかみ)の娘のトヨタマヒメの命と結婚して、」「生まれた子で、のちに大和王朝を建国する、カムヤマトイワレビの命(神武天皇)」の父である。」
こうした叙述は、日本人である自分にも、一読して、すぐには頭に入らない。
出典はほとんど「古事記」と「日本書紀」からと注釈されているが、漢字ばかりの古文を読みこなした、氏の力量と努力に、心から敬服したくなった。自分もめげずに頑張ろうと、そんな気持ちが湧いてくる。
昨年、出雲に住む叔父が亡くなり、葬儀に出席した。母方の叔父の家は、先祖代々神道で、立派な祭壇のある座敷では、朝夕の祈りが律儀に行われていた。先祖や墓を大事にする叔父は、温厚な好々爺だったが、無宗教で過ごし、墓も作らない私を、内心では苦々しく思っていたに違いない。
葬儀の終わった夜、本棚に並ぶ本を眺めている私に、叔母が言った。
「いる本があったら、持って帰ってええが。」「もう誰も読まんし、あんたが貰うてくれたら、叔父さんも喜ばれえだわ。」
ということで、三十冊の本を、宅急郵便で送ってもらった。戸部氏の本は、この中の一冊で、神様の本がまだ何冊もある。1冊ずつ読んでいけば、そのうち光も見えてくるだろうと、楽観している理由がここにある。
本の中身につき、肝心なことは、何も触れていないが、これ以上述べると長くなるし、退屈にもなるし、ここらで止めるのが妥当だろう。分からないものは分からないまま脇へ置き、「粛々として」本に向かう。・・・・、これが私の読書方式だ。
気取って言うのを止めれば、「惑いつつ、ためらいつ」本に向かう。・・・・、これが私の読書方式だ。
onecat01様 ご無沙汰しております
私もずいぶん前にその本を購入して読みましたが参考にもならずお蔵入りしました
当時、理解できないのは私の能力の無さ故と思っていました
ところがお粗末な事に、持っていることすら忘れていて、数年たってから同じ本を注文・購入してしまい、届いてガッカリ・・・現在その本を2冊所有しています
読むに値しないとまでは言いませんが、そのお金で別の本を買ったほうが得策ですね・・・
神さまがよくわかる本という基準が理解できません
神さま関係の本は多々ありますが、解りやすい本に出会ったことが有りません(数十冊所有)
題名に「釣られた」自分にガッカリしています。
本当にお久しぶりです。なんとまあ、貴方ですらそうなのかと、神様を知ることの難しさを教えて頂き、ビックリいたしました。
貴方のご経験から推測いたしますと、私の予定は叶えられない空中の楼閣ですね。だが、幸いにも私は題名に釣られず、中身にも釣られず、そこにある本を手当たり次第に貰っているだけなので、失望はさほどありません。
あと何年生きるのか知りませんが、生きている証に、世間を伺える知識をもうすこし得たいと、思うばかりでございます。
それでも有難いご忠告に感謝いたします。しかも軽妙な笑いもあり、楽しませていただきました。これからも、時々お訪ねください。