〈 十二闋 賢聖障子 ( けんじょうのしょうじ ) 菅原道真の出世と左遷 8行詩 〉
前回の最後に、渡部氏への意見を下記の通り述べました。
「貴方は頼山陽の礼賛に重点を置かれていますが、十一闋のまとめの言葉としてそれで良いのでしょうか。」
しかし〈 十二闋 〉を読みますと、疑問が全て解けました。遠慮して副題を「基経の奢り ? 」とつけましたが、疑問符をつけるまでもなく「阿衡 ( あこう ) の紛議」は、基経の横車でした。
本を読み終えて書評を書いているのでなく、〈 一闋 〉ずつ熟読・検討しながらの作業です。一気に読んで、読後に書評が書ける本でないため、以後もこんなことになる気がします。当たって欲しく無い推測でしたが、やはり宇多天皇は宮廷を混乱させた基経に、ご不快の念を持たれていたことが、〈 十二闋 〉で説明されていました。
今回は渡部氏の行ごとの解説を後に回し、以前のように頼山陽の「書き下し文」と徳岡氏の「大意」を先に紹介します。
〈「書き下し文」( 頼山陽 ) 〉 八行詩
紫宸 ( ししん ) の障子 賢聖を列す
衣冠済済拝跪 ( はいき ) せむと欲す
惜しむ可し精神無し
何れの時か可否を献ぜむ
龍を画 ( えが ) き龍を求めて真龍出づ
雲を呼び雨を醸 ( かも ) して雨未だ起こらず
龍を逐 ( お ) いて湫 ( しゅう ) に入れ 龍窮死す
画龍 ( がりょう ) 舊 ( きゅう ) に依りて天子に侍す
〈 「大 意」( 徳岡氏 ) 〉
紫宸殿の障子には 賢聖の姿がずらり
衣冠おごそかに 見ればひざまづきたくなるありがたさ
惜しいことに魂なき絵姿
事の善悪を天子に奏上するすべはない
絵といえば 龍を画き龍出でよと真実望めば 本物の龍が出現するとか
( 賢臣を望めばこそ 菅公のごとき賢者が朝に仕えたのだ )
ところがなんと 龍出て雲を呼び雨気をかもして 肝心の雨がまだ降らぬうちに
朝廷はこの龍を追放して池におしこめ 龍は苦悩のうちに死んだ
そして絵に描いた龍だけが もとどおり恬 ( てん ) として君側に侍していた、という次第よ
「書き下し文」も「大意」も、文字を追うだけでは平安時代の大事件を読み取れません。詳しくは次回から、渡部氏の解説が明らかにしてくれますが、有意義な書でした。菅原道真の名前は学問の神様として知っていますが、宮廷の高官がなぜ九州の太宰府へ左遷されたのか、道真の怨霊を鎮めるためなぜわざわざ神社が造られたのか知りませんでした。
知ることは学徒の喜びと言いますが、ときに学徒の苦しみになると息子たちに伝えたくなりました。左翼系の学者が、記紀は天皇家を賛美する国家主義者の宣伝の書だという意見が間違っていることを教えてくれます。渡部氏のいう通り、記紀は天皇家の歴史、日本の歴史を飾らずに伝えている貴重な書籍だと思います。
楽しい読書にはなりませんが、ご先祖の飾らない姿を知ることは、絶望しないための良薬ではないでしょうか。
「今の日本、今の世界情勢だけが過酷なのでは無い。人間の歴史は、人間がいる限り変わらない。」
こういう、逆説の励ましを得ることができます。
日本各地の天満宮に詣でる時
時に、この言葉が深く心に刺さる事が有ります。
「人間の歴史は、人間がいる限り変わらない」
良くも悪くも・・そうなのだと思います。
神社・仏閣を訪ねられる貴方は、この言葉をご存知だったんですね。知っていれば、心に刺さる言葉です。
「人間の歴史は、人間がいる限り変わらない」
私のこの言葉は、消極的な悲観論ではありません。「そうか、そういうことか。」と事実を知り、平常心で生きる姿を表現したつもりです。
人生に喜怒哀楽があるように、国の歴史にもそれがあります。明るいこと、暗いこと、楽しいこと、悲しいことがあり、その中で私たちが生きています。
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