ネットを検索していたら、興味深いものを見つけました。昨年の1月から12月にかけて、NHKが放送していた、『100分de名著』という番組の紹介です。
「一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、」「途中で挫折してしまった、古今東西の“名著”。」「この番組では、難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていきます。」
「プレゼン上手なゲストによる、わかりやすい解説に加え、」「アニメーション、イメージ映像、朗読などなど、あの手この手の演出を駆使して、」「奥深い“名著”の世界に迫ります。」
「案内役は、タレントの伊集院光さんと、安部みちこアナウンサー。」「偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるためのヒントを探っていきます!」
番組を一度も見ませんでしたが、この中で吉本氏の『共同幻想論』が取り上げられていました。ゲストとして出演していた先崎彰容 ( せんざき あきなか ) 氏の言葉も、別の場所で見つけました。
左傾のNHKが、大きく取り上げている名著だとすれば、この本を評価するには勇気がいります。「盲蛇に怖じず」というべきなのか、NHKの賞賛にかかわらず、私は自分の問題意識に沿って、『共同幻想論』を批評しました。
今回はそんな私との比較で、先崎氏の解説を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に報告したいと思います。賛成・反対が難しいという、微妙な状況が見えますので、どなたのコメントも期待しないようにいたします。
私が先崎氏の意見を紹介する意味は、氏が長男と同じ年であるというところにあります。経歴を見ますと、氏は昭和50年生まれの46才、日大危機管理学部教授、日本の思想家です。
まず、氏による『共同幻想論』の解説文を紹介します。
「人間は、自分の創り出したフィクションである、共同幻想に対して、」「時に敬意を、時に親和を、そして時に恐怖を覚える。」
「特に、原始的な宗教国家ではこれは顕著である。」「その共同体で、触れたら死ぬと言い伝えられている、呪術的な物体に触れたら、」「自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。」
「個人主義の発達した現代でも、自己幻想は、」「愛国心やナショナリズムと言う形で、共同幻想に侵食されている。」「共同幻想の解体、自己幻想の共同幻想からの自立は、」「現在でも、ラジカルな本質的課題であると、吉本は指摘している。」
こういう意見が出てくるのは、「東京裁判」を肯定する反日学者の思考です。氏の意見が、私の中では次のように変換されます。
「個人の思考は、愛国心やナショナリズムと言う形をとった、国の思考に侵食されている。」
先崎氏の頭の中では、愛国心やナショナリズムという言葉が、日本の軍国主義や侵略主義を否定した、東京裁判の判決文とそのまま重なり、良くないものとして記憶されていることが分かります。
「吉本は、血縁・氏族的共同体(家族)が、」「地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。」「兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、」「肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。」
「兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、」「国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立するのである。」「逆に言えば、原始的な国家の成立は、」「兄妹・姉弟の近親相姦が、自覚的に禁止されたときに求められる。」
確かに氏は、このような意見を述べています。ここで想定されている国家は、現在のように、何百万、何千万という人間がいる大きな国ではありません。せいぜい何百人かの単位の、村落か集落の規模です。従って、考えを共有する、ある家族の兄弟姉妹が何世代かにわたり、その共同体内で、他家との婚姻を繰り返せば、同じ思考が広がります。
その家族が強い絆と強い思考で結ばれていたら、百年、千年の時が経過すると、一体感のある「共同思考(幻想)」が生まれるという、理屈になります。