ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『絶頂の一族』- 32 ( 伊藤博文公の正論 )

2024-05-09 17:58:56 | 徒然の記

  〈 第3章 叔父・西村正雄 〉・・ ( 伊藤博文公の正論 )

 西村氏が安倍元首相に手紙を出したと言い、手紙の内容を語ったそうです。

  ・偏狭なナショナリストから離れろ。  

  ・世間では「戦争好きの安倍が総理になったら、中国や韓国との関係が悪くなる。」と言う見方がある。

  ・靖国神社の附属施設『遊就館』では、太平洋戦争はルーズベルト大統領の陰謀だと言うビデオが上映され、戦争を美化して正当化している。

  ・「リメンバー・パールハーバー」の精神が生きている米国でも、靖国神社は軍国主義の社と捉えられている。

  ・国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは、一線を画すべきじゃないか。

 それから西村氏は執務机から一枚のコピーを持ってきて、松田氏に読み聞かせたそうです。

  ・それは西ドイツのバイツゼッカー大統領が、1985 ( 昭和60 ) 年の演説で訴えた言葉の一部だった。

   「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

  ・西村はコピーを私に渡しながら、語気を強めた。

    ・晋三は昭和史を知らなさすぎる。歴史から学んでいない。

    ・政治家の言葉は重いものだということを、もっと知るべきだ。

 左翼系の人々だけでなく、戦前の日本の軍国主義を嫌悪する人間は、日本とドイツを引き合いに出して批判します。日本とドイツは同盟を結び、共に第二次世界大戦で敗戦国となり、連合国軍による軍事裁判を受けました。形は似ていますが、ドイツと日本がしたことは、両国の歴史と文化の違いから同じには語れません。

 「600万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツ」と言う重い言葉を背負い、戦後の国際社会を生きているドイツ国民の心情を知れば、単純な比較をする愚かさと無神経を慎むべしと言う気が致します。

 ドイツは戦争責任を果たしているのに、日本が果たしていないと言ってバイツゼッカー大統領の言葉を引用する人は、西村氏だけでありません。外形が似ていても、内容が異なる日本とドイツを比べるのは、ドイツ人からも日本人からも眉を顰められる話だと言うことだけを言っておきます。

    ・晋三は昭和史を知らなさすぎる。歴史から学んでいない。

 「ねこ庭」から見ますと西村氏のこの言葉は、氏自身にも当てはまります。次の言葉も同じです。

    ・政治家の言葉は重いものだということを、もっと知るべきだ。

 「ねこ庭」では、次のように変換されます。

    ・財界のトップにいる者の言葉は重いものだということを、もっと知るべきだ。

 こうして書くと反日の人物が、狂ったようになりコメントを入れてきます。

   ・自国の反省をする時に「いや、○○国も××していたじゃないか」等と言うのは「両論併記」や「公平な見方」では無く、醜い言い訳なんだよ。 

 しかし「ねこ庭」が心血を注いでいるのは、「戦前の日本正当化」ではありません。「戦前の日本の美化」でもありません。西村氏と松田氏に言いたいのは、日本のを批判攻撃するのなら、同時期の他国の説明もしないと公正にならないと言うことです。

 国際社会を語らず自分の国を悪様に説明するのでは、日本を愛する国民には顔を背けられますと言っているのです。例えば西村氏は次のように言っています。

   ・昭和6年 ( 満州事変  ) 以降は侵略戦争だ。

 西村氏は私のような人間を「偏狭なナショナリスト」と呼び、戦前の日本人をそんな括りで語ろうとしていますが、満州事変を侵略戦争と考えたのは西村氏だけではありません。「ねこ庭」の過去記事からの引用ですが、伊藤博文公の意見を紹介します。

 明治39年に、西園寺内閣が満州に関する協議会を開いた時、児玉源太郎参謀総長に、伊藤公が述べた厳しい反論です。
 
  「余の見る所によると参謀総長等は、満州における日本の地位を、根本的に誤解しておられるようである。」
 
  「満州方面における日本の権利は、講和条約によって露国から譲り受けたもの、すなわち遼東半島租借地と、鉄道の他は何もないのである。
 
  「満州経営という言葉は、戦時中からわが国人の口にしていたところで、今日では官吏は勿論、商人などもしきりに説くけれども、満州は決して我が国の属地ではない。」
 
 こうした正論を伊藤公が述べたと知り、驚きもし感動もしました。公は、元勲と呼ばれるにふさわしい見識の持ち主だったと思います。
 
  「満州は、純然たる清国領土の一部である。」
 
  「属地でもない場所に、わが主権の行わるる道理はないし、拓殖務省のようなものを新設して、事務をとらしむる必要もない。」
 
  「満州の行政責任は、よろしくこれを清国に負担せしめねばならぬ。」
 
 ついでなので、参考までに過去記事で述べている「ねこ庭」の意見も紹介しておきます。
 
  ・当時はこうした伊藤公の正論に対し、「十万の流血と二十億の国帑」という日露戦争の代価として、満州を考える意見が拮抗していました。
 
  ・公は朝鮮併合についても反対論者でしたが、何も知らない安重根が暗殺してしまいました。歴史の皮肉としか言いようがありませんが、朝鮮のためにも、中国のためにも惜しい人物を失ったものです。
 
  ・この後大正四年に結ばれた「対華二十一か条」について、もし伊藤公が生きていたら、何と言って反対したことでしょう。
 
  ・破竹の勢いで国力を伸張した日本が、力で中国や列強をねじ伏せていく姿は、素晴らしいというより、むしろ傲慢で醜い。
 
  ・「対華二十一か条」の調印された五月九日を、中国が国辱の日と呼んでいるのをさもありなんと理解した。列強の仲間入りをし、得意になった日本の姿が残念でならない。
 
 故人となった西村氏にはもちろんのこと、松田氏にも「ねこ庭」の思いは伝わりませんが、「ねこ庭」を訪問される方々にだけでも伝われば満足です。製本にして息子たちに残す気がなくなった今、あと何年かしたらこのブログも、私と共にハイさようならです。
 
 気持がサッパリしたところで、現在169ページです。あと4ページ、先が見えてきました。長いトンネルの向こうに出口の明かりが見えます。おそらく次回が最終回でしょう。
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